近代科学は『電子』の発見で幕が開かれたと理解していた。しかし、その基本概念が怪しいものである事がハッキリして来た。これからの科学論の未来がどうあるべきかを考える原点はやはり電子科学論の真相を明らかにする事から始めなければならない。
辞書を調べると、電子の定義が載っている。上のように、質量と電荷量で定義されている。その桁数の多さに驚く。科学理論は正確でなければならない。だから数値の桁数が多ければ、正確で正しいと思うのかも知れない。しかし、こんな桁数の数値が有名な辞典に載っている事自体が科学論の怪しさを示していると言わなければならない。電子による現代科学理論が自然科学理論の主流となっている訳であるから、その定義として示されている桁数の意味を説明して頂かなければならない。
電子の人間感と自然則 自然の本質は単純で多様な素粒子など持たない。みんな人間の思惑と利害によって社会的概念化を進められたものである。その代表的な基本概念が『電子』である。
電子の電荷も質量も何を定義したものかも不明のままで、大原則の法則が出来上がっている。電荷はこの世界に存在しないのだ。だから、電界の電場で電子の電荷が加速されて、運動が始るなどと言う解釈も理解できない。素粒子加速の実験装置を見れば、決して電界で粒子加速などしていないのである。すべて電磁石による磁界加速で、エネルギー付加・増加装置なのである。先ず『電荷』とは何かが日常用語で説明されることが市民社会への責任である。子供たちへの専門家が問われている「教育上の課題」でもある。
(2018/05/17)追記。 記事に過激な表現があったので削除と修正をした。