月別アーカイブ: 2013年2月

球と立体角

人が認識する物事には具体的な実像と抽象的な領域の二つが有る。科学論は抽象概念を数学的な評価で認識する事が主となる領域のように思う。日常生活と科学論を結びつけようとすれば、抽象概念は難しい場合が多い。具体的な科学論は、目の前に在る空間にその思考対象を描けないと理解できない場合が多い。空間の解釈には、地球も銀河もその全体像を認識する場合に先ず『球空間』で捉える。難しい方程式で論じられる電気磁気学も、マックスウエル電磁場方程式もその現象の基本はエネルギーの振る舞いをどのように捉えるかに係っている。空間に展開されるエネルギーの振る舞いである。光の放射現象や電波伝搬はすべてエネルギーの光速度伝播に関わる現象である。そのエネルギーがどのように放射されるかは、空間認識に『球空間』がとても重要だ。その球の表面積と、その面積を空間の広がりとして捉えるに『立体角』が重要である。球の全表面積は、半径をRとすれば、πR^2^である。その4πが全空間の広がりを捉える『立体角』である。マックスウエルの電磁場方程式や、部屋の照明の光分布を考える場合には、光源や電波放射源(アンテナ)からのエネルギー放射特性を「配光曲線」と言う照明の基本解釈法から理解できると考えて、球と立体角の関係から考える準備として記したい。具体的例としてパラボラアンテナと正反射を挙げておく。電磁場方程式の電界磁界ではベクトル的解釈が矛盾となる例でもある。光伝播現象も横波解釈でなく、縦波解釈でなければならない。電磁界も縦波である。電磁波のエネルギー縦波伝播を理解するに欠かせないのが立体角の概念である。

右に球帯の面積と立体角の定義の説明図を示した。この図がどのような意味を持つかと言うと、球の中心O点に光源が有り、そこから放射される光がどのように空間に分布して流れるかを考える基に役立つ。大体光の放射は球の軸に対して、対称形であるから、帯状の空間面積(球帯と言う)で捉えるのが都合がよい。

写真763

微小角度dθ に張る面積とその立体角の関係を示した。

その球帯面積は積分すれば、②のようになる。写真764

ついでに球帽の面積と立体角の場合も示す。球帽の立体角写真767

その面積と立体角は③のようになる。

(2014/09/26)追記。 この立体角を使ったのは、電気工学の一つの分野である『電熱・照明』であった。ブログの中でもこの記事が多く読まれている。その訳は簡単な図形表現に在るように思う。具体例として、照明と配光曲線を上げておこう。

隕石突入の衝撃波

隕石の衝撃波

2月15日ロシアに隕石が落ちた。自然現象としての驚きの衝撃を受けた。どこに落ちるか分からない、予測不能の宇宙の事件だ。なかでもその衝撃波のすごさに驚いた。自分なりに解釈しておきたくなった。強烈な摩擦熱の発光現象だ。熱の高温度発光・爆発現象だ。閃光を伴い、後に物凄い空気圧の衝撃波に襲われたようだ。建物が破壊される程の爆発力だ。

衝撃波 その本質をどう解釈するかだ。図にまとめてみた。空気が熱膨張して、その圧力波が衝撃波の基である。その強さは波頭のエネルギー密度の大きさ H[J m^-3^]で決まろう。しかも空気伝播のエネルギーの縦波の単一衝撃波である。空気を媒質とした熱膨張エネルギーの伝播であるから、音速の伝播速度なのであろう。熱による空気膨張だから、「ボイル・シャルルの法則」に従う現象である。ただ、圧力膨張エネルギーは空気を移動させる訳ではない。水の津波エネルギーと同じく、空気にそのエネルギーを乗せて、伝播放射させるのである。衝撃の強さは空気に乗ったエネルギーの波頭が障壁に衝突した時その破壊力を現わす。その破壊力を今回の隕石衝突映像で何度も見せて頂いた。建物に到達したとき、ガラスが微塵に砕け散る様子が見えた。その衝撃波に耐える障壁なら、その波は反射して、逆の方向にその障壁が新たな波動源として広がるであろう。硝子のような瞬間の圧力に弱い障壁は硝子の表面積に到来する圧力の積分で衝撃波頭密度が急激に上昇するから、一溜まりもなく粉砕されてしまう。その圧力上昇は空気の圧縮として襲う訳である。この現象を思うと、光が硝子に入射するときの『屈折現象』の事に思いが繋がる。波とは不思議なものである。一度方向が決まると、どこまでもその最初の方向性を保ちつづけて、エネルギー伝播を成し遂げる。ぶつかるまで方向性を変更しない縦波である。光と同じエネルギーの縦波と観る。衝撃波は基本的に単一波である。光で、『光子』あるいは『光量子』と言うが、その本質も単一波と解釈できる。光も横に振動する実体など何もない。光一粒と言う事も横波の振動概念を捨てなければ、その解釈の曖昧さは消えない。光とは何か?-光量子ーで一粒の光の姿を空間像に示した。波動の数式による解釈の科学的常識はシュレーディンガー波動方程式による解法のようである。それは波動が振動すると言う基本認識に立っている。だから、周波数や振動数の変数の導入が欠かせない。衝撃波のような単一波はその解析のルールには当てはまらない。コンピュータ波動分析で、周期性の無い衝撃波はどのように解析するかが興味ある疑問である。空間エネルギー分布像の認識が基本的に重要となる。エネルギーそのものの空間伝播現象の認識である。質量に付帯するエネルギーでない、エネルギーそのものの実在性の認識である。運動エネルギーや位置エネルギーでない概念である。質量に依存するエネルギーは質量と共に移動伝播する現象になってしまい、隕石突入の場合で、衝撃波のような質量(空気)の移動しない波動現象は運動方程式で解けないのではないか。理科教育で、『エネルギー』の実相を認識した改革が必要であろう。

道草問答(6)ー球面鏡の像ー

球面鏡の像理科に幾何光学と言う章が有る。レンズや鏡などの焦点距離を基に、実像あるいは虚像などの意味を学ぶ。少し教科書を開いて理屈を確認しようと思った。しかしとても難しい事を知らされた。覚える訳にはいかないので、論理的に理解しようと挑戦してみた。やっぱり教科書の説明を理解出来なかった。生活者の視点で考えてみる事にした。
球面鏡の像 球面鏡の焦点はどこになるのだろうか?球面の中心点はO点であるが、O点を球面鏡の焦点と言えるのか。入射光は入射点に於いて、O点軸に対称な方向に、入射・反射が等角度で反射する。平行光線の入射波は決してO点には集まらない。教科書の説明では、像が焦点距離(?)の所に出来るような事になっている。対象物がA点にある。その像はどう結像するのだろうか。実像とか虚像とかの用語が使われる。そんな実像、虚像など実際に在る訳ではない。凹型の球面鏡の場合を採り上げて、対象の像を観測する場合にどう考えたらよいかと『問答』に取り上げてみた。球面鏡を通して、A点の像を見るとどんな風に見えるだろうか?その観測する像には、焦点(?)など余り関係が無いように思う。ただ鏡面で光が入射・反射の角度が同じである事だけで人が見る像は決まると解釈できる。瞳の一点に対象の像が入射してくる。どんな経路で入射するかだけの問題である。僅かな角度の違いで像の形が映るのだ。入射像は正立像か、逆転像かである。理科の教科書の説明で、焦点距離(?)などから分かるだろうか。人の目に入る光の筋は対象の1点からの光の道は一筋だけである。焦点(?)に像を結ぶような光の道筋は意味の無い説明である。

IT検索で、球面鏡の焦点と検索すると、子供への学習の説明記事に『平行光線が球の中心・焦点に集まる』とある。何処からそんな理屈が出るのか。入射・反射の理屈、等角度の理屈をどこに捨てた説明か。球面の材質が硝子かアルミニュウムかで反射特性に影響が出るであろう。しかし反射を基本にする限り、入射・反射角度は等しいであろう。決して中心O点には集まらない。

球面鏡の反射 少し球面鏡の反射を具体的に考えてみた。数式を解釈するのは難しそうだ。そこで、用器画法で反射の様子を描いてみた。球面鏡の反射二つの光源で、青のAと赤のBを図のように位置を決めた。その反射光の正反射の方向を描いた。Bの位置は自動車のヘッドライトの光源に近い平行光線反射になろう。A点の青い光源の場合は、広く拡散するようだ。図の左下に示した図形は照明の説明で使われる配光曲線の例である。反射面が実際は正反射する事は少ないかもしれない。球面の中心点Oに対して入反射角が等角であれば、正反射と言うのだろう。しかし反射面に対して垂直に入射した光がどのように反射するかと言うと、完全拡散面では、図のように光度 I[cd(カンデラ)]の方向分布強度が I_0_ cos θ = I_θ_のようになる。だから実際の球面鏡での反射が図のように正反射になる事は無いだろう。しかし、少なくとも中心Oを焦点とした解釈のように、Oに集まると言う事はさらにない筈だ。数式での解説に頼り過ぎない事も大切かと思う。

問題の観測予想図を示す。球面内の正反射だけで、予測してみた。コンパスと定規だけでの『用器画法』により描いてみた。おそらく反転像が見えるであろう。球面鏡の予測像あくまでも想像の像である。球面鏡があれば確認出来るが、残念である。赤の光路Rおよび緑の光路Gがそれぞれ平行線での入射光路を考える。その場合はそれぞれ2回の正反射で、R’,R”を通って、RおよびG’,G”を通って、Gへと反射する。目に入るにはB点でR’とG’が反転反射図(点線で囲んだ図)のように反射点が入れ替わらなければならないだろう。しかし、目の位置で、その像もどのように変化するかは不明だ。曖昧な解釈で、済みません。何方か明快な答えを出して下さい。

花が光か 光が花か

花は光に  何故か図の挿入を拒否される?挿入が出来た。

世界で光を見るのか、光で世界を見るのか。考えればますます難しくなる。どうもいけないね、禅問答のようになる。光は捉えきれない。その意味はエネルギーを計測できないから。教育の場ではプランクの輻射式が物理学理論の論拠として論じられる。式を見れば何故そんな式で光を解釈できるのだろうかと頭が痛い。部屋に君子蘭が咲いている。電球の温度が光の放射を決めるらしい。プランクの放射則は白熱電球の分布波長スペクトラムを表現したものではない。黒体と言う特殊な発光体の放射則である。スペクトラムは壺の場合は、その壺の空間形状が光の波長を決める要因になるから、図の白熱電球の場合とは波長分布で違いが有る筈だ。プランクが指摘したように、黒体の放射スペクトラムは連続でなくて、不連続と言う。それは黒体の内部空洞での光の反射収斂波長がその空洞によって決まるからだと解釈する。それは原子、分子の構造空間に因る放射スペクトラムにも同じことが言えよう。フィラメントが二重コイルなら、幾らかそのコイル形状による熱エネルギー貯蔵空間が波長分布に影響を与えるであろう。電灯では、式と図の放射光分布は異なる筈だ。式はなんか味気ない感じがする。花を眺めてその花の気持ちを思えば、式などどうでも良いと思う。花を眺めただけで、そこに展開される光の不思議を十分に感じ取られる。光に色が有る訳ではない。その白熱電球が放つ光を花は受ける。花に色が有ると感じて、人はそれを慈しむ。花の色が白熱電球の色と同じならどんなに興ざめかと。花は花の思いを世界に届けようと必死に見える。それぞれの花が形と色を、自分らしく誇って示す。花弁のどこでどんな物理的エネルギー変換をして世界を創っているのだろうか。波長変換の仕組みを物理的な自然力として受け止めて理解したいが、自分には非力で無理である。花の花びらに入射した光を細胞から再放射するから人は花に色を見て、花の心を受け止めると言えよう。花の表面の微細構造内の空間が光の波長を変換していると解釈する位しか出来ない。光が世界を造るのか、世界が光を創るのか。

熱輻射理論に関する考察

光とは何か?-光量子像ーで光量子一粒の空間エネルギー像を示した。今でもプランクの定数の意味を感覚的に捉えきれないでいる。その最も大きな疑問点は光の波長と原子寸法の関係である。可視光線が3800~7600Å(オングストローム)の波長であるのに対して、原子構造のおおよその寸法が数Åでしかない。どうしてもプランク定数が光を考えるに不可解な数に思える。

写真593

写真594

 

上に示したファイルは、古い考察の紙片である。プランクの輻射理論に対する疑念を表明した原点でもある。ファイルの式(1)と(2)は物理学古典論文叢書1 『熱輻射と量子』 東海大学出版会、1991年第7版 p.239. のM.Planck の式を書き表した。式の意味を解釈するとき、その次元を理解しなければならない。しかし、その式(1)と(2)の次元は技術的に測定不可能と判断せざるを得ない。対象が『黒体』と言う坩堝のような発熱構造体に関する光分布スペクトラムの測定と言う事になっているようだが、どのように式の示す次元の物理量を測定するのだろうか。測定の仕組みが納得出来ない。(3)と(4)式は光一粒の空間像を自分なりに解釈した表式である。プランクの定数はそのまま使っているが、数値や意味に納得している訳ではない。このような現代物理学体系に対する根源的な批判は科学者理論には許されない事かも知れない。しかし測定をどのようにするかを確認する事が最初にする科学的論理であろう。この記事は単純な電灯の配光曲線を考えながらの寄り道である。

プランクの輻射式の解剖 折角なのでここでプランクの式を簡略化した結果を示す。

プランク輻射式の解剖

 

写真596

この表式は温度による変化を一本のグラフで表現できる簡略性がある。上に示した特性のグラフがそれを表す。絶対温度1000Kであるが、温度が変化してもグラフの形状は変化しない。ただ、最大強度の波長λmの値が温度に因り変わるだけである。1000Kでは、可視光線が含まれない結果になる。この事は、ヴィーンの変位則をプランクの式に統合した結果であるから、ヴィーンの変位則に問題が有る為の結果と見られよう。その点の考察はしていない。また、プランクの式でよく論点に挙げられる指数部のー1の意味など不要である。この資料は既に公開済みのものである。

ヴィーンの変位則の考察 式は λmT=2.9×10^-3^ [mK] である。例えば、可視光線の中心波長  λm=5550Åとすれば、その時の絶対温度 T は5225Kとなる。余りにも実情と違い過ぎるのではなかろうか。

低温光源 発光源が高温度に因る現象が上の場合である。しかし、ネオンサイン、蛍光灯およびLEDと熱源発光現象でない物になっている。LEDの放射法則の公式を編み出してこそと思う。

君子蘭

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今年は早い冬の到来であった。12月に積雪を迎えた。1月は東京に雪を降らせて、春の気配を感じさせた。君子蘭がその季節の移ろいを示した。二鉢の花を飾る。IMG_0642この蘭は葉の細い姿が上品でよい。右の花芽が二つ出た蘭。鉢の植え替えで根を殆ど落としてしまった。その為の頑張る姿か?

 

 

 

 

 

 

ほぼ満開の君子蘭。花の根元からの高さ65cm。満開の全容花高さ65cm

統一原子質量単位の意義を問う

原子ー原子量ー原子質量単位ー統一原子質量単位と様々な用語が有る。2006年に統一原子質量単位と言うものに国際的な公式単位系に決められたようだ。その単位は、[u]と言う。何かとても仰々しく思えて、その意義が理解できない。原子質量単位[a.m.u.]が非公式で、今度は統一原子質量単位[u]が公式単位に決まったと言う。そもそも、原子量とは何かである。炭素12Cを基準にした比較量らしいが、何ケタもの数値で、正確であるが如くの表示自体が信じられない数である。原子量をどのように判定するのかさえ信じられない。実際に計測した値とは思えない。仮想的評価に基づいた数値ではなかろうか。大体の値で、もしアボガドロ数との関係で捉えるならば、大よその原子量単位[g(グラム)]で十分と考える。金属原子にアボガドロ数と言っても、1mol の意味との関係も不確かであると思うから、もっと市民が理解できるような解釈に統一する事を優先すべきであろう。専門家独自の厳密性など、余り当てにならないと考える。アボガドロ定数とは何か

金属原子の寸法を問う 原子量(統一原子質量単位と同じ)とアボガドロ定数  の関係について。初めは、1 mol (22.4 リットル)の空間体積中の気体ガスの数量(気体ガス分子の分子の個数)がアボガドロ定数と言う数量的解釈になっていたと思う。しかし、金属の場合は、余り 1 mol の体積と言う意味は無いと思うが、アボガドロ定数だけはどんな原子量に対しても気体と同じように成り立つ。即ち原子量をアボガドロ定数で割れば、どんな金属原子の 1個の原子の質量も(gグラム値で)得られる。ウラン235も、銀も原子一粒の質量が算定できる事になっている。そこで、市民的科学認識で考える疑問がある。専門家には単純過ぎて失礼かもしれないが、例えば銀やウランのアボガドロ定数に相当する原子の占める空間体積を明確に示して欲しい。原子の空間的寸法が分からなければ、プルトニュウムも水素もその原子構造の大きさの概略が分からないでは話にならない事であろう。話にならない科学論は排除しなければならない。原子の存在する空間的認識が不明確のままでは、原子論などの科学論への市民的合意・参加が出来ない。具体性の欠けた抽象論を噛み砕いた具体論で解説する義務が専門家に課されている筈だ。
もう一つ疑問がある。ヘリュウム原子は不活性ガス状態と言う。分子結合でないと思う。ヘリュウム原子と水素分子は原子量とアボガドロ定数の関係をどう解釈すれば良いのだろうか。ヘリュウム原子の場合は1mol でアボガドロ定数で算定する数量と解釈するのだろうか。

焚き火と蝋燭

焚火と蠟燭次々と分からない事に自分なりの解釈を重ねてみる。膨張に熱が隠れる極意かな」は2年前の年賀はがきの版画である。熱エネルギーが気体分子運動論で解釈されているのが現代物理学の常識論である。大学の理学系で仰々しく取り扱われている内容である。しかしそんな理論は理解できないし、間違いであるとの思いを表現した版画である。右の蝋燭は同じく熱エネルギーがともし火の光となる意味を考える絵図に描いた。

燃焼過程燃焼の化学式は

C + O2 =CO2 + E(熱、光エネルギーあるいは圧力・膨張エネルギー) のように書き表されよう。

薪も炭も蠟も燃焼時に高温度でガス化して、その燃焼成分の炭素 C と酸素 O の化学的結合として、エネルギー E を発生すると考える。その解釈が教科書での燃焼説明になっている。私はその解釈に納得出来ない。先ず化学式では、炭素も酸素も幾ら燃焼しても、その元素は増減しないとの前提での式と観れる。エネルギーEは燃焼エネルギーとして、丁度原子核分裂原理の核の結合エネルギーの開放と言う解釈に似て、魔法の力の如くエネルギーが放射されるように見える解釈である。原子核分裂では、結合エネルギー(この意味も捉えようのない用語である)と言うが、質量欠損としての意味は含んだ解釈になっている。だが、焚き火の燃焼現象は、どうも質量の変化は認識されていないようだ。様々な元素と酸素との結合が燃焼としてのエネルギー解放に利用できる。それぞれの元素ごとに燃焼の熱量が決まっているようだ。燃焼とは何か

燃焼とは何か 何故そのように燃焼熱が決まった量で発生するのかが不思議だ。その解放エネルギーの意味を理解する事が燃焼現象の物理的解釈であろうと思う。IT検索すると、詳しく燃焼熱量の数値が示されている。それがどのように確認された値であるかは、実際に実験して測定しないと必ずしも正しいとは確認できない。なかなか実験は難しいと思う。燃焼の意味を理解するには、逆に木材・石油などの燃料が太陽光線によるエネルギー蓄積で、この地上に生まれた訳まで遡って理解する必要が有ろう。それも難しい事ではあるが。ただその中でも植物の光合成の事はある程度分かっている。植物が地上の生命を育む為に、太陽からの光エネルギーを質量として変換して、その御蔭で全てのエネルギー連鎖が可能になっている訳である。考えて見れば不思議である。地球が生命を育んでいる訳ではない。全てはその太陽系の中心に在る太陽と言う『お日様』の御蔭なのである。地球の心臓部は地球の中心に在り、更にその系の中心の太陽がすべての生命を育んでいるのである。太陽電池も太陽光線を如何に効率良く取り入れて、エネルギー変換するかの技術として見られよう。シリコン表面から太陽光線を取り込む技術と見られよう。燃焼現象も太陽光発電現象も、どちらもエネルギー変換・獲得技術である。どちらもエネルギーに変わりは無い。

植物光合成 CO2 + E(太陽光線など) + 諸成分(水、土・空気中成分)= C(植物構成細胞成分リン、硫黄あるいは窒素など) + O2 + H2O

上の文章式で、光合成の意味を自分なりに表現してみた。

燃焼熱・光放射のエネルギーはどこからもたらされたか? 質量変換以外なかろう。質量とエネルギーは等価であるから(2018/02/13)。