月別アーカイブ: 2013年1月

電気式木炭暖房

電気式木炭暖房

遥か昔の思い出に合う。電気磁気学と言う学問を世間的世界に引き戻されたような思い出である。オームの法則を解剖してみようと思った。抵抗とは何か?白熱電球もエジソンの発明した電気技術の宝物である。白熱電球はもう製造されなくなってしまう。木炭に電圧をかければ、赤く燃えだす。電球のフィラメントと同じ電気現象である。赤いと言う事は光放射現象である。中学校の狭い屋根裏部屋のような所で、悪戯した思い出である。

タングステンフィラメントが白熱電球の心臓部である。エジソンが京都の竹を焼いた物を電球の発光材としたと聞いた。それは炭である。何故炭が発熱・発光体として有効なのだろうか。それが現在はタングステンになった。エネルギーの光変換特性が優れており、材料の蒸発消耗の少ない物がタングステンである。おそらく抵抗としての材質で、炭とタングステンに共通した特徴が有ると考える。発熱・発光現象の基本をなす特性はその材料に隠されていよう。それは「材料の空間的空洞でのエネルギー貯蔵特性」に優れている点であると見る。それは「超伝導現象」の意味にも通じる物が有ろう。抵抗材と超電導材との基本的違いは、材料の結晶構造や空間構造がエネルギーの貯蔵性に優れているか、貯蔵を拒否して反射性に優れているかの違いであろうと解釈する。この視点は、オームの法則を解剖するときのヒントになる筈だ。その為の資料として、古いいたずら実験を採り上げた。

トランジスタの熱勘定

物理学における『熱』が極めて重要な意味を秘めているように思われて来た。その熱の意味をトランジスタの熱勘定として考えてみたい。半導体物理学の解釈理論はとても難しい。まず挙げれば、フェルミレベルと言う用語が有る。それはダイオードはじめ、トランジスターの熱特性あらゆる半導体理論(バンド理論)の根幹をなす基本用語である。そんな基本用語も意味を理解できない。難しい理論はその具体的空間像が示されていない。高度な抽象化が理論の価値が高いと見做されているように見える。半導体結晶が有り、その原子結合の空間的解釈が電子質量の運動エネルギーの増減で捉え、不純物原子によるシリコン原子結合配列の乱れを引き起し、その結晶原子配列内の電荷配分の乱れを原因として、その状況をバンド理論と言う表現形式で捉えていると思う。理論が理解できないのに、その意味を言葉で表現し、解釈しようとする事自体が無理なのであるが、自分なりにバンド理論の意味を解釈して見ればそんな意味かなと思う。しかし、代弁してみても理論の意味が理解できない。不純物原子の量をどの程度に増減すれば、『フェルミレベル』がどのように変動すると言う実験的データが得られれば、それは信じられる。しかしそんな事は全く出来ない事であろう。だから「バンド理論」は仮想的な解釈理論でしかなかろう。技術開発はおそらくそんな理論など無くても、進展するものであろう。何十年も前に感じた疑問の一つを思い出した、それがトランジスタ回路のTrのコレクタ側のnp結合で熱の吸収が生じる事である。先日ダイオードの電荷分離作用は何か?(クーロンの法則を斬る)で課題として残しておいた疑問が切っ掛けである。トランジスタで、2SC・・型のnpn接合等のコレクタ部で、吸熱現象が起きるようだ。

吸熱現象とダイオードの作用 バンド理論で、その熱の行方や現象が説明できるだろうか。今でも矛盾概念としたにもかかわらず、電圧や電流でしか説明のしようがない。そこで、コレクタ電流I_c 、ベースコレクタ間の電圧V_cb とすれば、コレクタ側の接合部の電力は I_c V_cb で、電力が負となる。それは電圧が負で、そのダイオード結合部(np接合)に電流I_cをコレクタからベース方向に流すには無理である。その順方向はベースからコレクタ側に流す向きの筈である。そのnp接合部は電流が流れない筈である。何故逆向きのONでありながら、反対向きのコレクタ電流が流れる事になるのか。普通のダイオードの導通原理と逆であるから。その訳が理解できない。その電流導通の為に熱エネルギーが必要となっていると看做せよう。ここに熱エネルギーと電気エネルギーが同じものと観える。古い技術の三極真空管が有る。それは熱陰極で、カソードからの放射エネルギー(電子と考えていた)が熱エネルギーと思えば、真理に繋がる解釈になるという思いが強まり、希望が見える。

消えた記事のうち、重要と思う事を記したい。『熱エネルギー』と『電気エネルギー』あるいは『光エネルギー』はすべて同じく、違いの無い『エネルギー』である。その『熱現象』をIT検索すれば、『ペルチエ効果』、『トムソン効果』あるいは【ゼーベック効果】等が出て来る。トランジスタの熱現象と同じく、全てが『電荷』概念で説明されている。それらの『熱現象』が利用されているから、サーモスタット等で電化製品の温度制御も可能なのである。現象が利用できれば、その経済的競争と利益に役立つ。しかし、教育にその現象を取り入れたとき、「何故か?」と言う『問答』が欠けている。何故、『熱』と『電荷』が結びつくのか?の『問答』がない。エボナイト棒の摩擦による熱エネルギーと同じ意味で。未来の子供たちが深く自然を見つめて、考える未来の為に『問答』が欠かせない。教育現場と体制が、内容を増やした詰め込み教育で済ませば、深い思考に繋がる意識を阻害するのである。兎角理論は怪しい事を訴えたい。

自然は『光と舞台空間』

自然はとても大きな意味を含んでいる。宇宙の果てから、ウイルスの生命まで広大な具象の世界である。それを理解するのに数式で捉えきれない事は分かっている。

空間定数のベクトル評価 ここに示すファイルは日本物理学会第64回年次大会(2009)で作成し、事情により発表出来なかった資料の一部である。講演概要集第64巻で、標題:プリズムと光量子の分散(p.405) およびエネルギーが質量の素(p.20)の2つに関する物(勘違いのようですみません。2006年第61回の光量子エネルギーのベクトル解析と力密度 f=rot(S/v)とベクトル算法の関連資料でした。ベクトル算法で気付きました) 。上の①図は空間定数が電磁エネルギーに対してどのような意味を持つと解釈するかを示したものである。クーロンの法則を斬るの冒頭で論じたマックスウエルの電磁場方程式が無用の長物だと論じた意味も上の図の中に在る。資料4枚程で説明しようと思う。先に投稿様式が間違っていて、再投稿になる。

兎角自然科学は、狭い専門領域に細分化され、特殊な専門業界にしか通用しない様式での解釈の狭量意識に囚われ過ぎてしまった。それが現代科学の姿に見える。誤解されそうだが、私が主に論じる対象分野はすべての自然科学の論拠となる基礎概念に関するものである事をお断りしておかなければならない。それは理科教育の教科書の内容に関する物になろう。応用科学は凄まじい勢いで、進展し続けている。例えば、医学生理学や情報関連技術の研究対象は私が論じる批判対象ではない。あらゆる自然科学の根底として、理科教育で対象とする内容について論じている。ただ、それが「素粒子論」になると、最先端の研究内容そのものが批判の対象になるのである。大学が『電荷とは何か?』『光の振動数とは何か?』に真剣に答えようとしないからである。

自然科学は日常生活の場面で、市民が理解できる『言葉』で解説できなければ、その専門性は疑わしいと考える。そんな意味から、自然世界を解釈する基本的視点を示したかった。宇宙の果てから、ホタルイカの世界まで光が満ちている。光が直進すると言う意味一つを考えたとき、放たれた光はどこに旅立ち、どこに収まるか。その光一粒は世界の実在物理量である。決して消滅してしまう訳ではない。何処かで何かに代わるだけで、新たな世界の一部として変換されてゆくだけである。『万物は輪廻転生』の世界であると言う東洋的解釈が有る。世界を大まかに捉えるには、光を介して広大な宇宙を舞台とした輪廻転生の姿としてとらえる視点が欲しい。前の記事、空間が世界を創造するで、世界とは?空間とは?その素原『エネルギー』とは?等とその極限物理量光との関係を考えて見ようとした。ここでは、全ての世界の根源は『光』一つのエネルギーの極限的実在物理量で構成されていると言う基本認識で論じている。光が素粒子である。光量子エネルギー分布 上の①図のエネルギー空間分布δq(r,t)は光を取り上げれば、②図の光一粒の解釈量である。このエネルギー空間分布式については、光とは何か?-光量子像ーにその意味を解説した。そちらをご覧いただきたい。

その光を光量子エネルギーと観たとき、そのエネルギーの速度は『光速度』と言う空間の特性によって決められる値になると見る。その速度が空間定数値で決まる意味を③図に表した。光速度ベクトル③図のベクトル計算で、単位ベクトルの取り扱い方が普通の数学と異なるかも知れない。(自己流解釈?それは、ベクトルの逆数を、分数をどのように解釈するかの数学的規定が無いので、自分なりの規定に基づいたためであろう。数学での「ベクトル計算」は具体的目の前の『空間』を考えるより、抽象的なベクトル概念での解釈になっているように思う。例えば微分演算子rot x などでも、ベクトルxを空間の長さで微分する訳であるが、空間の長さをベクトル量と意識して計算しているだろうか。長さは、その対象空間の方向性を加味した長さ(ベクトル量)として捉えないと抽象的で、曖昧な空間論になり易い。ベクトルでの割り算の問題と思う。)

光を含めた電磁エネルギーが空間を伝播するとき、そのエネルギーには空間的軸性と直交性の二つの特性が存在すると見られる。上に述べた事を空間上に表現してみれば④図のようにまとめても良かろう。エネルギーのベクトル性以上がエネルギーの舞台空間での振る舞いに関する大まかな捉え方の解釈です。

空間が世界を創造する

空間が世界を・・我々は光によって世界を理解する事が多い。科学論では『光』の解釈が重要な課題になっている。光の速度を『光速度一定』と理解している。光を理解するには、何故一定の光速度であるのかに疑問を抱く。それは、何故生命がDNAで決まるのかの疑問と同じ事かも知れない。

世界は空間が支配し、創造する。光の速度を決めるのは人間でもなければ、科学論でもない。色即是空そこに在る「空間」が造り出している。その自然の意味を簡便に表現したのが 色即是空 空即是色 の東洋思想と見たい。『空』は空間で、その極限が真空と看做せよう。『色』はその空間に作り出されて、存在する全ての実在物と看做せよう。光も『色』の一つの実在の姿である。勿論質量と言う姿もその一つの形式の創造物である。

空間を考えると、自然科学・科学技術で真空透磁率 μ_0(=4π×10^-7^)[H/m] 、真空誘電率 ε_0[F/m] が空間と物理単位の関係を定義付ける基に成っている。光の速度もこの二つの定数が規定している。だから、世界は「空間」がすべて支配し、創造していると見る。ここでは数式での解説をしない心算であった。ここに資料を示したいが、自然は『光と舞台空間』に載せた。

クーロンの法則を斬る

(2020/5/4)追記。力の概念と電気物理 (2019/5/21) なぜ今まで「クーロン力」の力の物理的概念矛盾に気付かなかったのだろうか?科学パラダイムの恐ろしさを覚える。

物理学理論の中で、電気磁気学がその主要な基礎をなしている。なかでも『電荷』に基づく基本法則が『クーロンの法則』である。電波伝播の基礎方程式を理解するには、マックスウエルの電磁場方程式で解釈するのが普通である。そこでも空間の変位電流と言う『電荷』概念に基づく解釈が求められる。ここで取り上げたクーロンの法則を斬るの標題は『電荷』の実在を否定する立場から、その基本法則と言われる『クーロンの法則』を取上げて、その曖昧さや論理的矛盾を論じて、電気磁気学の根本から、その解釈の誤った全体像を明らかにしようとするものである。(要点として未来の方向性を示せば、次のようになろう)現行教育では、電磁気学のまとめで、マックスウエルの電磁場方程式が重要な学習の要点に成っている。しかし、光の放射現象で、「配光曲線」等の空間分布特性は『エネルギー』の放射現象として、そのまま『電磁エネルギー放射特性』と解釈できる。エネルギーの空間伝播現象が理解できれば、難しそうに見える電磁場方程式など無用の長物である。元もと、電磁波は電界・磁界などの横波解釈(シュレーディンガー波動方程式の正弦波解釈)は誤った仮想概念でしかなく、すべてエネルギーの進行性の縦波で解釈すべきである。だから、振動数と言う意味も横波解釈の仮想的な概念に基づいて定義されたものである。光エネルギーの光速度伝播は「ポインティングベクトル」で理解できよう。電気照明工学の光照射論を学習すれば、電磁エネルギーの縦波伝播の意味が理解できる筈である。照明と配光曲線が参考になればと思う。私がここに述べた事の論拠として、新世界への扉ーコンデンサの磁界ーの記事を上げておこう。

クーロンの法則『電荷』が素粒子理論等の現代物理学の最先端の研究でも、その概念の曖昧さにもかかわらず、ただ存在が暗黙の事実として認められている。クーロンの法則 は 1785年に、 Coulomb’s law として、フランスの物理学者 Charles de Coulomb によって唱えられた法則のようである。上にその法則の意味を数式で示した。電荷間に生まれる力関係を表現したものである。空間の誘電率と二つの電荷間の距離 r の二乗に反比例すると言う意味で解釈される。『電荷』そのものが、質量に付帯する物なのか、独立に存在しうるものなのかさえ明確に出来ないのである。その存在が不明確でありながら、電荷間に遠隔作用力が働くと言うのである。電荷の間の空間の状況がどの様であるかを明確にしなくても、距離の逆2乗則で力の大きさが決まると言うのである。ここでの『遠隔作用力』とは、二つの物の間の空間の関係はせいぜい誘電率で関係づけて、単に離れた物同士の間の距離だけに因る、遠隔的に作用し合う力の意味で捉える。『電荷』が空間に存在した時、その電荷の周辺の状況をどのように捉えるかが極めて曖昧である。電荷は空間的に独立して空間体積を占める物かと尋ねても答えられないのである。大きさが無い物では、その実在性は主張出来ない筈である。存在は空間の体積を占める。『負電荷』が電子に付帯するなら、電子の質量との空間的付帯状況からの関わりを説明しなければならない筈である。以上の空間に存在する『電荷』の状況を考えるには、一つの図面を採り上げて考えたい。電荷とクーロン力

この図は以前『電荷』と言う虚像で取り上げたものとほとんど同じである。先ず空間に電荷Q[C]が有るとしよう。その空間の誘電率がεとする。電気磁気学では電荷から四方に電気力線が放射されていると解釈される。基本的な問題として、空間に電気力線が有れば、その力線が持つ意味はエネルギーを伴うと解釈すべきである。その空間のエネルギー密度を w(r) として図に記した。前に述べた『遠隔作用力』はエネルギーの存在する空間なら、その空間のエネルギーとの関わりから、『近接作用力』と解釈すべき物になる筈である。その意味で、『電気磁気学基礎論』が空間のエネルギーの存在をどのように解釈すべきかが問われている。(2016/05/09)上の図の数式が理論として考えるのに重要な共通理解の基本と看做される。しかしそんな式で表されるような数量を確認する方法など無いのである。理論は数式で書き表すと如何にも真理であるかの如くに強制的に信じる事を要求する。殆ど当てに成らない数式なのであるが、理屈上論理的であるが如き形式論に成っているのだ。実際クーロン力の数量など計れない現実である(追記)。それが『電荷』そのものの存在性、実在性をはっきりさせる基本論点になる。クーロン力は原子構造論の基本的拠り所であるにもかかわらず、その論理性が問われている。2011.03.11 の原発事故がその物理学理論の根底をも揺さぶる事になったと考える。

物理学理論の論拠である『電子像』を問う。(電子の空間的実在性の真偽をただして) 何点かに分けて考えてみたい。①『点電荷』の寸法と意味。 ②『電荷』は中和するか。 ③『電荷』と雷の関係の矛盾。 ④原子構造論の周回電子像の矛盾。 ⑤『電荷』金属遮蔽と磁界矛盾(この内容は、クーロンの法則よりも『電流と磁場』の観点となるので、別に投稿する)などの観点から考えてみたい。

①『点電荷』の寸法と意味を理解できるか? クーロンの法則の解釈に、『点電荷』と言う用語が使われる。前出の図の電荷Q[C]は点電荷と言う。その大きさはどの程度と認識するか。空間的存在を理解するには、その大きさが欠かせない。元もと人間が大きさを捉えるには、目で見える大きさの範囲が基になる。しかし、原子や光子の話になるとその基準は役に立たない。空間寸法も『相対認識』の量である。蚤が見る世界と人が見る世界の違いや、太陽系外から見る世界と顕微鏡を覗いた世界とは異なる。『点電荷』の点がどの程度の大きさと理解すれば良いかは抽象的概念と具象的概念との違いに関係すると言う意味で、考え方を明らかにしておく必要があろう。『点電荷』と言う、その点の大きさ定義しないで論じる事は、科学論の論理性を無視した無謀な科学論になる。何故『点』に拘るかは『電荷』の曖昧さを質すに大切な論点になるからである。『電荷』の最小基本量は幾らか?長さにも大きさの最小基本量は無い。何処までも小さくなる。だから『電荷』にも基本量は無くてもかまわないと言えるかという問題である。長さは実在性を測る物差しである。『電荷』を測る物差しが有るかと言う問いである。『電荷』は存在しないから決して測定できない。ましてやクーロン力を測れる筈もない。以上『点電荷』から自分勝手な論法で、『電荷』概念の曖昧さを質してみた。数式無しの言葉での反論を期待したい。素粒子論の最先端の研究者に聞けば、きっとそれは「波のような物」であるから、もっと勉強をしてから考えなさい。と言うであろう。この問題を『電子像』に関係づけて、まとめてみた。電子概念と仮想像図の仮想電子像は、教科書的な意味に近い電子の像を考えて表現した。電荷と質量の分布をどう表現するかも困難である。その電子が青い外周線で、その影響する範囲がどこまでかも分からないが、その領域も記してみた。それは電界(これも存在しないが)と言う領域の話に繋がる。

②『電荷』は中和するか? プラスとマイナスの電荷が合体したら、その合体物は『電荷』の無い電気的中性体となるか?と言う疑問への物理的解答が欲しい。自然科学の研究は、新しい発見によって新たな発展を促すものであろう。しかし、過去の知見、特に基礎概念など、を全く否定するような科学研究は殆ど受け入れられないのが通例である。それは今までの研究者の功績を否定することに繋がるから。科学研究集団は、その過去の成果を互いに賞賛することにより、より集団的力の強化を経済的利益の裏付けの為に望む本質的特質を備えているから。だから、『電荷』を否定する論理は学術研究集団にとってはとても邪魔なものとなる。一般に、科学的発見は過去の知見を否定することなく、新しい解釈を積み重ねる手法が主流となり、古い法則もそのまま温存しながら、差し障りなく新しい研究分野に集団化するものとなる。『電荷』など有ろうが無かろうが、そんな利益が得られない事柄に関わる暇も考える意識も無いのが、最先端の科学研究者の実情である。理科教育が子供に為になるとか、役立たないとか、嘘であるとか、そんな事を考えるより、勢力が拡大することが当面の目的である。

誰かが『電荷』など存在しないと言わなければ、科学理論の本当の意味が社会に認識されない。怪しい(曖昧と言う意味で)研究に多額の財政負担の負荷が掛けられる事になる。『真理』や「平和」は実現するのがとても難しい。『電荷』にはプラスとマイナスが有る事になっている。それでは、プラスとマイナスの電荷の空間的存在形態の違いを明確に定義づける必要があろう。当然であるが、専門家(特に素粒子研究者で、プラスとマイナスの電荷の存在を肯定する人)は、決してその違いがどの様であるかは論じないし、答えようとしない。専門的研究者に属さない自分のような者が言うのは気が引けるが、素人の論理で『電荷』のプラスとマイナスの意味を探ってみた。電荷が中和する?『電荷』にプラスとマイナスが有ると言うが、その実体は何かが問われている。上にプラスとマイナスの電荷が合体したら、電気的に中和して、電荷が無くなると考えたい。電荷が無くなると言う事は、自然界には長い間で電荷の存在が消滅する筈と思う。上の(1)で、勝手な想像をしてみたが、電荷が消滅する説明にはならない。(2)の電気回路の例題が一番『電荷』のプラスとマイナスの意味を説明していると思う。ー投稿途中でIT遮断されるため、中断するので途中公開するーこの電気回路で、ダイオードで整流してコンデンサを充電したとする。電気理論によれば、コンデンサにはプラスとマイナスの電荷が蓄えられる事になっている。電源電圧の最大値と同じ電圧までコンデンサの電圧が充電される。コンデンサの容量をC[F(ファラッド)]とすれば、貯蔵される電荷量はQ=C・V_m_[C(クーロン)] となる。ただし電源電圧ピーク値 V_m_[V(ボルト)] である。コンデンサの上下の電極表面にそれぞれプラスとマイナスの『電荷』が対極的の貯蔵されると解釈される。そこで電源側のスイッチを開く(OFF)。次にランプ負荷側のスイッチを閉じる(ON)。さて、コンデンサに蓄えられた『電荷』はどのような事になるだろうか?私自身が、半導体の回路に少しは詳しい専門家らしい真似事をしていた。しかしこんな単純な回路で『電荷』の意味を考えた事は無い。コンデンサの電荷がランプの中で合体して、燃え上がる為、発光放射現象を引き起すとでも解釈すれば良いのだろうか?こんな電気の物理現象は、「理科教育」のとても良い例題になると思う。『電荷』の本質の理解と『エネルギー』の深い意味の理解の為に。ランプで起こる現象は、電気技術的な解釈では、ランプがエネルギー変換装置として、コンデンサの貯蔵エネルギーを空間に『熱』と『光』として解き放す放射現象の役目をしているのである。コンデンサの『電荷』のプラスとマイナスがためられて、その電荷が中和したからランプからエネルギー放射が起きたなどと言う理論は全く理解できない事である。『電荷』などの役目は破棄すべきだ。電荷中和問題で、図の(2)電荷はどこに消えるか?でダイオードの整流動作の意味が分からなくなった。ひとつ後の考察材料として、挙げておこう。ダイオードの電荷分離作用先日ダイオードの動作原理を検索で確認した。私が、工業高校で初めて担当した科目が電気科の『電子工学』であった。当時は、未だ教科書は『真空管』回路が主であった。ダイオードやトランジスタは参考程度の走りであったように記憶している。しかし、フェルミレベルや伝導帯、空乏層あるいは禁制帯などの専門用語を何とか理解して教えて来た。しかし、今になって検索しても、昭和39年当時と同じ説明しかなかった。当時教えていた事は今自分が分かっていない事を伝えていただけであると反省せざるを得ない。右図で、トランス2次側には、何処にも『電荷』のプラス、マイナスが初めからは存在しない。しかし、ダイオードを通して電源電圧を整流するとコンデンサにはプラスとマイナスの『電荷』が分離されて蓄電されると言う解釈が常識になっている。こんな当たり前の単純な電気回路でも、私には理解するに、難しい意味を含んでいるように見える。ここでは理解が十分でない私の事を挙げておき、後ほどの課題としておきたい。(2018/11/25)追記。5年後の現在、このダイオードとコンデンサと電荷に関する認識が明確になったと思う。それはダイオードの機能とコンデンサとエネルギーと電荷(2017/08/31)に纏まったかと思う。課題の解決として。

③『電荷』解釈の雷矛盾 雷は天候が荒れる時に起こる。雷雲が生じ、そこから稲妻の発光現象として見られる。ベンジャミン フランクリンが凧を揚げて電気現象である事を突き止めたと伝説に成っているようだ。荒天に凧上げ、更にビリビリと電気を感じて確かめたと言う話は信じられない。感電死間違いない。雷は電気現象として、高電圧工学の調査・研究対象となっている。自然現象は殆どその原因を『電荷』にその理論的論拠を求めている。それ程『電荷』と言う概念は便利である。余りの便利さから、『電荷』の本質を探ろうとはしないで過ごして来た。学術・学理・学問は高尚で、深遠である為、簡単に素人が取り付けない分野であると見られている。雷の正体で、雷は水蒸気の熱エネルギーの空間放出量の限界に起きる現象であると唱えた。まさか、水蒸気の話では、高尚な学術・学理の問題とは言えなかろう。雷が電気現象であると言うのが現在の学術論であろう。しかし、雷の姿はその「稲妻」の発光現象に在り、それに物理的解釈を下すことが重要であろう。『電荷』がどのような物理的論理で、光変換現象を引き起すかの説明であろう。私も衝撃電圧の実験をしていたが、『電荷』の実在性に疑問を持つような事は無かった。「在る」のが当然という固定観念に囚われていたからである。理論の根底に疑問を持つと、どこまでもその究極に迫る事になる。自然の仕組みが少し見えて来ると、感覚で判断しても余り誤った結論に惑わされる危険はなくなるように思う。高尚な数学的論理式が正しい自然感に導く事は期待出来なかろう。『電荷』の意味を考えるのに、何が光変換するかの図を挙げておく。雷と電荷

何度も取り上げたような題材で少し申し訳ない。冬のドアノブの火花や雷は「電気現象」と解釈されている。静電気と言う『電荷』問題でもある。しかしその本質を噛み砕いてみると、以外に別の観方ができるようである。雷の現象を調べるのが高電圧の発生装置で、衝撃電圧発生回路である。その簡略図が①の平板ギャップ放電回路と見做せる。実際は多数のコンデンサとスイッチSの組み合わせの並列・直列切り替えにより、瞬時に高電圧を発生する回路構成に工夫されている。等価的には図の①で解釈できよう。スイッチSオンで、コンデンサの貯蔵エネルギーが瞬時にギャップに供給される。そのエネルギー量がギャップで保持できない時放電と言われる火花放射現象を引き起す。それが「アーク放電」と名付けられる。前段の電荷中和問題での(2)のランプ発光とエネルギー放射現象としてみれば同じものであるが、状況が違う様に見えるだけである。この場合も、コンデンサの電荷がギャップに供給されて、プラスとマイナスの電荷がギャップ空間で、合体して電荷中和を生じ、光に変換したと解釈できるだろうか。電荷の合体中和が光放射現象を引き起すなどの理屈は全く理解不可能である。電気回路は電荷と電流 i で解釈されるが、電荷も電流も物理原理としては教科書的、教育現場用『仮想概念』でしかない。②の雷の『稲妻』火花発光現象も本質的には①のギャップ放電と同じである。ただ違いは、コンデンサのようなエネルギー源が無い。即ち電気的な閉ループが構成されていない。エネルギーが雷雲と地上との間の空間に貯蔵されていたものが、発光の引き金となる状況が生じて、一気にエネルギー放射現象になる結果である。火花放電と言う状況は空間のエネルギー貯蔵限界により引き起こされるもので、電気的な表現によれば、空間の『電界強度』が30kV/cm と看做されている。空間の誘電率 ε[F/m] =1/(36π)×10^-9^[F/m] とすれば、空間の限界エネルギー密度はw≒40[J/㎥] と計算される(初めに挙げた図の 電荷の意味とクーロン力? のw(r)の計算式を参照)。ここで雷と電荷解釈の疑問を採り上げる。②の拡大で③に示す。クーロン力は同じ電荷間には反発力として働く。だから『電子』などの負電荷同士が集中的に集まる事は論理的に矛盾した法則上の解釈である。同じ電荷同士は反発し、異種電荷同士が合体力を生みだす。と言うのが『クーロンの法則』である。空間で光放射現象に発展するには、相当のエネルギー貯蔵がされなければならない筈である。電荷が空間に『クーロン力』に逆らって、局所化するとは論理の矛盾である。

④原子構造論と周回電子像 物心がついた頃から、原子構造はこのようであると教えられて来た。それは誰でも知っている構造である。原子の中心に原子核が有り、その周りを電子が周回運動していると。?原子構造?

何故、このような原子構造であると決められたのだろうか?ラザフォード(Ernest Rutherford (1871-1937)  ノーベル化学賞受賞者) が1911年頃に、原子核の構造についての考えを提唱した。原子の中心に核として、陽子と中性子が有ると示唆した。しかし、電子が周回運動をしているとの解釈は、未だ定着していないようだ。すでに一般的には、電子で原子が満たされているとは考えられていたのであろう。誰が周回運動する電子像の解釈を提唱したのかは分からない。クーロンの法則が、すでに1785年に唱えられていたとすれば、物質が電子で構成されていると言う解釈はすでに科学的常識と成っていたのであろう。原子核の様子が少しずつ明らかになり、誰とはなしに、周回電子論が常識化して来たのであろう。結局、周回軌道電子像は現在も、量子論初め、全ての原子に関わる理論構築の基礎をなしている。周回軌道電子の運動エネルギーの増減で、原子放射光のスペクトル解釈をしている。

上に述べた事を、原子の数例について考えを纏めたので、次に示す。

原子構造の例

原子質量単位

(2013/2/4)の疑問追記は私の間違いでしたので削除しました。ただ、金属原子などにも、1mol のアボガドロ数との関係が成り立つ意味が理解できない。

1月20日は、大学入学試験が有った。自分が上に述べた事を考えると、これからの「理科教育」はどのようにあるべきかと、教科書との乖離に悩みも深くなる。先日(19日)も、NHKの教育番組で、MITの『電荷』に関する講義内容が放送されていた。その講義を聞いて、「エボナイト棒の摩擦」が電荷の実験的検証の題材に成っている。確かに摩擦をすれば、仕事に対するエネルギーがエボナイト棒に蓄えられると解釈できる。そのエネルギーは普通は『熱エネルギー』である。エボナイト棒の周辺空間には確かにその影響が現れている。そのエボナイト棒が他の物を引き付けるからと言って、それが『電荷』が原因であると断定できない筈である。確かに『エネルギー』もその空間的状況では、磁場のN極とS極のように、その回転流方向性として如何にも2極性を示す。だから、『電荷』もプラスとマイナスの2極性に見えるのであろう。その物を引きつけるからと言って、それが『電荷』と言う確認は出来ないであろう。『電荷』の空間的姿の認識も出来ないし、観察もできないのだから。熱エネルギーも電磁エネルギーも『エネルギー』と言う物理量から解釈すれば、同じものである。今までの物理学と言う世界は『電荷』の存在を基礎概念として自然科学の理論を組み立てている。本当に『電荷』の存在を未来の自然科学の『真理』として子供達に教えて行くのだろうか。

『共有結合』 原子構造で、その原子間の結合力・仕組みの解釈の合理性の問題が有ろう。その基本は周回電子が担っているとなっている。化学物質の結合手について、高分子結合まで『イオン結合』や『共有結合』など原子外殻に存在する電子がその役目を負わされている。その殆どは原子の外殻の負の電荷同士の関係で説明されている。もし、クーロンの電荷間の法則の力を自然界の『真理』とするのであれば、原子結合の論理性の矛盾を上げなければならない。クーロン排力の強力な空間領域でありながら、その影響は無視できると言はんばかりに、論理の矛盾を抱えた解釈に成っている。原子同士の強力な結合を実現する解釈法は原子表面の磁力以外は無かろうと考えた。その視点で『ダイヤモンド結晶』について考えた。炭素結合の秘め事

たった一つが

たった一つ

自然の豊かさは計り知れない。科学論で捉えきれない不可思議に満ちている。単純に、水が酸素と水素から出来ると言うその事が理解できない。考えれば、何も分からない自分を知る。しかし、その自然の豊饒な実相は、決して素粒子論の17個の要素から出来るなどと言う事は受け入れられない。豊かさは単純さが生みだせる道である。雷と水蒸気雷が「水蒸気」から生まれる事に気付いてしまった。たった一つは『エネルギー』である。光一粒も、水素原子も皆一つから出来ている。