雷の正体

正体と言う言葉の意味は、「表面的に捉えにくい隠れたその現象の本質」と言う位に解釈している。雷の本質は電荷に基づくとの解釈が専門家や電力技術者の間での科学常識である。ここでは、その常識に反論する事を記すのが目的である。雷は電荷には関係ない。この雷は『電荷』には・・の意味に戸惑う方は、『電荷』と言う虚像を後でご覧ください。『電荷』は実在しないと言う意味。単に『エネルギー』に因る現象と捉える論説である。 上の絵図のように、雷とは光の稲妻と言えよう。先ず雷の特徴を拾い出してみた。雷とは必ず雲の存在が基に成っている。科学論で、雲が発生すると何故『電荷』が関わると解釈するかと言えば、それは「稲妻」の放電と言う用語の解釈が基になるからであろう。稲妻放電は何も電気の放電現象でなくても、火花の光放射が電気現象での、放電のフラッシュオーバーと全く同じものであるからであろう。電気現象を二つほど拾い上げておこう。火花の光放射の様子は雷の現象と同じものである。電気工学が『電荷』の現象と捉えている訳だから、雷が電荷の現象と解釈するのは当然である。しかし、雷の特徴を考えたとき、なんで電荷によると考えるかを改めて見直さなければと思う。そこで、『問答』形式で考えてみよう。その前に、雷に関する過去の記事を挙げておこう。電気現象と捉える「高電圧工学」の衝撃電圧波発生回路と波形の微分方程式解法の論理的矛盾を論じた。雷と指数関数 もう一つは光と質量に関する論である。雷と不立文字 『問』 ①雲が必ず必要である。の訳は?『答』 雲の発生と気象変化。空気中の水蒸気と上空の冷気との出会いが雲をつくる。雲は空気中の水蒸気を水にする現象である。水蒸気は水分子が熱エネルギーにより体積膨張した気体である。上空の冷気で体積が収縮し熱エネルギーを上空に放出する。水蒸気の体積収縮が上空の低気圧を生み、地表面からの高圧・高温空気の上昇気流を生み、地表の周辺に対する低気圧状態になる。水分子におけるボイルシャルルの法則の自然現象の具体例である。同じ意味の繰り返しですが、雲の発生空間領域は、地上からの水蒸気含有空気の連続補給を要請する。供給水蒸気の保有熱エネルギーは、水の中に留まる事は出来ず、放出せざるを得ない。どこに放出するか。雲海近傍の空間に放出せざるを得ない。雲の発生空間がそのエネルギー放出領域となる。大気中の水蒸気について、参考に水蒸気密度の式ー大気中ーを見て頂ければ。 『問』 ②雲の下端が、雷の発生起点となる訳は? 『答』 上の解釈から、その下端近傍がエネルギー放出領域である事からの道理となろう。 『問』 ③、④エネルギー発光空間と放射光。の訳は? 右に稲妻の放射発光源の一部を取りだして、その意味を考えてみよう。フラッシュオーバーと言う発光現象は屈曲した筋状の光放射軌跡を描く。我々がその光の筋を観察すると言う事は、光が我々の目に放射されて、届くから見えるのである。稲妻は光を全方位に向けて、光エネルギーを放射しているのである。こんな稲妻と放射光の絵図で取り上げたかった事は、(何が光になったか)という物理的意味を考えたかったからである。 何が光になったか 光は日常生活で、世界を認識する基本物理量である。科学論では、光子、光量子等の用語で捉える光一粒との観方が基本になっている。その光について、『光一粒は何が変化して生まれたか』を説明できなければ、科学論として完全とは言えまい。『電荷』論に因る限り、おそらく説明は出来なかろう。結局『光』とは何かが明確に認識できなければ答を得る事は出来ない。『振動数あるいは周波数』で光を認識することは実験的な観測、測定の手法としてそれ以外の方法が無いから、止むを得ないのである。実験的に共通理解の判断を求められる事から、止むを得ない物理量概念が「振動数」である。しかし、その科学解釈論の依存概念である「振動数」は光一粒には無い。物質、原子あるいは分子から光が放射される時、その状況は光一粒ずつを単独に放射する訳でなく、エネルギーの放射形態が近傍での協調性を保ちながら全体で周期性を持って放出するから、次々と光一粒の連続的な放射が繰り返される、その状況を観測することになる。だから実験に因る計測上で「周波数、振動数」として捉えられるだけである。「振動数」が科学論の基本概念として重要であると言うのは、それは科学的な実験上の単なる「便宜的認識手法概念」でしかないと見做さざるを得ない。以上の光の基本解釈の上で、光は何から変化したのか?を問うのである。光の速度を考えれば、その光一粒の空間的実像を観測し、把握するなど無理である。計測器はそんな光の実像を捉えられないのである。せいぜい「振動数」と言う繰り返しの波としてしか観測できない。基本的認識で、自然界は極めて単純であり、単純さ故に複雑な様相に変幻自在な姿を生みだす。という観方(私はこの用語を目で見るのでなく、自分の勘・感性・心と共鳴すると言う意味で使う)に従う。光は『エネルギー』そのものの究極の姿である。何も他の物から変化するのでなく、エネルギーそのものの一つの自然界の巡り来る姿である。雷の本質がエネルギーである事から何も不思議な事ではないのである。実験的に観測は出来ないが、「振動数」から解放された『光一粒』の実像認識を示した。光とは何か?-光量子像― 。「振動数」を実際に測定する方法がある訳ではなかろう。計測上の実験的手法・解釈法での便法でしか無かろう(2013/08/19)追記。 稲妻の光の軌跡が何故細いのかについて考えたい。(2013/08/19)現在のところ、未だ答えが得られていない。ただ『電荷』で解釈することには無理がある。空間を『電荷』がどのように移動して、プラスとマイナスの『電荷』間でどのような物理現象により、光発光現象へのエネルギー変換が可能なのかの説明が出来ないから。『電荷』中和現象なのか、それ以外の『電荷』間の変換現象なのかの解釈が出来ないから。『光』変換後の『電荷』はどこに行くのか。素粒子論の論理性を尋ねる『問答』である。

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