月別アーカイブ: 2012年10月

道草問答(3)トイレットペーパーと算術

誰もが朝トイレに入る。一人の独占が許される唯一の空間である。私は『便哲』と言って、空想や物理現象を頭に描くに都合良い場所に思える。トイレにはトイレットペーパーがある。2枚重ねのペーパーで、よく2枚の紙が離れて、「ペーパーずれ幅」を生じる。その寸法がどんな条件で決まるかと何時も気掛かりであった。これも日常の市民生活での計算問題にでも成るかと思った。『ずれ幅』と言う意味は2枚重ねのペーパーで、ミシン目がキチンと繋がりを取るように付いている。しかしひょとした事で2枚の紙が剥がれて、ずれを生む事がある。それを『ずれ幅』と仮に名付けた。トイレットペーパーにも算術問題があると一つ提案してトイレットペーパー問題みようと考えた。先ず問題を示そう。トイレット 問1解答[問題 1] の解答を示しましょう。自分ながら問題や解答を考えながら、こんな愚か者は世界にも珍しいだろうと、恥ずかしい思いも連れて投稿している。[問題2] の解答は皆さんに考えて欲しい。自分は解答していません。

道草問答(2)体温計

どこの家庭にも有り、誰もが使う体温計。最近は電子式が多くなった。ここで取り上げるのは水銀柱の指示値を目盛を読む旧来の形式のものである。水銀の膨張で体温を測る原理である。

問 体温計を擦(コス)るとどうなるか。

答 水銀柱は膨張して、高い温度を指示する。

腋の下で体温を測れば体温が示される。しかし手で擦っても水銀柱は高い温度指示値を示す。『問答』として取り上げた訳が有る。水銀も流動性から液体である。液体の膨張の訳は何か?と言う事を考えてみた。IT検索すると、液体の分子運動と解説が出て来る。液体の分子が温度によって、分子間の運動に基づく離隔距離の増加が原因のような解釈である。温度で、分子の運動に基づく空間的占有領域が増えれば、確かに体積が増加すると見做せもしよう。しかし、その解釈は正しくないと私は思う。分子が温度の上昇と言う空間環境で、変化するだろうが、どのような変化をするかと言う解釈の問題である。物理学の力学、運動理論はそのエネルギーを『運動エネルギー』と『位置エネルギー』と言う観方で解釈している。だから『光のエネルギー』も何かが振動すると言う力学的原則論に基づいた振動論で取り扱う事にしている。光が振動などしている訳が無いのです。だから、液体の膨張の解釈も振動などではなく、分子その物の体積膨張である筈だ。気体分子運動論の否定と同じ意味からの解釈である。体温計の温度指示値の増加は何の増加を指示しているかと言う『問答』である。エネルギーの増加と言う単純な事である。しかし、現代物理学は『エネルギー』の実在を認識していない事から、振動エネルギーや運動エネルギーと言う質量等への依存概念に従って論理を構築せざるを得ないのであろう。序でに挙げておこう。鉄道線路の「レール」には継ぎ手部に必ず隙間が有る。夏の高温でレールが伸びる。その伸びをそのギャップで吸収する為のものである。レールの金属はやはり鉄の結晶のエネルギー吸収による膨張現象であると解釈する。鉄の結晶が振動する事で伸びるとは考えにくい。

道草問答(1)ゴム風船

日常の暮らしの中で目にする事柄で、あれっと思う事を拾ってみる。

「問」 ゴム風船を膨らませた。その体積を測りたい。

「答」 ?。

答えようのない単純で、難しい問題を挙げました。余りにも理科教育で、分かり切ったような解釈で説明されることに「考える」とはどういう事かとの思いで、問題を提起した。

昨夜のNHKスペシャル「火星大冒険!生命は本当に見つかるのか」を見た。とても興味のある内容だ。火星にも『水』が有ったようだと言う話であった。水は生命に欠かせない。単純な疑問を抱いた。火星の水は誰が運び込み、どうして消えたのか?地球上の生命の行く末に『水』の問題は欠かせない論点だ。彗星が氷の塊かと言われる。地球の温度調節も『水』が担っていると思う。水蒸気の熱吸収効果は大きいから。水蒸気の地球からの放射で温度調節を考えたくなる。太陽からの入射エネルギーだけを考えても、その放出のエネルギー調節が『エネルギー保存則』からの要求に成ろう。理解できない、不可解な問題が自然界の現象のほとんどであろう。そんな意味で、「ゴム風船」の問題を提起した。条件の設定も難しく、解けそうにもない。

雨蛙の変態化?

秋の空を見上げれば青く澄みきっている。しかし日本の秋の空は無い。一昨日、駅まで買い物がてら、歩いて往復した。日本の秋の空は見上げれば、電線にびっしりと「秋アカネ」がとまっている筈だ。夕方になれば、太陽の陽を背にして一斉に並んで電線に止まっている。虫を見つけやすいように陽を背にしている。突然飛び立ち、すぐに同じ場所に戻る。トンボの虫の捕獲風景である。この信濃川の東側にはもういない。広い草原を見渡しても、3匹ほどのトンボに会えただけである。沢山の種類のトンボがまつわり付くのが日本の秋の環境であった。眉立てトンボなど全く居なくなってしまった。午後になって、庭の草花を見た。すっかり見かけなくなった雨蛙を探した。去年庭の草『竜のひげ』を抜き取ってしまった。日本カナヘビが消えては困ると心配しながら。しかし心配が的中して、今年は日本カナヘビが消えてしまった。草を取り、自然の姿を人間の見た目で変えると、生物の生命を失い、地球の生物の多様性の喪失が人間の生命をも失うことに繋がりはしないかと恐ろしくなる。上の雨蛙はこれが雨蛙とは見えないような姿である。雨蛙は生存環境で、保護色の業に長けている。しかし、上の写真はそんな事とは違う蛙の姿だ。特に、③、④と⑥等は雨蛙とは言えない。しかし、こんな姿のカエルしか居なくなった。どうしてこの蛙が生まれて来たかの問いには「雨蛙の変態化」と解釈せざるを得ない。雨蛙と幼生生殖日本雨蛙の関連記事である。

雨蛙と幼生生殖

(2016/10/20)追記。今年の新しい観察。ネジバナと雨蛙がオタマジャクシ説を否定する観察記事となろう。

(2015/11/10)追記 日本雨蛙のオスと言う記事を書いた。そこに示した一枚の写真がある。足の縞模様が強い緑色の蛙だ。今まで、日本雨蛙の生態で、オタマジャクシ説となった原因がそのカエルではないかと思う。おそらくオタマジャクシから成長した蛙の姿がその縞模様の蛙であって、それを日本雨蛙と勘違いしているからであろうと思った。♂2日本雨蛙に非ず

(2015/09/09)追記 昨日は大変な日に成りました。私が思い違いをしていたのかと教えられた。実は下の雨蛙の首に付いている虫はオオキベリアオゴミムシと言うオサムシ亜目の昆虫だとの指摘が有った。それにしてもこの日本雨蛙の表情にはそんな虫が噛みついていると言うような苦しさは微塵も見えない。何が有っても、この雨蛙の優しい表情は長く心をいやしてくれた。幼生生殖と勘違いしたとしても、日本雨蛙の生態は決してオタマジャクシでない事だけは確信している。どんな他の解説も、オタマジャクシ説だけである。しかしその解説の雨蛙は殆ど日本雨蛙とは見えない。緑色で似ているようだが、どこか腹の模様などで違う感じのものばかりだ。ここに遠く離れた田んぼから大量の雨蛙がやって来る筈が無い事だけは間違いない。昨年しばらくここに縞蛇が生息し、殆どの雨蛙を捕食してしまった。もう居ないと思っていたが、今年も小さな雨蛙の子供が生れ出ていた。寸法は1㎝ほどの新生である。土の中に細い真っ白な弱弱しい手足の出たオタマジャクシ状の幼虫の群れを観察しているから、土の中から生れ出ると確信した。しかし、土の中にどのように卵を産むかは大きな謎である。それで、下の写真の虫がもしやと思ったのが間違いだったかと反省する。オタマジャクシ説はその成長過程で、尻尾がみえるものは日本雨蛙ではない。しかも赤橙色などのものも雨蛙ではない。今は田圃も改良整形されて、殆ど雨蛙も生息して居なくなった。山の田圃であれば多く居るだろうから、畔に網を掛けておけば、その中に土の中から生れ出るのが確認出来るだろうと考える。マッチ棒の太さほどの穴から出ると考える。日本雨蛙が多く生まれる時期は6月下旬の比較的雨が大量に降って、田の畦の土が柔らかくなった日に発生することを確認している。

雨蛙の秘めた思い 雨蛙が伝えて欲しいと言っている。いつも脇にある。雨蛙の額。何度も載せた写真であるが。

幼生生殖 こんな言葉と生態が有る事を教えられた。先日「妖精」の言葉を辞書で引いていた。同じ「オン」の「幼生」に出会う。ー説明:成体になる前の幼生の段階で次の世代の幼生をつくる。単為生殖。幼生 オタマジャクシなど。(新潮国語辞典 現代語 古語)ー確かにオタマジャクシは蛙になる前の幼生である。しかしオタマジャクシは幼生生殖はしない。オタマジャクシがさらに新たな幼生をつくれば、それが幼生生殖となる。この辞典の説明で、その生物的生態の存在する自然界の多様性に度肝を抜かれた。その驚きがいつも脇に掲げてある「額縁の雨蛙」と繋がった。決して、雨蛙は水の中に卵は産まない。この小さな水の無い庭の中で多数の雨蛙が生れ出る事実がその真実を如実に物語っている。今は、もうこの庭もコンクリート、アスファルトで固められた市街地の中、雨蛙の生殖の遺伝的交配も不可能になり、生物的自然環境が失われてしまった。それは近所にある田圃も大規模の改造農地に変化して、生物環境は悪化している。田圃も稲作工場の感が強い。また5,6年ほど前から、すでに秋の「秋アカネ」の大群が山から下りて来る日本の風景が、この東側の空から消えてしまった。一度消えたら回復を望めないのだろう。もう少しで、夏の猛暑が植物の葉を赤く焦がす現象などを見ると、雨蛙も消えて行くのだろうと悲しい。

雨蛙の幼生生殖 雨蛙の消えゆく生命への鎮魂の思いも込めて、その生態の不思議な意味を伝えなければならない。幼生生殖が正しく雨蛙にあるのだ。写真の雨蛙のお腹に付いている不思議な虫が「雨蛙の幼生」と判断を下した。土の中に新たな幼生を生むその幼生であると。私が、雨蛙の生態で土の中に塊になって、群生している沢山の白い虫を見つけて、その虫の意味を理解するまでに何年も経過した。水の全くないこの庭に生れ出る3,40匹の新生雨蛙の産まれ来る不思議に思いいたった時に、以前に観察した土の中の白い群生の虫(白く、細長いオタマジャクシと見られる形態の虫)の意味に繋がったのである。そこで初めて雨蛙の生態に合点がいった。だから、写真の幼生が土の中で卵を生むと判断して、その解釈を公表して来た。しかし、写真の幼生がどの様に生殖するかの解釈には疑問が残っていた。今回の「幼生生殖」と言う用語に出会う事で、その解釈に大きな生物的現象の存在が結びついたと言える。言葉との出会いに不思議を思う。雨蛙の関連記事。雨蛙の耳?および雨蛙ーその謎ーが有る。

ネジバナと雨蛙 新しく投稿した雨蛙の記事。古い親雨蛙の日常生活の記事のリンクを乗せた。

水と風の妖精

いつまでも『水』の虜になっている。その不思議が放さない。

地球の生命の基は水にある。飽和水蒸気圧、水蒸気含有量などの数式表現をしてみても、水の姿を捉えきれない。水を心に描けば、ただ不思議な妖精の世界に見えるだけである。日常の世界の視点で眺めて見ようと思った。

湯沸かし 鉄瓶の水が沸騰した。口から水蒸気が出る。番号を付けた。①番の出口直後の水蒸気は見えない。ほぼ100度の蒸気で、乾燥水蒸気と見做せるのかもしれない。②番の位置では、空気に触れ乾燥水蒸気が急冷されて、湿った水蒸気(水滴への凝縮を伴う)になると解釈したい。未だ蒸気温度は高く熱い。そこでは、水蒸気の保有する熱エネルギーが空気に放射・伝導により移動する。さて、③の位置で、再び水蒸気の姿が消えてしまう。どこに水蒸気は消えたのか?その見えなくなった水蒸気は空気中に消えたが、いわゆる「湿度成分」としての水蒸気のままで残っている訳である。身の回りの調理中の水蒸気一つをとっても、その水・水蒸気の意味を理解することは難しいものと思う。空気と言う気体と水蒸気との関わり方を納得するのはとても難しい。

物干し 毎日洗濯をして、乾燥させる。電気乾燥機は1Kw程の大量のエネルギー消費を伴う。だから外で物干し竿での乾燥をする。陽が強く当たれば、すぐに乾く。気温の高い風が通れば乾きが早い。風が水分を持ち去ってくれる。空気中の水蒸気として。空気とは何て都合良い水分の包容力を持っているのだろうか。

朝露 朝露が風に誘われて消えてしまった。毎日繰り返される夜と昼の時を仕切る営みであった。それはお日様が呼びかけると、何処からともなく風が静かに囁きながら朝露を撫でて行く。朝と言う活動の始まりを告げる自然の営みだから。忽ち空気中に朝露はみんな消えて、青空と肥沃な大地の間に生命の活動が始まる。

漢字 朝・風 日本語で考え・思いを伝える事ができる。漢字文化の御蔭である。漢字と言う象形文字は偉大な中国大陸の人達が生み出した貴重な文明の遺産である。一つ一つの文字にはそこに込められた古人の大らかな心が感じられる。上の朝露の記事を書きながら、『朝』と『風』の文字の意味を考えた。漢字が日本に伝わって、日本独特の文化になった。しかしその基の意味はやはり「漢字」の原点に遡る事と思い筆にした。『朝』の字は旁(ツクリ)が「月」と思うかも知れないが、そうではなく「舟」である。発電機など無い長い歴史が人類の生活であった。古代の字体がその姿を留めている。朝日をどんなに待ち焦がれたか。陸上は安心して眠る事も出来なかった。猛獣や人に襲われる危険があった。生活は移動を川に頼り、より安全な場所であった。覆いの有る舟で寝泊まりし、朝日の出る場所がここだ。それは木立ちの間に登ると待ち望む思いを現わしたと解釈した。『風』の文字は虫などを運ぶ意味で捉えたのであろう。きっと、その文字に込めた思いは農作物に突然害虫が発生して、収穫を断念する悲しみを表したものかもしれない。そんな勝手な想像をして漢字の意味に思いをはせてみたくなる。標題の『風の妖精』と言う意味は自然物の精霊。美しく親切な女性。と辞書に解説も有る。そんな優しい意味を風に寄せてみた。風の意味を少し物理的に表現すれば、エネルギーの流れと言えるかもしれない。空気に含まれるエネルギーの量は太陽の光エネルギーを基にして、大河、湖、大地や樹木の分布でさまざまに変化する。空気の膨張と収縮が風を生みだす。水・水蒸気がそこに大きく影響し、様々な風の姿を生みだす。