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自然・科学・哲学

科学、自然科学について様々な面から眺めて来た。その過程で、闇雲に取っ付いて彷徨う事も多かった。今まで何かを求めて来たが、何を得たかも分からない。ただ、少し安心出来る精神的なゆとりを得たかもしれない。昔「臨教審」で話題となった「ゆとり」の意味が理解出来たかもしれない。(自分のゆとりを得たかもしれないと言う意味は、余り学問として常識化している学術的専門領域に囚われないで自由に自然を観測し、解釈をしてもそれ程「誤った結論」には成らないかの安心と言う意味で?)現在の「学校教育態勢」は、残念ながらまた以前の「詰め込み教育態勢」に逆戻りしてしまった。子供達は忙しく、机に向かう時間だけが増えて、余裕の中に生まれる「個性的発想」の余地は無くなるだろう。自然・科学・哲学そんな中で、今思う事を筆にしてみた。生物多様性の世界が、この地球星の宝物である。それは「自然」の世界である。人が関わる世界は自然を犠牲にして築いて来た世界である。先日も「日本かわうそ」の絶滅が表明された。その生物多様な世界を破壊する人の活動の一つが「科学」と言う分野で捉えられよう。科学的知見である「生命科学」のDNA一つを採り上げても、「何故DNAか?」の本質には答えられないのである。光とプリズムの関係を採り上げても、本質的理解には到達できないのである。「科学」とは人の社会の世界観でしかない。自然を理解しているかと言えば、殆ど知らない世界と言って良かろう。法則で捉えるが、それなりの仮想的社会評価の手段の一つでしかない。そこに『哲学』と言う分野が生まれる。自然科学と言う言葉を使う。『自然』と「科学」を合わせた使い方である。自然科学の意味は、自然を分析して、その本質を分かり易く理解する手法を整えるぐらいの捉え方で良かろう。しかし、標題のように『自然』と『科学』を分けた訳は、そこにそれぞれに特有な意味の違いが有る事に視点を絞って解釈してみようと考えた。

自然 nature  改めて自然とは何かを考えてみたい。字句の意味は「自ずから燃える」であろう。自然の特徴は束縛されない自由にあろう。自然は全裸無垢の生命と観た。植物も動物もその生きざまを精いっぱい生かし切ることに専念している。何も隠しだてが無い。人も初めから衣服を纏う事は無かっただろう。群生する草木、群れをなす動物などそれぞれの生命の生態は多様である。地球の生命の多様性を見て、その全てが水、海、風、陽、土、時の偶然と必然の運命に任されて、産まれたと解釈できよう。植物と水の初めの産まれ来た謎ー天然の精水ーは解けないが、生命と生命の関わり合いで地球の歴史の歩みに盛者必衰の影を残して現在に至ると見られよう。その来し方も僅かな手掛かりで推測するしか知りえない。例えば、化石と硯もその謎を見せる。人類もその自然の一部として生まれて来た。この人類を自然の生命の多様性の一部として見ようとすると、人間だけは他と違うと異論が聞こえそうだ。何故この人類を地球に生んだかは自然の意味を解くにも大きな疑問にして良かろう。確実に言える事は、地球に人類を生む必然性と偶然が有った。それも謎である。今の地球の環境に思いを馳せれば、人類は現在の地球上の生命の全てを入れ替える為の仕組みに生み出した「神=自然」の仕掛けかもしれない。未来に辿り行く先に生命の危機が仕掛けられていると。全てが「自然」の力である。地殻変動も地球の中心部からの必然的要請で有れば、どんな「天変地異」が有っても、想定外などとは言えない筈だ。人知を超えた地球の営みの上に人類も踊らされていると見て良い。核兵器も人間の驕りによる、その自然破壊の引き金としての人類自身の仕掛けとも見られよう。人類に『智慧』が有れば未来を切り開けようが?こんな自然の見方は、反発・非難の対象となろう。

科学 science  自然の本質・真実を説き明かそうとする学問が「自然科学」であろう。他にも科学と付く学問分野は数知れない。社会系の科学は、人を理解するには謎が多過ぎる、人の集団化に伴う行動、それ等を社会性と見た解釈など対象とした学問の重要な分野の科学をなしている。しかし、時と言う尺度に乗せて、その科学論を眺めれば、その論理が本当に『真理、原理』として間違いなかったと言いきれない場合も多かろう。社会科学は言うに及ばず、自然科学においてさえ、多くの怪しさに包まれている。何故そんな事に成っているかを考えて置くことが未来に対して重要と思う。その事は、科学は人間的世界観でしかないからと言い切れよう。人がその時代時代で、諍い、抗争あるいは戦争の宿命の中でより有利な権力支配の標準的評価基準を纏める手法として構築して来たものであるからであろう。時代に合う『法則・原理』の有効性を求めて来たと考える。社会的な原則で、「国家」と言う統治概念の正当性もその意味の中で解釈する事も出来よう。「国家」と言う存在形式が絶対的真理とは言えない筈だ。自然科学も歴史の中で、それぞれの時代の偉人達によって、その努力の賜物として生み出された『法則・原理』である。しかし、時代が変われば、その解釈も変わるのである。特に自然科学に於いては、自然は複雑性を持ち合わせていない。その自然の原理・原則は「単純性」にこそその特徴を秘めている。だからこそ複雑な多様性を実現できるのである。ここで一つ言わせて頂きたい。世界を構成する素粒子が17個と言う論を信じる事は出来ない。特にヒッグス粒子が質量を生む基の素粒子などと言う科学論は受け入れられない。そんなに複雑性は無いと考える。質量はエネルギーの局所化した姿である。『エネルギーと質量の等価性』はヒッグス粒子を必要としない。ヒッグス粒子の不可解

哲学 哲学と言うと大変難しい学問と見るかも知れない。しかし、その意味は簡単な内容と思う。実践では困難が伴うだけであろう。哲学は破壊、恐怖そして安心。哲学は孤独である。それを筆に表した。「デカンショ節」も昔の唄になる。昔、蛮カラ学生の街に自動車も無い時代の良き学生の高揚歌であった。デカルト、カントあるいはショーペンハウエルと得意になって口にした哲学の話も今は昔だ。知識はITで検索でき、携帯端末の電磁器械と話をする。大学の哲学も哲学の歴史教育になる。本来哲学は時代を切り取り、新しい解釈をする学問と思う。新しい解釈は大学での教育としては困難が大き過ぎよう。真の「哲学」は時代の常識を破壊し、社会との亀裂を覚悟し、恐怖に打ち勝たなければ、新しい解釈は唱えられないから。その行き着く先に、透徹した眼力が無ければ、最後まで辿り着く事は至難の業であるから。そんな哲学の道は学生には向かない。決して集団での活動に、真の革新は生まれないと考える。孤独での自分との戦いに入るのが哲学と思う。自分が納得する為の道程であろうから。単純な言葉で表現すれば、哲学は気違いと世間から罵られる懼れの道である。哲学は社会常識を破壊する道である。今でも科学常識は『電荷』が物理学、科学理論の基礎概念と捉えられている点に集約されよう。

ゆとり 精神的な安堵が得られれば、一安心と言えよう。しかしそれは「科学理論」の世界に対しての事でしかない。ゆとりが常識の中に潜む『嘘』を見抜く力を得たように思う点にあるだけでしかない。何百年と世界に浸透した社会常識は簡単には崩れないだろう。学校で使う理科の教科書を電荷や電流なしに書けないだろう。『電流』をどう取り上げるかが問われていよう。電流は流れず で電流の教育的意味を考えてみた。社会体制を維持するためには、真実と真理は都合が悪く見られ易いのだろう。地動説を唱えて、宗教裁判(1613)で「有罪」の宣告を受けて1633年に幽閉され、三百何十年後に名誉が回復されたと言う偉人、ガリレオ・ガリレイの例も有る。生活にゆとりが欲しい。

我々は何を目指して来たか

日々生存が脅かされる酷暑の中で、過酷な競争社会を強いられている。哲学者チャップリンの未来予想図の中を漂う人達がいる。科学者は、科学の視点で未来予想図を描き出す。経済学者は経済の先行きを的確に予想して、安心できる金融社会の構築をする筈だ。政治に携わる人々は、世界が一部の独裁者に支配されることのないよう、安心して平穏に皆が生活できる社会体制を構築することを使命としている。そんな夢を描いて生活したいのは、望むべくもない事なのだろうか。

何を目指したか酷暑の中で、筆をとって思いを表現してみた。日本と言う国家の中で、世界の許された社会制度の中で国家同士の競争を通して主張し合いながら、世界とともに進んで来た。そこに求めて来たものは何だったのだろうかと不図気になった。これから、我々は何を目指して進もうとしているのだろうかと心配になった。日本はとても小さな領土の国家社会である。それが、第二次大戦後の敗戦の廃墟の中から、経済成長の急激な復興を通して、世界第二の経済大国と言う利益の中で過ごして来た。競争は善なり、と言うが如くに競争の激化を通して何よりも『経済成長』優先の路線を選んで来た。何故、日本が世界の経済大国と言う状況を生みだしたのだろうか。それが良かったのだろうかとても気掛かりである。今振り返ってみた時、未来予想図は誰がどの様に示せるのだろうかととても心配である。

昨年の「東日本大震災」が様々な面で、日本の、世界の本当の姿を曝け出したように思える。生活の規模が拡大したが故に、津波の自然の脅威の下で、瓦礫の山に放り込まれ、生命に易しい自然との共生の意味を失って生きている事を突きつけられているように思える。未来にどんな希望を託せば良いか迷いの中に居るようだ。

真理・真実は余り望まれないようだ。何よりも競争が支配するようだ。今の酷暑は、人間が望んだ経済成長と言うエネルギー大量

消費世界の産物である。そのまま進みたいのだろうか?専門家の方々にお願い、どうか真理と安心の未来予想図を示して下さい。

大切な命、雑草と森林を守りましょう。 この地球星の生命の不思議は尽きない。その全ての基は『水』である。地球の誕生からに思いを馳せれば、最大の謎は「誰が水を創ったか、地上にもたらしたか」であろう。 天然の精水

未来に希望を! この地上で、欲望という魔物に支配されているのは人間だけか。万物の霊長と自己評価する人間の知能を信じられるだろうか。気掛かりが有る。歴史を学んでいるだろうか。古代都市が滅びた原因を、あの巨大な建造物の遺跡に現代の都市の姿を重ね合わせてみたくなる。コンクリートで固め、アスファルトを引き締め、冷房で環境を過熱化し、海水温の過熱を進める事に疑問を持っても、止める意識は働き得ない強い欲望に支配されて進んでゆく。真実は嫌われる。経済成長の名の基に押し流されてゆく。ここに人の『智慧』とやらが見えるだろうか。   『緑とコンクリートの平面比率を 30:70  』の都市義務化基本法に夢を見る。

アボガドロ定数とは何か

気体を考え、「風とは何か」と考える時また、古い疑問にぶつかり進めなくなる。何度この「アボガドロ定数」に関する疑問を取り上げようかと思ったか。1811年にアボガドロが提唱した「仮説」であるようだ。分子論の基礎定数で、誰もが異論を差し挟めない程、権威ある「化学論」の基本中の基本である。気体分子運動論や温度の論理的基礎定数である。

「mol と体積」 化学論の基礎概念は「分子」である。しかも1mol と言う量的概念なしには取り組めない程の複雑な専門用語としての特徴に裏付けられている。その体積は、1モル分子が占める体積が、 22.4 [l] である。MKS系単位に慣れている者にとっては、それがとても取り付き難い代物であることには変わりがない。22.4 リットルと言う体積が、何故基本量の基準体積として選ばれたのかが全く理解できない。古代的、業界専門用語としか言いようがない。基準体積なら、 1 [m^3] で取り扱えば、理解し易い筈だ。アボガドロ定数Na=6.02×10^23 [個]の数量が最初(1811年)からの定数値であったかも気掛かりだ。分子1モルの分子の数量を表して、 その数量分の分子の質量が「分子量」だと言う事を定義している。例えば、酸素分子O2のアボガドロ数分の分子の分子量が32 g である。その酸素分子一つの質量は32 g をアボガドロ数で割れば、得られる。だから、5.31×10^-23 g が酸素分子の質量となる。酸素原子はその半分と看做される。

本当に「アボガドロ定数」の概念は正しいか こんな事を言い出すと、とても相手にされないだろう。しかし、疑問を放置して、『風』の話も進められない。風は空気の流れであり、そこには多くの分子が混在し、その温度と分子との関係で決まる。教科書の論理は「分子運動論」で温度が決まるが如き解釈である。その論理の基に成る、気体定数やボルツマン定数等に「アボガドロ定数」が欠かせない。気体分子には様々な物がある。アボガドロ定数と分子量揮発性のベンゼンなどが本当にアボガドロ数の概念で捉えられるだろうかと疑わざるを得ない。そこで、幾つかの気掛かりな分子を拾い上げてみた。ヘリュウムや、ネオンは不活性ガスと言われ、気体での分子は原子のままと思われる。酸素は代表例の分子であろう。窒素は挙げてないが、空気中の78%程を占めるらしい。特別の気体として、「水蒸気」の水を挙げなければならない。水は空気の環境温度でとてもその変化が際立っている。温度に対する「湿度」として捉えている。 『温度とは何か』が問うもの で少し述べたが、分子が運動する速度エネルギーで、温度を捉える解釈は無意味な論である。水蒸気の加熱特性を考えた時、分子運動ではなく、水蒸気分子の圧力と空間占有体積の積に加熱エネルギーが貯蔵されると解釈する。ナフタリンなどの芳香族高分子を採り上げるまでも無く、水蒸気を考えただけで、アボガドロ定数が示す概念が気体分子論に正しい解釈を提示しているとは信じられない。

風とは何か-水と温度-

渦巻の解剖に取り組んで、その基本が風のような流体の圧力分布差にある事に気付く。暫く水についてその温度特性から考えて、風の原因を探りたい。(2012/11/06) 未だ渦巻の解説をするだけの結論には到達していない。

(2012/09/24)  飽和水蒸気圧と式の修正提案。で算定式を改善して提案した。この記事で述べた「飽和水蒸気圧、蒸気密度の温度特性」の算定式(1)、(2)および(4)式は(6)、(8)および(7)式として修正提案しました。

(2012/09/21)  風の起因・原因 を追記。水蒸気の大気中の振る舞いに起因・原因を求めた。

(2012/08/21)  水蒸気温度特性 をグラフで追記。(2012/09/06) グラフの意味の観方の注意点を付記した。

(2012/08/17)  蒸気(p-V) 線図への疑問 を追記した。

「入道雲」は夏の風物だ。しかし、その穏やかで、形状の独特な滑稽さに富んだ景観も余り目立たなくなってしまったようだ。真夏の澄み切った青空を背景に、深い森林の山の上に、モクモクと立ち昇る真っ白い雲。「入道雲」その呼び名もなかなか風情がある。入道とは仏教用語の坊主頭の化物という程度の意味のようだ。如何にも滑稽さを言い表していると感心する。その「入道雲」は森の放出する水蒸気が故の上昇気流という風の生み出す現象である。夜間には出来ない。暑い夏の日中に、強い太陽光で森の水滴が水蒸気となって膨張する為に生じ、上空の冷気に触れてその水蒸気が凝縮して水滴となる。その水滴の集合状態が「入道雲」というものであろう。水p-V線図『風』はその生み出す原因が水と温度にあると解釈しなければならないだろう。『水』その不思議が生み出す現象だ。

水の蒸気線図 その水の特性の特徴は蒸気線図に表される。火力発電や原子力発電の水ー蒸気サイクルの特性図である。風の基の気体は空気である。空気の中味を考えれば、酸素、窒素あるいは炭酸ガス等であるが、忘れてならない物に「水蒸気」という隠れた水の存在である。水分は、空気中の含有率を湿度という計量値で評価される。その水は他の気体とは異なる点で、特別の働きをする分子と考えたい。分子構造は H2O であるが、その分子結合の解釈で、気体膨脹特性を考えても、特別の温度特性を呈する様で、いろいろの事柄が頭の中で絡み合い、断定的な結論に到達できない。そんな事から、水を含めた気体の温度特性を考える時、『分子運動論』が物理学理論の温度特性の根幹として解釈されているが、それは余り当てに成らない理論と考える。普通の分子ならほぼ理想気体に近い特性で考えて良かろう。しかし、水や水蒸気を含んだ気体については、とんでもない温度特性を現わすと考えるべきであろう。その意味で、上に挙げた蒸気線図が、その事を考える基本に必要と思って示した。蒸気線図と風の関係は余り考えられていないと思う。

ボイル・シャルルの法則 理想気体は、その圧力 p 体積 V および温度 t の間には、ボイル・シャルルの法則が成り立つ。その特性は、一定温度で加熱する時の p と V の間には反比例の特性で変化する。この特性と上の水蒸気の特性を比べれば、その違いが分かる。この特性の違いが、空気中の「湿度」という水蒸気の温度特性が如何にも「入道」的な化け物特性を現わすと考える。その化け方が『風』の隠れた基にあると解釈する。(図の温度について、絶対温度T とt の関係を訂正)。

火力発電所系統図と蒸気線図 理科や物理学の教育では、子供たちの日常生活に関わる具体的な事象と相当かけ離れた「教科内容」が取り上げられ、子供たちの興味を得ると言う点で「不合格な内容」が多いと言わなければならない。余りにも、古臭い内容の決まり切った物に固執している。出来るだけ私自身が、疑問に思う内容で、日常目にする自然現象を技術の面を踏まえて考えてみたい。発電所と蒸気線図そこで、火力発電所の系統の設備と利用する『蒸気線図』との関係を参考に示しておきましょう。簡単に説明すると、発電所の設備のそれぞれに対応した蒸気のボイラー加熱と、タービンでの断熱膨張(蒸気による機械的仕事)、更に復水器での海水による蒸気冷却等の各過程での蒸気線図に対応する部分を色分けして、表現してみた。矢印の方向に蒸気の過程・状態が変化する。この線図はある水の部分が蒸気線図でどのような過程を辿るかを示したものである。実際には、タービンを回す蒸気は連続的に流れ続けているのである。このような水の温度特性は『風』の水蒸気とは直接何の関係もない。しかし、海の温度上昇で、空気中に含まれる水蒸気が増加すると、冷却時における、その水の特徴が過熱と逆の効果で、気体の体積変化に特別の状況を生み出す。それが蒸気線図の『復水器』での蒸気冷却現象と同じ事を引き起すのである。その局部的冷却現象は、強い『風』を生みだす原因なのである。ここで、一つ気掛かりな点がある。復水器での冷却時の蒸気の変換過程で、6から1の圧力pが一定であるとなっているが、その点は本当かな?と疑問符付きである。圧力一定と言う制御は無いから。しかし、法則や解析は必ずしも正確な物でないと考えれば、大よそ我慢できる技術論と看做せよう。

気体の飽和蒸気圧 空気中の気体で『風』の原因の基に成るのが水蒸気であろう。気温は、摂氏マイナス数十度から、ほぼプラス50度程度の範囲にあろう。その温度範囲で、状態変化が激しい気体・物質が水であり、水蒸気である。水の飽和蒸気圧は検索して調べると、指数関数式で温度対飽和蒸気圧の関係が示されている。生活温度範囲で、激変する水を考えると、分子気体論の基礎定数である「アボガドロ定数」の概念を改めて考え直さなければならないと思った。そこで、 アボガドロ定数とは何か でその定数への疑念を述べた。そんな気体論の原理的基礎概念さえ、余りにも古典的で、時代遅れの内容と原理原則論の曖昧さと矛盾と思うが故に、子供への教育内容としての不適切性を指摘し、早急な正常化の必要性を指摘したかった。さて、水蒸気も空気中の分子である。その飽和蒸気圧を検索される式から算定すると、トリチェリの真空と水蒸気圧との関係で考えなければならない点が浮かんだ。数日間蒸気について考える内に益々理解出来なくなった。そこで次の記事になる。

蒸気 (p-V) 線図への疑問  上に示した火力発電所の蒸気(p-V)線図の意味が理解出来なくなった。ボイラーでの水蒸気加熱過程(2および3から4および5の過程)で、蒸気線図は圧力pが一定で体積膨張する表現の図である。確かに、給水ポンプで加圧してからタービン入り口までの蒸気系統内の圧力は一定であるように思える。その圧力からタービンの出口までの圧力の開放で蒸気の体積断熱膨張が仕事をする訳である。こんな解釈で、何となく理解出来たと思って、『火力発電所』の蒸気の働きを工業高等学校で教えていた。しかし、先日から蒸気の気持ちに成ろうと思いを深めている内に、どうも間違っていたようだ。蒸気線図の3から4までの圧力一定の加熱過程が何を表現しているかと考えてみた。水と蒸気との割合を湿り度、乾き度と言う表現で横線の寸法で蒸気の飽和するまでを言い表していると捉えて、納得していた。その状況は一体何を表現しているかと改めて考えると、意味が無い事に思える。即ち、ボイラーの中で水が加熱されて、一定圧力のもとで、体積が膨張するとは「何の体積」が膨張すると言うのだろう。一定圧力で、ボイラ内の閉鎖された限定空間内で何処に膨張する空間の余地があるのだろうかと疑問を抱かざるを得ない。膨張するのはタービン内での仕事の為であるだろうと思う。だから、蒸気の変換過程をどう解釈するかと言えば、水の分子が熱エネルギーによって膨張しようと水蒸気化する、しかし限定空間内で高温・高圧水蒸気となり、体積膨張なしに高エネルギー密度蒸気としてタービンでの仕事の断熱膨張に資する。ー高密度エネルギー水蒸気とは、ボイル・シャルルの法則で、pV[J] の水蒸気一粒のエネルギー量と解釈する。その体積Vが膨張できずに、分子圧力pの増加となる。それは、pV=kT [J] (k[J/°k]はボルツマン定数。T[°k]は絶対温度)と言う式が有名であるが、これは水分子一粒のエネルギー表現であるので参考に付記ーそんなところに考えが落ち着いた。だから、蒸気線図は水の分子一粒の状態変換過程を考える線図でもないと思う。では何を表現しているかと考えた時、線図で意味する内容が良く理解できないのである。以上が蒸気線図への疑問と自分なりの解釈である。これを『問答』の一つの例として挙げたい。

水蒸気圧・水蒸気密度の温度特性 上の蒸気線図への疑問から、水蒸気の温度特性を調べた。IT検索で水蒸気に関する計算式の存在を知る。水蒸気温度特性少し計算して、水蒸気圧の計算式が誤差も無い結果になると安心した。しかし、水蒸気密度だけは計算結果に大き過ぎる誤差のある事を確認した。更に、上の水蒸気温度特性の示すグラフ値は飽和水蒸気圧線であり、

飽和蒸気圧線の図の意味 その曲線が水と水蒸気の状態の境界線である。その事を改めて示すと、右の図で示す通り、青色の液相(水)から突然気相(水蒸気)に変換すると解釈できる。しかし、この図を眺めると、その表現する内容が誤解される点が有る。解釈上の注意点。グラフの飽和蒸気圧線の左側の青色の領域ー液相(水)-については、圧力も密度も数値的な意味を持っていないのである。意味を示すのは赤色の水蒸気に対してのみである点を御理解頂きたい。この特性表現には誤解し易い点が有り、不適切なグラフと思う。青色の水の領域の密度はその全体で、殆ど圧力に関わらずほぼ一定の 1 [ton/㎥] と解釈して良かろう。以上水蒸気温度特性の解釈上の注意点です(2012/09/06 に気付いた不明をお詫びし、付記しました)。このグラフ表現での注意点が、グラフ表現と基準ー時と位置ー

で指摘した事の問題でもあった。各温度での液相、気相転換における蒸気化熱エネルギー(気化熱)の値が異なると思はれるが、その点は不明である。飽和蒸気圧線の意味を少し説明した。また、水蒸気特性計算式上のグラフの計算式の意味を纏めたので示す。普通は水蒸気圧と言えば、0℃、標準大気圧を基に、大気圧下での沸騰点がほぼその考察領域であろう。だから、臨界圧等と言う日常の経験からかけ離れた水蒸気などは考慮されなかったのであろう。「カルノーサイクル」と言う蒸気機関の利用水蒸気領域に考えを及ぼせば、臨界点の観点に考えが及ぶと思うが、その事が考慮されなかった事をむしろ「何故」かと問う事が大切かも知れない。以上で、水の熱特性から考え直して、ようやく『風』の意味に水蒸気からの解釈が出来るかと言う自分なりの基礎の論点に辿り着いたように思う。

風の起因・原因 当たり前の事であるが、風は大気の圧力分布差が発生原因である。しかし大気の圧力分布の原因が何であるかを正しく認識しているかと自分に問わざるを得ない。地球を含め太陽系全体のエネルギー分布環境が影響していると言えよう。地球上の大気に視点を絞れば、その大気の圧力差を生む原因を「水蒸気・気温」の分布に求めて良かろう。大気の構成分子は窒素、酸素あるいは炭酸ガスから成っているが、水・水蒸気の温度特性が極めて大きく関わっていると考える。水蒸気の空気中の温度特性における特異性が大気圧力の分布差を生みだすと解釈する。水蒸気だけが気温に対してその体積膨張の特異性が甚だしい。水の温度が高く、気温が高ければ水蒸気の大気含有率も高くなる。その大気が上空の冷気に触れた時、忽ち水蒸気の気体分子が水滴になり、その大気の急激な体積収縮を引き起す。上空の圧力低下により、急激な上昇気流を引き起す。周辺から大気の巻き込みに発展する。大気圧の分布差を解消するための大気流が生まれる。風の起因・原因は水蒸気にある。水分子について、大気中における「アボガドロ定数」の物理的理論は成り立たないと解釈する。そこで、前もってアボガドロ定数とは何かで疑問を述べた。

渦巻の解剖

自然の世界を観測すれば、「何故か?」と思う現象に多く出合う。その姿・形からその現象の意味を探ろうとする。しかし、そう簡単に答えが得られる訳ではない。今回は私の大きな「勘違い・間違い」を訂正して、ご勘弁いただかなければならない事柄である。先ずは、その関係式を提示させていただく。この式は、誰でもが見たり聞いたりして、感覚的にも実感できる自然現象に関係する式である。自然災害の、台風、竜巻あるいは鳴門海峡で有名な渦潮等の「渦巻現象」の意味を表現したものである。それは気体の空気や水の渦巻状に流れる流体力学の表現式とでも言えよう。ベクトル式であり、圧力ベクトルpエネルギー流ベクトルS  に時間 t が関係する式である。pとSはベクトル的には直交するものである。これらについてはもう少し図面で説明したい。ただ、回転渦巻に関する解説を情報検索しても、役立つものが無いようである。そこでまず式だけでも提起しておきたい。さて、どのように渦巻を解剖するかと考えると、自分が解説する程理解できていない事を知る。何が問題かと言うと、どうもエネルギー流という実体を明らかにしなければ話を進められない事に気付いた。台風は渦巻の代表例である。台風の特徴は、その『風』に在る。『風』とは何かを明らかにしなければならない。『風』を作る基の原因は空気の気体である。しかし空気とは何かと、その捉え方で、自分は明らかに理解しているだろうかと自分に問いかける。そこにはとても大きな問題が隠されているように思う。それは『水・水蒸気』の果たす役割であろう。だから『風とは何か?』を解決しなければ、渦巻を論じられない事に気付いた。風とは何かー水と温度ーで先に論点と解釈を纏めたい。なお、宇宙の構成力としての意味をエネルギーで観る世界ー素粒子ーに記した。

追記(2013/4/3)。この記事は「渦巻現象」の解釈が目標であったが、未だ未完成である。風とは何かー水と温度ーから始まって、アボガドロ定数とは何か、飽和水蒸気圧と式の修正提案更に水蒸気の法則から水蒸気密度の式ー大気中ーまで空気中における水蒸気の意味を探ってある。その先に「渦巻」の意味が探れるだろう。