国際キログラム原器(質量とエネルギー)

(2012/01/27) 追加記事 天秤と質量 取引用基準重量を国際的に決められるのだろうかと、疑問に成ってしまった。基準重量は地球上のどこに持って行っても、同じ基準値でなければならないと思う。しかし、地上の重力加速度は場所によって値が違うようだ。と言う事は、場所で重量の値が異なるならば、基準値としての役割をどう理解すれば良いのかと、凡才の自分には理解出来なくなった。ところが古くから重力加速度の影響を受けない計測法があった事に気付いた。それが「天秤」である。国際キログラム原器も天秤で比較測定すれば、確かに場所の影響を受けない重力加速度の影響を受けないで、原器としての基準重量を理解できる。右に、その形を勝手な図案で書いてみた。(イ)を天秤と言う。秤と言う文字も忘れかけていた。右図に漢字の4文字熟語「我心如秤(ガシンニョショウ)」を古代文字で書き記した。自分には程遠い名言熟語であるが、そんな心境に成りたいと思う。法律の生命である「公平」が「秤」の文字の意味するところらしい。確かに天が人の世に下す原則が「公平」であらねばならないと言う事なのだろう。そのように解釈すれば、天秤はその基準重量を正確に指し示す指標である事で安心と社会正義を世に示す。『質量』と言う物理概念・物理量は重量とは異なる訳であるが、それは正確に計測できるのだろうか。測定地点の重力加速度が正確に確定できなければ、それも無理な話であろう。天秤を使うとしても、質量の原器を作る事が出来るかが理解できない。なお、右の秤に(ロ)の古い「何?秤」か名前も忘れたが、とても懐かしい秤なので書き記した。今は「デジタル計」が主流になり、こんな秤は使われない。しかし物理の力学的平衡概念を「モーメント」を含めて、天秤の応用例の智慧秤に見える。行商人の量り売りの基準であった。

最近物理量に関する国際基準が色々問題に成っているように感じる。

時間基準 今日の新聞記事に「うるう秒」に関する事が書かれていた。地球の回転周期が年々長引くと言う話である。『国際度量衡会議』で話し合われるとの事である。「うるう秒」の年間調整を取りやめるか、今まで通り「一秒」追加の調整をするかという事らしい。「うるう秒」は確かに悩ましい問題でろう。地球の公転・自転に合わせる時間基準の設定でるから、原則は時間基準1秒の長さをどう決めるかに関わる話である。しかし、世界は全ての取引が現在の時間基準に基づいて進んでいる。うるう秒、閏年の調整をしなくても良いように時間基準を設定できれば事は済むのであるが、それが出来ない訳・要因を確認し、分析する必要があろう。地球の自転・公転周期が年々変動するのであれば、時間基準を厳密に設定する事も無意味な事であり、現在の対処法しか無かろう。大宇宙の自然現象であれば、そう人間の都合良く事が運ばないのである。自然を人間が征服しようという思い上がりが無いかを改めて基準時間の問題が突き付けているように思える。地球の公転・自転周期の微増現象が地球周辺の空間環境の人工的変動ー人工衛星によるエネルギー変動・エネルギー多消費に基づく地球の熱放射ーが影響していない事を祈る。

質量とエネルギー 話は変わる。『質量』とは何か?の問答は重要である。物理学で質量と重量という話はよく問題にされる。地球周辺の重力加速度g[m/s^2] の値で、同じ質量でも重量は異なる。『国際キログラム原器』という重さの取引用基準重量がパリに保管されている。それは『質量』なのか「重量」なのかが考えると解らなくなる。その原器を他の地点に持ち運んで、測定したら、どんなに環境を整えようとしても、同じ重量の計測結果を得る事は難しかろう。それでは『質量』はどうかと考えて見る。その質量という物理量が元もと曖昧な物に思える。明確に認識していないように思うのは私だけだろうか。何故そう思うかは、エネルギーと質量の関係が曖昧だと考える。物理学の『エネルギー』はエネルギーその物を物理量と捉えていない。必ず『質量』に付随した形でしかエネルギーを認識していない。例えば、『光子』も振動数で捉える。それは何か不明であるが「振動」あるいはシュレーディンガー波動方程式の「波」を伴う質量的な『モノ』を仮想して解釈しているようだ。光をエネルギーその物とは解釈していないようだ。アインシュタインが唱えた、E=mc^2 [J] という意味を質量からエネルギーに変換する一方的な解釈にとどめている。m=E/c^2 [Kg] というエネルギーは質量と等価であるという、同じ方程式の意味を認識していない。地球の燃料を、燃料の質量を熱変換で利用して、地球から宇宙にエネルギー放射をしている訳であるが、地球の質量減少という見方で、物理学的には余り考えていないように思う。一方、太陽から注ぎこまれるエネルギーは相当の量である。そのエネルギーは地球の質量として蓄えられているのである。緑の森林は太陽のエネルギーを命に代えているのである。質量とはエネルギーである。『国際キログラム原器』は温度が上がると、周辺の気流による浮力で軽くなると新聞記事にある。それが本当なのかと少し戸惑う。原器を加熱すれば、熱エネルギーが付加される。エネルギーと質量が等価であると言う事から、原器は重くなる筈である。原器は質量の基準では無かろうから、重量の基準と看做さなければならない。地上の異なる地点で、異なる重力加速度となるから、重量もどのように基準としての評価をするかもなかなか難しい事と思う。何かこんな事を、書かずに居られないで書き記す自分を愚かな骨頂に思う。

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