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電圧ー物理学解剖論ー

(2017/04/21)追記。乾電池の定格電圧は1.5Vである。はじめは1.6V以上あるが使うと電圧が低下してゆく。『エネルギー』が消費されて規定電圧以下になって乾電池としての機能を失う。以下の記事は乾電池について述べてあるが、この何故1.5Vかという問題は自然科学技術と科学理論との関係を問う大変重要な問題と観なければならない。『電荷』では説明ができないのだ。ではどのよな論理性で説明できるかといえば科学技術を支える理論で説明できない論理矛盾を抱えた問題なのである。この1.5Vに成る解釈を、化学あるいは物理学で示せれば大きな功績となる。その意味は電圧の単位ボルト[V]の意味が科学理論で説明できないからである。『エネルギー』で解釈できなければ、永久に無理なままである。

電気回路を考える時、電圧と電流が基本に成る。電流についてはその概念を否定する論を展開して来た。しかし『電圧』については余り論じて来なかったと思う。そこで、電圧の意味も考えて見ようかと思った。先ず身近な生活に関係する乾電池を取り上げて見よう。乾電池の電圧は 1.5 V である。そこで、その電圧値 1.5 V はどんな原因で、その値に成るのかと考えたが、まったく理解できない事に気付いた。確かに測定器、電圧計かテスターを使えば、メーターの指示値は 1.5 V 付近の値を指示する。乾電池の電圧は直流だから、その測定器の型は「可動コイル型」が普通である。その内部構造は電流計に直列に高抵抗が繋がれた形で、言わば『電流計』としての働きをしていると見る事が出来る。私も電気の専門家の部類に属して、少しは知っている心算で居たが、乾電池の電圧の値が決まる理由が解らない事に気付かされた。乾電池の中味は、塩化アンモニウム、塩化亜鉛およびデンプンを練った物、さらに複極剤である同じような練り固めた物が内側にあり、プラス電極の炭素棒とマイナス電極の亜鉛で構成されるとある。乾電池の電圧が何故決まるかを検索しても何も回答が無い。電子が何個出るからとかの解説があるが、そんな解説は何の理解の足しにも成らない。電荷がプラスとマイナスの電極の間に発生するからと言われても、どれだけの電荷が分布するのか等、誰も説明できないのである。単一、単二、単4と形状も寸法も異なるのに、どれも同じ電圧 1.5 V である。単4用の電子と単1用の電子も同じ電子であろうから、寸法が異なれば、静電容量と言うコンデンサの容量は異なる筈である。電子の電荷で説明するなら、形状が異なる事による静電容量が違えば、電圧が異なるのが、電気理論の基本的論理である。

電荷と電圧 電荷で電圧を解釈するなら、電圧の単位を考えておかなければならない。電荷の量をQクーロンと仮定して、その電荷がコンデンサの静電容量Cファラッドの幾何学的形状・寸法から決まる電気要素に貯められたとする。その時の電圧Vボルトは、V=Q÷Cで決まるのが電気理論の基礎である。だから、『電荷』による説明は、解説としては、学習しようとする真剣な学習者に対して、いい加減で曖昧な解説を押し付けるものであると言えよう。乾電池の電圧を決める要因は、その長い技術の積み上げによる『化学物質等と電極材料との組み合わせ』で決まると、単純に解釈すべきであり、電荷がどうのこうのの解釈で決まるのではない筈である。(2017/04/21)追記、以下の・・部分の論述は論理的でないようだ。『電荷』概念の曖昧さから来る自分自身の未消化な解釈を展開している。電荷なら寸法で、電圧が異なるのが電気理論からの結論である。寸法が違っても同じ電圧となるのは、『電荷』論は間違いである事を示している。もう少し静電容量と電荷の関係を述べておく。コンデンサは並列に接続すればどんどん容量は増加する。電池の持つコンデンサ容量を基本として解釈しないと、電荷による電圧概念の説明は付かない。今、電池のプラス、マイナスの極に大きな容量のコンデンサをつないだとする。当然全体とすれば、電池の静電容量が増加した事と同じ意味で解釈できよう。だから電池の外形・寸法による静電容量と電荷の量との兼ね合いとして、電圧を解釈する事は無理であると考える。」要するに乾電池の電圧値は『電荷』と言う物理概念では説明できないのである。電池内部の化学物質の詰め物の「物理・化学的解釈」が論理的に説明できていないのである。技術と科学理論の間に横たわる問題・課題である。一応乾電池の話はひとまず置く事にする。

交流回路を含めて、電圧の意味を 考えて見ようと思う。 100 V 50 Hz の交流電源で考えて見よう。電圧計は交流用の「可動鉄片型」に成る。(2014/11/18)追記。失念していた事がある。交流用の測定器で、「可動鉄片型」は高級な計器である。普通は直流用の「可動コイル型」にダイオードを組み合わせて、交流用『整流器型』として利用している場合がほとんどだ。思い出したので、少しご注意頂きたく追記した。この測定の電圧形も乾電池の話で示した電圧計と同じく、計るものは電圧計に流れる電流値を高抵抗で微弱量に制限して、その電流の電磁石の力で鉄片が吸い込まれる回転トルク力の角度量を指示値として示しているだけなのである。先ず電圧として測定指示している数値が何であるかをきちんと捉えておく必要がある。技術と理論の概念との関係を正確に理解することが、科学理論の実情を捉えるに大切な事と考えて、こんな些細とも思える話を記すのである。結局、電圧値として表示する値は、メーターの中に流れ込む『電流』に基づく「磁場エネルギー」の力を利用しているだけである。測定器は『磁気』の空間エネルギーを利用している物がほとんどであろう。電荷によるクーロン力等教室授業の為だけの無駄な概念であると言いたい。(原子理論も電子電荷の軌道論で構築されているが、悪いけれども、そんな理論は捨てるべきである、内緒話)

電圧の次元 ここで電圧の意味を纏めておきたい。

エネルギー[J(ジュール)] とJHFM単位系』および電流と電圧の正体をご参照ください。

エネルギー伝送と電気回路技術

物理学の基礎分野である電気磁気学は、現在その教育と言う面でとても大きな壁に突き当たっていると言える。それを克服できるかどうかは、教育関係の行政機関初め現在教壇に立つ教育者の科学的感性とその姿勢に掛かっていよう。私自身が工業高等学校、大学等で生徒に教えている時に現在の電気磁気学の理論を疑いもしないでいた。しかし、その理論の意味を深く考えて見れば、怪しさに惑わされていた事に気付く筈なのである。『電荷』、『電流』と言う物理学的概念の『実在性』をどのように認識するかに取り組む事で、世界の理論的概念がとても怪しいものであり、脆い基盤の上に構築されて来た事に気付かされた。電流は流れず でその意味を論じた。しかしとても大き過ぎる問題であるから、そんな論で納得されるものではない。科学技術と学問分野が細分化され、専門性が極端に狭い視野に限られた現在、基礎理論の教育に注ぐ情熱も、時間も無いままにやり過ごされているである。ただ時間が無駄な教育を学生、生徒に押し付けているように見える。視点を広めて見ると、いろいろ今まで気付かなかった事に遭遇する。電気通信は現代社会の基盤を成している。IT通信始め携帯電話、衛星放送等の科学技術は、その専門技術の中味を知ることなど誰にも不可能な世界に生きざるを得ない事になった。科学技術が進展する程、我々はその技術からの疎外感を強めた中で、ただ流されて生きるだけの存在に成っている。とても大きな時代を支配した代表格の、技術が見える『ブラウン管式テレビジョン』、またそれ以上前の『真空管式ラジオ』などは蒸気機関車と同じく感覚的に技術の恩恵をその中身と一緒に享受できた。ここに挙げたエネルギー伝送路で、「導波菅」と言う技術も殆ど過去の物に消えてしまったのだろうと思う。その技術は、当時はやはり目で観る事の出来る技術であったから、何となく理解は出来ようと思う。不思議にも、電力配線は電気の送配電系統に19世紀からの電気技術が現在も活躍している。目に見えるから理解しやすく、その面で安心出来る。ところが、その電線路の意味さえ、理論で克服していないという恐るべき科学論とは、一体何者だろうか。電流が電線の中を流れると言う「アンペアーの法則」の意味を疑わない理論の人間の本質とを重ね合わせて不思議なのである。上のエネルギー伝送路は、電気磁気学の理論を、その電流と言う概念の持つ本質を説き明かすに役立つかとの思いで取り上げた。どれも『電磁エネルギーの伝送』の問題である。エネルギーは真空空間を最も容易に伝わるのである。『空即 無限なる有なり』と言う名刺を作った事がある。当時は電磁気学の本質は何かに悩んでいた頃。電線はエネルギーを反射し、受け入れないのがその本質的特性である。その象徴的現象が『超伝導』である。実は、「表面波伝送線路」と言う記事を昨日見た。「新版 無線工学Ⅰ 伝送編 宇田新太郎著 丸善株式会社 昭和39年4月」のp.150. に出ている。Sommerferudo (1899年) の理論を、アメリカのGoubau (1950年) のエナメル線の話等がある。それは超伝導現象との関係でも意味のある話である。空間こそエネルギーの伝送の舞台である。

表面波伝送線路は導波管路に接続した導線に関する接合部の話である。その本、無線工学Ⅰを参考にして、分布定数線路実習を学生実験に取り入れた。双三極真空管 2B29(真空管名) で発振器を作り、実習室に長さ約5mの2本の平行した分布線路を張った。発振周波数は 150 MHz で、線路インピーダンスは 500 [Ω] =276 log (100/1.6) となるように、屋内配線用ビニル軟銅線 1.6 mm の裸線を 5 cm間隔に張った。裸線2本の間に、 150 MHz の高周波信号の定在波分布が得られた。裸線でのみ行ったが、ビニル被覆線のままであったらどうかと、今に成って考えてしまう。その実験結果等は、新潟県工業教育紀要 第3号(昭和43年)分布定数線路実習に関する一考察 に載せてある。驚くほどきれいな分布データが得られた事を覚えている。直菅 40W 蛍光灯をその分布線路に近付けると、高輝度に蛍光灯が部分点灯する事に驚いた。蛍光灯の点灯は水銀蒸気の紫外線 2537 Åが蛍光物質を励起して、可視光線を発光すると言う技術理論の応用である。しかし、 150 MHz は紫外線に比べれば、とても低周波数、長波長(2 m )に該当する。それにも拘らず、蛍光灯が高輝度で点灯するとは誠に不思議な現象である。蛍光灯の点灯原理とは余りにも異なる点灯現象であるから。この不思議な点灯現象の話は、長岡工業高等専門学校での、文部省の助教授(中曽根内閣、松永光文部大臣)審査申請書で、3つの研究成果・教育成果の一つに挙げて、提出した事を覚えている。もう一つは、やはり新潟県の幽霊教員時代の「変圧器教育指導上のー電圧時間積分ー」への教科書指導原理の変更を迫った。(これが審査で通過した事を思えば、文部省は何も審査等せずに、抹殺の為の手続きを踏んだだけとしか考えられない。内緒の話?)