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グラフ表現と基準ー時と位置ー

表現したい物・伝えたい事をグラフにする。グラフ表現は解り易い伝達手段である。そこには共通の解釈上の基準が理解されているからであろう。しかし、本当にグラフ化された意味が理解されているかと言うと、疑問に思う。特に科学的な現象をグラフ化する場合、時間軸で現象の変化を表現することが多い。電気現象などは、電流波形や電力などは無意識に基準軸を時間の流れで表現する。

グラフの横軸。現象の流れは時間軸を横軸とする。考えて見れば、時間軸で表現したグラフは「抽象的」表現法なのである。『時間』は人が見る事が出来ない事象である。感覚的に時間の流れを経験的に積み上げた脳での抽象的認識に基づくものであると見られよう。流れゆく経過と言う時間は常に留まる一瞬も無い、移り変わる「現在」の連続である。時は「現在」と言う時刻の流れである。水の波を眺めれば、広い海の上の景色として目に映像が映る。その広がりの景色は「具象的」な姿である。目で観る物は「具象的」、目で観えない時間は「抽象的」だと解釈する。以前何かの記事に書いた絵である。時間と位置による、同じ波を表現した時の違いを書き表した。同じ現象を表現しても、その表現した形は違ってくる。現実世界は空間的広がりで捉える。時間的変化を普通は見る事が出来ない。『オッシロスコープ、シンクロスコープ』と言う波形観測装置がある。その観測観面には丁度ブラウン管テレビ画面のように映像を映写する。横軸に時間をとり、縦軸に現象の各時間瞬時値を描けば、時間の流れに従う波形を観測する事は出来る。科学技術の手法は本来抽象的で、観測出来ない物さえ、あたかも現実世界の観測能力があるかの如くに見せてくれる。その波形観測を日常的な生活手段にしている人は、感覚的に時間変化も具象概念と認識するのであろう。

グラフの縦軸表現。 言葉で表現するより、図形で伝える方が効率的な事が多い。だから様々な場面で、図解表現での伝達法が多くなる。しかし、その図の表現法で、伝えたい点を殊更に意識し、誇張しすぎた図に出会う事がある。縦軸のとり方で、気に成るものがある。例えば、右のグラフで、(イ)と(ロ)は同じ意味を表現している。(イ)は縦軸目盛が拡大してある。如何にも変化が大きい事を伝えたい気持からであろう。しかし、実際は(ロ)のように、全体から見た変化幅はある程度に収まっている。これはニュース番組にも見られる事であるから、見る側が注意してみなければならない。次に電気信号の表現で、注意して考えておかなければならない事例を挙げておく。特に電力技術の分野でも、注意して理解しているか危ぶまれる事ではないかと思う。

全波整流回路について考えて見よう。電源の100ボルトを直接整流して直流モーターを回すとする。その時、直流側の負荷電圧V-d は波形を観測装置で観測すれば、全波整流であるから、図の(イ)のような脈動した直流電圧となる。しかしその波形の基準である、電圧0の電位は如何なる値かと言う事を理解しておく必要がある。それは、電源の1線は必ずアースされている。図(イ)の基準値にEと記ししているが、それは次の半サイクルではアース電位ではないのである。電源電圧が正の場合は、ダイオードAとDがオンして、電源電圧Vがそのまま直流側のプラスのp点(赤い線)とマイナスのq点(青い線)に繋がる。その時のアース電位Eはq点に繋がる。次の半サイクルは、逆にダイオードBとCがオンするから、アース電位Eはプラス側のp点に繋がる。だから、負荷の直流電圧は常にプラス電圧に成って居るけれども、電源のアース電位を考えると実際の直流電圧V_dは図の(ロ)のような電位の部分を整流しているのである。負荷側の基準端子q点はアース電位でないから、機器の内部で間違ってq点をアースする事は危険なのである。実際はその危険を避けるため、必ず電気機器では電源電圧を「変圧器」を介して、アース電位を遮断している。波形を表現する場合に気を付けなければならない事があり、その事を意識して伝える必要があろう。この記事を書いた訳は、前の「雷と指数関数」での波形を考えて、その波形から、光の『光量子』のエネルギー分布を表現するに、時間軸とか空間座標表現とかの問題を理解しておく必要があると考えての事である。

雷と指数関数

自然現象は様々な不思議の世界に誘う。天空に炸裂する「稲妻」がある。ドドドドゴロゴロと恐ろしい雷鳴を伴う。あの一瞬の稲光の正体は何なんだろう。

(2014/06/30)追記。結局雷は熱爆発である。

(11月28日追記)「神鳴り」とも言われ、雷とは神の仕業かとも言える程の不思議に満ちている。その不思議を図案に表現して、遊び心を満足させたいものだ。難しい電気回路に入る前の予備知識に、不思議に遊ぼうと思った。雷は、閃光の稲妻で地上に自分の威力と恐ろしさを知らせる。その稲妻の正体は何か。強烈な稲光の後、暫くして「ゴロゴロ・・」と轟音をとどろかせる。その音の正体は何か。何処で反射した轟音なのか。しかし、その轟音は災害を伴うような事は無い。危険は無い。恐ろしいのは落雷と言う、雷の直撃を受ける場合である。その死をも招く訳は電気的な感電現象であると言はれている。殆どの科学的、解説では『電荷』のプラスとマイナスが対極的に分離して、向き合う為に、その引き合う事によって電荷が中和炸裂して『光』を発生させる。その電荷に基づく解釈が受け入れられている、その事自体も「人と科学」の不思議な事柄に思える。私は『電荷』での説明に納得出来ない。何故、プラスとマイナスの電荷がワザワザ、クーロンの法則に逆らって分離、離反出来るのか。さらに遠くに離れてから改めて、プラスとマイナスが引き合ってクーロン力で合体するのか。あるいは合体しないで、陽子と電子の原子軌道上に集合すると言うのか、詳細の説明はなされていなかろう。雷の本質は何かの、どの疑問にも自分なりに納得できる解答を得ていないのである。そんないい加減な自分の科学認識を図案化すれば、滑稽でもあろうが、上のような絵図に成るのである。元もとエボナイト棒等との摩擦で生じる「吸着現象」を『電荷』によると言う二元論的解釈に科学論が集約化された事が原因に成っているのだろう。以上で序論の追記とする。

電気現象的解釈。 大昔からいろいろの解釈で説明されている。電力系統の管理技術者にはとても厄介な現象である。送電鉄塔に雷が落ちれば、電力系統に甚大な障害を及ぼすかもしれない。系統の耐雷設計は衝撃電圧と言う雷特有の衝撃波に対する安全性が技術的対策として要求される。その試験電圧を「高電圧発生装置」で作り出して、耐雷試験をする。雷衝撃電圧波形は基本的には右図のような物の様である。急激に立ち上がる波頭と長く尾を引く波尾長から成り立つ。標準電圧波形は 1×40 μ sec の波頭時間 T_f=1 μ s、波尾長時間 T_t=40 μ s と決めている。ところで、何故このような波形に成るかは高電圧工学では一応解釈が定まっている。しかし、それは「雷」と言う物が『電荷』の蓄積による自然現象と言うのが基本に成っている。私は「電荷」を否定する視点から見れば、雷現象そのものも改めて解釈し直さなければならないのである。この電圧波形に含まれる『エネルギー分布波形』が先ず計算してみなければならない値である。それは、衝撃電圧波の波尾長部分の減衰特性の問題になろう。それは指数関数の例題でもある。ここで高電圧工学の分野に成ろうが、衝撃電圧を発生する装置が試験設備として利用される。その設備の電気現象を解析しようと取り組んだ。しかし、なかなかの曲者である事に気付いた。電気現象としては、所謂過渡現象の解析になる。回路に示したように、一応回路の慣性素子であるインダクタンスL[H]を加えてあるが、じっさいはL=0と考えて良かろう。 L を入れた訳はこの解析を通して、回路解析の『微分方程式』の意味を考える為でもある。私がとても取り付けない難しい解法が、微分方程式である。この機会にその解法の意味を考えようと思った。

ここで、雷と指数関数を取り上げた訳に触れておく。『光量子』の空間エネルギー分布式への橋渡しの意味があった。その雷の衝撃電圧発生回路から、微分方程式の解法の道に迷い込んでしまった。ようやく、根の判別式が負の場合の例に辿り着いた。指数関数の指数が虚数となる。具体的な回路定数で1例をグラフで示す事にする。

今回のR-L-C直列回路の解法で、微分方程式を改めて考えて見た。電気回路の解析で、普段は「ラプラス変換」に頼る。公式で変換するだけで簡便であるから。ところが、R-L-C直列回路に成ると、ラプラス変換でも理解困難な事に気付かされた。私が常に利用させて頂いている名著がある。『OHM文庫』自動制御・回路のための ラプラス変換入門 高木 亀一著 (昭和45年 第1版第10刷)である。そのぺージ70に同様の例題がある。その解説でハタと理解できない事に遭遇した。詳細は省いて、ラプラス変換でも難しい事を知った点だけを記して、回路解析の項は終わりとする。

雷の衝撃電圧波 冒頭に標準波形について触れた。しかしその「JEC」で規定されている波形を作りだすことは困難な事ではないかと考えるに至った。特に衝撃波の波頭部の意味は回路的に作る事は困難と判断した。実際に、私が工業高等学校で生徒の実習に指導した回路を考えても、回路構成は C-R のみであり、インダクタンス L は無い。雷発生装置と見られる火花放電装置である。その装置で発生する衝撃電圧を考えて見る。ただコンデンサに高電圧整流管のケノトロンで直流電圧を充電し、そのエネルギーをスイッチであるギャップGを通してトリガーTで火花点弧させ、抵抗 R でエネルギーを放電する回路構成(冒頭に示した回路のL=0 の場合)でしかない。その抵抗を通して放電するエネルギーが指数関数の減衰特性に成るだけと考えれば良かろう。右に電圧波形を示す。その波尾長が標準波形の (1 × 40 μs) の 40 μs で2分の1に成る場合の例で示した。電圧値 E [kV] で R-C の直列放電現象を解析しようとすれば、過渡現象であるから、微分方程式に頼らざるを得ない。ラプラス変換公式を利用するにも、先ず微分方程式である。しかしその後の解法に於いては、どうしても指数関数的に減少すると言う基本的自然現象の特性を理解している事が前提で話が進む。こんな単純な回路解析においてさえ、指数関数が現象の基本にある。e^-αt^の指数関数形式が、放射性物質の放射能の強度の減衰特性をも規定する。悲しい事件や嫌な経験の記憶の忘却特性も指数関数的であれば、半減期がどうだと諦めて時間の流れに任せればよい。次には衝撃的に突然良い事が降りかかるから。これは冗談です。上の雷の衝撃電圧波形は、ただ指数関数的にエネルギー放電すると言う意味を電圧形式に表しただけで、 方程式を解いた訳ではないのです。指数のαの値を決めるのに、対数の計算規則を使っただけである。e^-α×40 ×10^-6^^ = (1/2) の両辺に対数をとると、α=((log_e_0.5)/40)×10^6^=17300[1/s] と計算される。その条件を満たす抵抗値 R=57.8 [Ω]をα=1/RC から選んだ。波尾長は回路定数で大よそ決められようが、波頭部の急峻な立ち上がりを決める事は無理と考える。電流が導線内を流れる訳ではないから、電気配線の空間を通してエネルギーが放出される事を考えれば、1 μs と言う時間に対して厳密な電気回路制御をする事は無理な話である。ここに示した R-C 回路での波頭部を破線で示したのは、空間特性の誘導性が立ち上がりを規制する訳で、その遅れが立ち上がり特性を決めると解釈する。これは送電線路への雷衝撃電圧波形も空間を通したエネルギー侵入と考えられるから、波頭波形は自由空間からの線路導体局所空間への侵入特性として立ち上がりが決まると解釈できよう。

 稲妻、その光の意味は? 素粒子論の意味を問う。難しい理論ではなく、誰でもが日常に経験する自然現象の1つが夜空に炸裂する稲妻である。その姿は強烈な閃光を放って、一瞬で消えてしまう天空の光の舞台である。その主役は光の姿で現れる。しかし光のその奥に隠れた真実とやらは姿を見せない。光の真の意味を稲妻に託してみたい。勝手に想像して夜空の稲妻を絵にした。ぎくしゃくと屈曲した光の筋を描いて地上と天空を結ぶように見える。要は、何が何して何とやら・・じゃないが、何故そんな具合に光の筋が通るのか?と考えても説明するだけの真実を捉えきれていないのである。『電子』が負電荷の代表と仮定して、電子とプラスの電荷の『何か』との間の相互作用が原因だと理解しようと考えても、どんな相互作用によって光の筋道が出来るのかの『解釈の筋道』が見えない。ここで、最大の疑問点を提起したい。光はエネルギーである。光エネルギーは何かの質量が変換されたものである。もし電子の作用とすれば、電子の何が光エネルギーに変換されたのかを説明しなければなるまい。また『電子』の像を考えてしまう。どう考えても電子の正体を捉えきれない矛盾が多過ぎる。その不可解さをマーク『?』で構成して、電子像を「?素粒子」と言いたくなるほど理解不能の素粒子である意味を図案化したものである。叱られそうであるが、正体不明のままで論じる素粒子論の理解が出来ないならば、勝手な想像も許されるだろうと、『電子像仮想品評会』に出展でもしたいと描いた。その正体不明の素粒子が天空と地上の間に演ずる稲妻と言う演目の原理が見えない。そこでその電子と言う素粒子が高速に加速されて、標的に衝突させた時、やはり光のエネルギーに変換されて放射光となる。どんな変換でも熱か光のエネルギーに変わって、放射される。しかしそのエネルギーを、光エネルギーの本質が何であるかを追究するべく注目はしない。エネルギーは質量が無い物に対して、その存在を認識していないのじゃないかととても気掛かりである。光をエネルギーその物とは認識していないようだ。運動エネルギーとポテンシャルエネルギーが物理学理論のエネルギー概念の基本に成っている。質量の無い物理量の代表が『光』である。光は物に吸収されれば、速度ゼロとなり質量に変換されるのである。光は光である限りは質量は見えない。光が速度ゼロに成ると、そのエネルギーは質量に成るのである。質量とエネルギーとの相互の関係は『エネルギー・質量等価則』と言う世界で解釈すべきである。

電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察

前のブログが「空間瞬時ベクトル解析法云々」で電力系統解析に関する少なくとも自分の専門性に関わる内容であった。それは当時の『中曽根臨時教育審議会』に絡んだ教育界の事件の一端を含んでもいた。しかし2年近い『電気磁気学』の授業担当で、その本質的矛盾を感じ取り、すでに研究意識は「物理学理論と光速度」に集中していた。昭和61年8月の電力研究会での発表と同時に、研究の方向は物理学理論に向かっていた。世間知らずの愚かな自分が今は情けない。8月の中旬、松の山温泉に義理の母を伴い3人で一泊旅行をした。そこでリポート用紙で、「無限長導体電流の空間描像」を計算した。9月に成って、高専の雰囲気が陰鬱に急変し、同時に「殺害される危険な兆候」を感じ取った。後半年はただ生命を守る対策を整え、『静電界は磁界を伴う』の実験に取り掛かる。高専から逃げれば何とかなるかと考えたところが幼稚である。

(2017/05/08)追記。今以ってこの時期のこと、大学事件と言える事態に、どう対処すれば良かったかも分からない。2年間長岡工業高等専門学校に行って元の所に帰るという約束であったので、ただその通りに約束を果たした。高専で助教授であったが、助手で戻ると言う約束であった。世間の常識では許されない事だったとは知らなかった。新潟県から『割愛』という異動が助手であったから、高専からやはり『割愛』人事であったらしいので助手でもやむを得ないと思った。しかも大学での所属が研究分野で分けられている等という事さえ認識が無かった。研究分野が電磁界理論であれば、電力分野に所属できない事ぐらい常識であると今は分かるが、当時は全く考えもしなかった。当時どうも自分の関係したことで、世間が騒いでいるらしいとは分かったが、誰に聞く訳にも行かず、その意味が理解できず精神的にも混乱の中に居た。初めて電気学会の電磁界理論研究会での発表に臨んだ。千葉県の国民宿舎『館山』での発表であった。なお、宿舎の部屋は金沢大学の満保教授と同室の筈であったが、顔を合わせずに過ぎたてしまった。発表当日、会場入り口で話しかけられて誰も初めての人ばかりであったから、名刺(助手の肩書)を渡したらびっくりした様子であったので、こちらが意味が分からず驚いてしまった。多分九州大学の電磁核融合の研究をなさっておられた青木教授であったかと記憶している。8月はじめに、資料論文を書きながら電流棄却を決めてまとめた内容であれば、電力分野に所属しながらできる訳が無かったと恥ずかしい。発表内容も『静電界は磁界を伴う』の実験内容への期待(?)に添えずであったと思う。関口教授(後で、質問される等特別なことだと、何方かに言われた)に質問された。帰りは東海岸沿いに灯台に登ったりしながらの帰途を辿った。その間中、前後ろにネズミやカラスに付き纏われながらの旅路であった。誠に無知故とはいえ長岡科学技術科学大学で電磁界理論の研究をすることは無理だったのだろう。なおもう一つ気掛かりがある。館山の宿舎で、広間での夕食時に、突然呼び出し放送が掛った。用件は家からの電話であった。内容に驚いたが、新潟県の騙し討ちのような話。役人が突然家を訪れての頼みごとであった。留守を知って居てのことだろう。県道の用地確保のための土地の売却契約要請の話であった事後で知る。その内容も良く電話では分からず、特別のことでは無かろうと了解したが、後で県道用地だったのかと分かった。社会常識と合わない己一人の採りようのない世渡りの恥の道であった。昭和63年秋にはとても精神的に耐えられる状況ではなく逃げざるを得なかった。電気磁気学の物理的意味を理解するに今日までの長い道のりを必要としたと思い、己の無知を恥じる。

ここに書いた論文内容は、現在までに日本物理学会での発表会で論じて来た内容と比べて、当時から余り進歩していないと思う。ただ、「光量子の空間描像」および「マグネットのエネルギー流」で進歩したかと。

下の研究資料は何も知らない、世間知らずで大学の組織体制にも無頓着な愚かな自分を曝していた時のものである。この論説を研究会で発表した訳は、内容について多分物議をかもしたと思うが、『静電界は磁界を伴う』と言う意味が当然理解される筈が無いと考えたことが理由である。その理論的根拠を示した。実験データは持っていたが、翌年に回せればと先ずは理論で論拠を示した。それがこの資料の意味である。