月別アーカイブ: 2011年9月

光とは何か?-序章ー

(2020/06/29)追記。現在は少し深まったかと思う。プランク定数の概念 (2018/07/17) および軸性光量子 (2019/11/11) がある。

世界は光で出来ている 世界を、その全体像を認識するに『光』の意義を捉えずには不可能である。極論を言えば、世界は光で出来ている。熱とは何か?と言う問いに対して、結局の結論は光に結びつく。質量は何か?と言う問いに対しても、光に導かれる。(2013/09/22)追記。世界は光で出来ているは、エネルギーと空間と質量に繋がる意味である。十九世紀末から二十世紀初頭に掛けて、キュリー夫妻により『放射性元素』の存在が明らかにされ、1900年にMax Planck がプランク定数h[Js]の概念を発表した。1905年にはアインシュタインが『光子(photon)』の概念を発表した。この時代が物理学の新しい展開の基礎となったと考えられる。それから100年が過ぎ、科学技術が生活に革命的に浸透した。しかし、物理学基礎理論がその科学技術の生活と科学意識に役立ち、重要かどうかを検証しなければならない瀬戸際に立たされていると感じる。放射性元素から放射される粒子や光、地球の生命を育む太陽光線。宇宙の果てから届く星座の放射光。人だけに留まることなく、あらゆる万物がその世界の光と共に生きている。物理学と言う学問の専門分野に入れば、科学の発見に基づく知見で光の世界を解釈する。市民の光との関わりとは異なる関係で学問体系が構築される。しかし、光の世界を認識するのに、学問的解釈が日常の市民生活とかけ離れた世界観で在ってはいけない。日常生活が科学の世界観と共通の世界認識に繋がらなければ、科学の意味が無いであろう。光をどのように捉えるか、認識するかはそれが世界の真理を捉えるに欠かせない基礎となると考えている。日本物理学会で、2000年にプランクの業績(発表から100年)を讃えて、特別の大会を開催したように記憶している。第55回年次大会?が新潟大学で行われた。『物理学が問われていること』として三点を挙げた。1.電磁界概念。2.量子力学におけるエネルギー概念。3.特殊相対性理論の曖昧さ。これが物理学における、物理学的解釈の言わば問題にすべき業界論に見えた。市民的日常世界から隔離された、独特の閉鎖社会に見えた。その年がプランクの記念大会とは知らずに、その時点で知った。その翌年、「プランク定数の次元と実在概念」を発表した。量子論で、未解決の問題として、波動性と量子性の両面解釈の曖昧さが物理学の根底に燻ぶっていた。その時の講演発表内容は、光量子概念については余りせずに、『静電界は磁界を伴う』という原点の概要発表が主になったと記憶している。電磁気学の本質を理解しないで、「光量子」概念の理解は困難である、という思いであった。最近の『光量子』概念として私が定義づけているものを解説しておきたい。今回はその序章として、準備もしていないので、過去に学会発表に使った資料を挙げたい。それを見れば、大体の概念は読み取れると思う。第一枚目は、光は『振動等していない』と言う教科書的解釈とは全く異なる意味を表している。そこから光一粒をどのように認識すべきかを二枚目の資料に記した。この一粒の光量子を体積積分すると、いわゆる光量子概念のエネルギー e=hf [J] の値になる。光の振動数 f [Hz] 、プランクの定数 h [Js] による表式に一致する。(2020/06/25)追記、この部分の記事を削除した。それは、量子概念そのものの過去の解釈をも含めて検証しなければならないのである。現在私が悩んでいる点は、上に提唱した量子エネルギー空間分布の波長寸法(可視光線の波長が3800Å~7600Å )が原子、分子の外形寸法(1Å~数十、数百Å)に対する差が大き過ぎる。その差に対して量子論の作用効果を及ぼす事実に納得できる解釈を得ていない事である。光の波長とは何か?の『問答』に対する『答』を得るには『干渉縞』の計測波長をどう解釈するかが重要な観点と考えている。『干渉縞』の計測・観測の経験が無くてこれ以上の解決、解釈に進めるかは疑問である。現在のところ、光一粒の意味を「振動数」と言う「何が振動しているかの振動実体の曖昧さ」だけは排除した概念でまとめ上げた。その解釈を基礎に進める以外は無いと考える。参考:光量子エネルギーのベクトル解析 日本物理学会講演概要集 第61巻2号1分冊p.291(2006.9.23) 。プリズムと光量子の分散 同上 第64-1-2 p.405 (2009) 。眼球の光ファイバーと光量子 同上 第65巻2号2分冊 p.363 (2010.3.20) 、眼球の光ファイバーと色覚

ここで述べた光量子の空間分布式についてまとめたのが、光とは何か?-光量子像ーである。

化石と硯

何年程前になるか忘れたが、街の文房具屋さんで硯を購入した。先ず硯の『銘』を示そう。その文字は「大成精英 丙寅 印(?)」と読むのかと思う。その硯石がとても不思議な化石の塊石である。硯の裏面が化石の塊である。全体と上半分の写真を示す。先日からカメラに収めておいたので、公開してその化石が何であるかを皆さんに考えて貰おうと思った。日本の化石ではなく、中国で作られた化石の「硯」と思う。幾つかの写真で示した。写真を拡大すると、同じ形状をした虫のような化石に見える。色も少し橙色の残る「足」ではないかと思われる。現在の知っている虫の中には思い当たらない。左側には少し大きめの特徴のある化石かと思えるものも見える。最後にこの硯の箱の模様も示しておく。(追記)2012/08/03. 石の囁き 聞こえますか に関連した記事である。化石は古代の地球環境を知る、貴重な自然の遺産であり、残された古代記録である。だから化石はいろいろ話題になる。しかし『石』という存在はあまり注目されない。全て、石も初めから石ではなかった。そんな単純な見方が自然理解の基本でなければならないと思う。

1+1=? ー数学の論理ー

人が周りの世界を見る時、「数」という尺度で観る。古来からの当たり前の知識である。日常生活では、せいぜい一つ二つ、千万あるいは億の数値の意味が理解できれば事欠かない。しかし、現代社会のように、学問と言う特殊な、専門的分野の業界での生活が日常化して来ると、とても普通の市民が立入れない分野が増えて来る。特に『数学』と言う分野になると、そこに表現された数式一つの形式さえ、何を意味しているかが全く分からない人の集団業界に見えて来る。最近思うのである。数学と言う学問領域の最先端がどんな状況にあるかは全く分からないが、そこで用いられる表現化形式に世界と繋がる何かを本当に具体的に掴もうと意識しているのだろうかと。多分、そんな具体性等は『数学』の範疇に入らない等と言われよう。前から論じている事であるが、「虚数」がある。この世界に無い数の概念である。実在世界に無い数の概念が、科学技術分野、自然科学分野では当たり前に存在する数のように、数理世界の表現手段として、殆どその数的意味の内容が何であるかを疑いもしないで日常的に書き記し、利用されている。確かに、便利なのである。例えば、自動制御回路を組む時、その回路の『安定性』が重要である。少しの雑音信号で回路動作が不安定に成り、発散して仕舞っては困る。そこでの「ナイキストの安定判別法」には複素数が基になる。他にも、電気工学には動作解釈に虚数が多用されてはいる。「ラプラス変換法」等もその一つである。しかし、その複素数の虚数がどれほど重要な意味を持っているかは疑わしく思う。確かに電気回路解析時における手段としてはとても便利に使える。今まで、その虚数、複素数の意味を具体的に考えないで利用して来た。技術分野では、誰もがその便利さに驚きの思いだけで利用して来た。今も深くその意味を考える等自分にはおこがましい事であり、能力は無い。それにしても気掛かりな事が多くある。数学とは、論理的に完璧さを追究する学問体系と普通は考えるだろう。それは本当だろうかと怪しく感じて来た。そう思うのは、自分だけの思い過ごしかも知れない。しかし虚数の概念には、『虚時間』等と言う提唱者が世界的に有名な方で居られる。時間ならその数値の次元、単位は秒 [ s]等になるだろう。しかし私の頭で、世界を虚時間で認識する等と言う事はとても無理である。標題の 1+1=?  とは、1 が何を指す数なのかを、この世界の中で捉えていなければ無意味だと言いたい。例えば、リンゴ一つの意味の「1」と長さの意味メートルの「1」とを加えても、それが何を表現するかは理解できない「?」である。もっとも簡単な算数式の「1+1=」さえそこには『世界に実在するもの、矛盾なく誰もが理屈で考え得るもの』の対象でないと、その数式の表現する内容が矛盾と曖昧さに覆われたものになるのじゃないかと心配である。前からこんな事を書き記そうと思っていたが、今日になったのには切っ掛けがあった。ブログ『生活電気の・・』の中味を考えている内に、ハタと自分の無力さを知って、驚いた。それは、三角関数の計算で全く理解できない基礎にぶつかった。例えば、「sin 30° , sin (π/6[rad]) =? 」をどのように計算するのだろうか?(間違えて済みません。訂正します。角度が30°、60°の場合は、正三角形から幾何学的寸法の計算で得られる。また、45°も直角三角形から簡単に得られます。だから例に、sin 35.5° とでも挙げれば良かったと後悔です。思慮不足で済みませんでした。)と豆腐に頭をぶつけなければならないショックを受けた。便利にどんな三角関数計算も「電卓」一つで済まされる時代である。しかしその『基礎』に踏み込んでみると、何にも理解出来ていない自分が在る。1[㎡] + 1[m/s] = 2 [?] 等の計算をしないように気を付けようと、改めて『基礎』の大切さを噛み締めたい。論理性と言う理屈の中味に注意したい。

変圧器ー物理学解剖論ー

技術法則としての原理 電気エネルギーの利用が可能に成り、急速に技術革新が進んだ。その送配電が交流方式という事で、便利さが格段に電気事業の拡大を進め、そのエネルギー無しの生活は考えられない時代となった。その電気エネルギーの送配電には「変圧器」が欠かせない主要な機器である。電気現象を科学的に捉えたのは、1831年頃の『ファラディーの電磁誘導の発見』に遡ろう。その電磁誘導の法則が変圧器の動作原理として、物理学の教科書の基本を成している。標題でー物理学解剖論ーと副題を付けた。ここで解説しようとする事は物理学教科書の内容を説明するのではない。ファラディーの電磁誘導則の矛盾解説である。変圧器の動作原理を深く突き詰めて、その意味を解剖して明らかにしようとするものである。従って、受験のための学習者即ち受験試験成績の得点には極めて不都合で逆効果の、効率の悪い解説である。教科書が間違っている事は自然科学全体の未来への大きな課題である。しかし、『真理は安易な学習では到達できない』事の意味をも含めた解説ではある。先ずは、技術法則として有用である事に変わりはないので、『ファラディーの電磁誘導則』から変圧器の意味を考えてみよう。二つのコイルを近付けておく。その一方のコイルに電圧を印加する。ここで、教科書では電圧を掛けたコイルに「励磁電流」と言う磁束を作る為の電流が流れると解説される。しかし、技術法則としては、原理的には電流で磁束が出来ると言うのは、論理的に説得力に欠ける説明である。

電圧時間積分の意味 ①図で、コイル巻き数n_1_、磁束φ_1_および印加電圧e_1_として、その関係を表したのがファラディーの式である。その式には電流の値(変数)は入っていない。電圧と磁束の二つの変数の関係だけを表すのがその式である。ならば、式を変換して積分形式に表現しても同じ事である筈だ。それが①図の右下隅に示した表現式である。この式も当然のことながら、励磁電流と磁束の関係等何処にも示されていない。ファラディーの電磁誘導則から、途中に無駄な概念を追加する曖昧性の介在なしに、直接導かれた式である。説明の為に、新しい概念を追加して広げる事が現代物理学理論を迷走させた原因になっていると考える。そのような意味が、この「励磁電流」と言う不要な概念にも見えると言えよう。最後の結論としては、「磁束量」と言う概念さえも破棄しなければならない矛盾に論点が進むのであるが。しかしそこまで行く過程で、今は「磁束」の意味を取り入れて論を進める。ファラディーの法則は、電気磁気学の基礎理論として、変圧器の動作原理の解釈に長い間揺ぎ無い足掛かりを提供して来た有り難い法則である。電気理論で少なくとも変圧器の解釈に磁束概念を使うなら、励磁電流は使うべき概念ではない。①図は変圧器概念の説明の為、一次巻線と二次巻線で示した。しかし、空間に一次巻線のみが単独にある場合は、単にソレノイドコイルと言う普通のコイルになる。そのコイルに電圧を掛ければ、何となく電流が流れ過ぎて、コイルが焼け切れると心配になる。その疑問・心配が電気を扱う上での重要な感覚なのである。その疑問が感じられる事により、次の深い意味を知る切っ掛けに繋がるのであろう。『問答』とは『問う事』が次の事初めに大切である。問わない人に『答』は用意されない。電圧時間積分と言う意味が少し理解出来る事に繋がると思う。コイルに電圧を印加した時、磁束量は電圧の大きさ、およびその電圧の時間的に変化する周期や波形で決まるのである。もし交流電圧のサイクルが極めて短い時間で、正負に切り替えられるならば、相当高い電圧でもコイルが焼け切れるような事はない筈だ。1万サイクルなどの高周波なら、多分コイルは有効な回路素子のインダクタンスとしての機能を発揮する事になるだろう。当然印加電圧がバッテリーのような直流なら、電源投入と同時に電気事故になる。直流電圧の時間積分でコイル内の『空間』はエネルギー貯蔵の限界を超える結果となる。空間定数値、空間透磁率μ=4π×10^-7^[H/m] の許容限界を超える自然の掟に逆らった行為であるから、許されないで、事故となる。ファラディーの電磁誘導則はそのまま、微分形式と積分形式で受け入れる事が重要である。励磁電流等に煩わされる学習上の無駄は不必要である。教育は、教科書初めその無駄が多くて、既存の教育業界を「考える教師像」から程遠い業界団体にしている。 写真400

磁束とリサジュー図形 技術法則として、鉄心磁束と電圧時間積分の関係の認識は重要である。変圧器の鉄心中の磁束がどの様に変化するかを観測する事で、その概念を理解する。一つの例として、インバーターが動作波形の理解に役立つだろうと思う。どんな方法で磁気特性を観測するかを参考に示しておこう。①-1に直流電圧e_1をスイッチ(トランジスタ)で切り替えて、コイルに印加すると、その磁束波形Φは直流電圧の時間積分として、一定勾配の直線状に変化する。切り替えで、磁束波形は結局三角状の波形となる。一応無負荷電流i_0(これが励磁電流と言う物になる)を示す。励磁電流は鉄心の磁気特性で決まると解釈されている。図では鉄心が省いてある。電流波形が磁束の変化に対応していない事を一定の電流値で殊更強調してある。スイッチングの切り替え点で電流が少し飛び出して、増加しているように赤く示した。それは後程鉄心の磁気特性で、起磁力(i_0)と磁束(Φ)の関係を示す『ヒステリシスループ』のリサジュー図形の説明のための準備である。ここでどのように磁束波形を観測するかを示そう。写真397変圧器の入力側に電圧時間積分検出の為の積分回路を追加する。コンデンサと抵抗の直列回路を電圧端子に付加すれば良い。抵抗R[Ω]の値とコンデンサC[F]の値で電圧の時間積分の周期、「時定数」と言う技術用語τ=RC[FΩ]が決まる。切り替えのスイッチング周期に対して、十分長めに、大きく取れば積分回路の役目をする。単位が[FΩ]=[sec(時間の秒)]になっている事はとても重要な単位系の認識を喚起するものである。

単位について、エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系をご参照ください。

起磁力は電流が流れる回路にシャント抵抗SH(抵抗値殆どゼロ)を挿入して検出する。アース点G、yとx点をオッシロスコープの信号として観測する。その結果の波形が右図のように得られる。オッシロスコープの入力信号で、横軸の掃引信号にxを縦軸信号にyを選べば、鉄心の磁気特性が観測出来る。図の『ヒステリシスループ』で、鉄心の磁束レベルが丁度飽和する限界状態に在るものを示した。①ー1で、電流値が終端部で跳ね上がるように示したのは、磁気状態が飽和限界でスイッチングされている事を示した。それがヒステリシスループの赤い横にはみ出した部分に相当する。後で破棄する磁束概念を、ワザワザこんなに詳しく解説する意味があるかとお叱りを受けそうであるが、技術の現場の常識である事を考えれば、一応その点まで踏み込んでおかないと「磁束棄却」の意味が深く認識されないと考えたからである。以上で「磁束と電圧積分」の関係の解説は終わる。上のトランジスターインバーターのスイッチング動作については、ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾に述べてある。

(ヒステリシスループ観測上の留意点) 変圧器1次側、電源側に積分回路を設定する。変圧器2次側は無負荷で、負荷電流零である。積分回路のR,C等の定数の選定について。電源の周波数fサイクル。その1サイクルの時間、いわゆる周期TはT=1/f[s]となる。積分回路時定数τ=RC[s]は電源周波数fから、τ>5×T位で良いかと思う。コンデンサは無極性のコンデンサで、たとえばC=1[μF(マイクロファラッド)]を選んだとすれば、抵抗はR=100[kΩ]を選べば、τ=RC=100×10^3^×1×10^-6^=0.1[s]となる。もしf=50サイクルなら、T=20[ms]=0.02[s]であるから、τ=5×Tとなり、何とか積分値の磁束は得られるだろう。また、無負荷電流、いわゆる励磁電流と称する値ioは分流抵抗器で抵抗値が殆ど無いものでなければならない。分流器が無い場合は、1オーム以下の抵抗を何本か並列にして、出来るだけ小さい抵抗値を使えば測定可能と思う。電源周波数について、普通の交流電源のf=50,60サイクル等の場合には、上の設定値で巧く行くだろう。しかし、インバーターなどのスイッチング回路で、周波数が1[kHz]等と高い場合には、その周波数に合わせて、積分時定数τ=RC[s]を小さくする必要がある。以上蛇足かも知れないが、昔を思い出して追記する(2013/5/23)。

鉄心とコイル巻き数 さて、変圧器は空間に二つのコイルを配置しても、その機能を発揮できない。何が必要かと言うと、磁性材料の鉄心である。近年はレアメタルがとても貴重で、貿易問題にも発展している。携帯電話にも、その磁気特性が優れているため、無くてはならない素材と成っている。二つのコイル間の電磁結合を強めるにはコイルの中に鉄系の鉄心と言われる材料が必要だ。実際には、下手な図であるが、右の(ロ)のように一次と二次のコイルを出来るだけ密接に巻くのである。初めに、内側に二次コイル、その外から電圧を掛ける1次コイルを巻く。図に古いE,I鉄心を使って巻いた変圧器の概形を例示した。今はカットコアが有り、簡単に作り易くなった。この鉄心がどの様な意味を持っているかは、変圧器を作ると良く分かる。鉄心材料の磁気特性で、最大磁束密度と言う材質の特性がある。その値以上の磁束は受け付けられないという限界値である。設計式に、正弦波電圧の実効値Vボルト、周波数fヘルツ、コイル巻き数N、鉄心の断面積S㎡および最大磁束密度Bm[Wb/㎡]とすれば、V=4.44fNSBm(参考:4.44の係数は正弦波の積分による2π/√2=4.44の値である。その係数はインバーター等の方形波電圧では単に 4 で、V=4fNSBm となる。)がある。この条件を基準にしてコイルを巻けば変圧器として動作する事に成っている。(注意)変圧器の電源電圧を印加する1次コイルの巻数Nは上の式(V=4.44fNSBm)の巻数値Nより多ければ安全に動作する。その限界値が上に示した式である。その点を付け加えておく。さて、この鉄心がどの様な役目をするかと言う点は、技術論で論ずるならば特段説明を加える事も無いだろう。しかし、物理学解剖論としてはなかなか奥の深い事になるのである。磁束概念矛盾

磁束概念の棄却 上の③図は、学会の説明に使った資料かも知れない。変圧器の電磁誘導現象と同じように、磁石をコイル近傍で動かせば、コイルに電圧が誘導される。永久磁石はエネルギーの貯蔵体と見做せる。コイルにエネルギーを送り、コイルに繋いだ負荷でエネルギーを消費しても、磁石のエネルギー量は減らないようだ。先日不図不思議に思った。磁石(マグネット)はその磁極の近傍空間に、エネルギーを保持している。しかし、その空間のエネルギーはコイルの負荷にエネルギーを供給しても、無くなると言う事はないようだ。物理の基本に、『エネルギー保存則』がある。一通り理屈を付ければ、磁石を移動するにはそこでエネルギーを供給する事になる。その磁石移動のエネルギーの一部が負荷に供給されると解釈すれば良いのだろう。と言う事で今のところ納得する事にしている。自転車のランプはこんな磁石発電機(磁石を回転させて、周りのコイルに回転動力のエネルギーを伝える発電方式)だから、それで辻褄が合うだろうと。供給エネルギーが光のエネルギーに変換されるのである。エネルギーはさまざまなかたちで人の気付かない姿を演出しているのだ。磁束の破棄とその意味。図③で訴えたい事がそれである。その図に「磁束がコイルに鎖交する」が矛盾とある。他の投稿でも説明しているが、 div B = 0 [Wb/㎥] の意味が、磁場の基本的条件を規定している事である。磁束が通過する面積密度の量を磁束密度 ベクトルB [Wb/㎡] と言い、その距離微分を3次元空間全体で計算すると、どんな微小空間であっても、 B の微分値即ち磁束が微小空間当たりの体積から発散するものは無い。即ち磁場空間の何処でも、磁束の発散・発生する源は無い。即ち磁束量を表現する矢印の様な磁束に『頭』も『尾』も無い。と言うのが磁場、磁束密度の基本的に定義された概念なのである。磁束を使うなら、矢印で書き表せませんよと言う事を定義しているのである。div B =0 は磁界に対する基本的規定である。磁束を矢印で書き表す人は、磁気の基本概念(div B =0の意味)を理解していない人と言わなければならない。そこで考えるなら、コイル内に磁束がどの様に入り得るかと言う『問答』になる。頭の無い磁束はコイルを横から切って入り込む道は残されている。それはフレミングの右手の法則として知られている『発電機』の速度起電力を表す事になる。電磁気現象で、磁界とコイルの間の『起電力』に関するものには二つある。『速度起電力』と「変圧器起電力」の二つである。「変圧器起電力」は教科書ではコイルと磁束との間の『相対運動』に伴う電磁現象は無い事になっている。だからコイルを磁束が横から切りながら、コイル内に入る速度起電力の解釈はされていない。速度起電力も変圧器起電力も、本当は区別するべきものではないので磁束がコイルを切って入ると解釈すれば、一応磁束の面子も保たれてよいかも知れない。しかしそれだけでは、問題の解決には成らない。コイルと磁石間には『力』が働く。コイルに磁石を近付けると、負荷にエネルギーを供給するのだから、コイルが逃げようとする力が起きる。その力に抗して、コイルを抑えておく事で、初めて負荷に仕事が出来るのである。このコイルと磁石間の『力と仕事』の関係を合理的に解決する『問答』の『答』を出さなければならない。

磁石近傍のエネルギー流 さて、磁石の磁極近傍空間にエネルギーが在ると述べた。磁束概念を棄却するには、その代りになる何かを唱えなければならない。それが『エネルギー』である。磁束があるから空間にエネルギーがあるのではない。エネルギーが空間にあるから、そのエネルギーを磁束と言う仮想概念で、仮に解釈したら便利であると言うだけの理由で「磁束」を使っているのである。エネルギーの一面を捉える手法として磁束概念がある。物理学を学ぶと、電気磁気学と言う分野では、磁界の解釈に、解説に「磁束」が無ければどうにも収拾が付かない事になるのである。それでは磁束とは何かと『問答』を始めて見れば、何か良く分からないとなって、『答』が出ないのである。『電荷』と同じ不可解な闇に迷い込むのである。解決は、空間に実在する『エネルギー』しか他には無いのである。そのエネルギー流を④図に示す。

電磁力とエネルギー流 磁界の特色は磁石で示される『電磁力』の強さであろう。電動機と言う強力な機械的『動力源』にその特徴が示されていよう。磁石同士の間に働く電磁力は誰もがその強さを実感して居よう。磁極のNとSで、同一磁極間では反発力、異種極間では近い程強い吸引力が生じる。その磁力は、磁束ではどうにも巧く物理的理由の説明が付かない。NとS極を近付けた時、磁束概念では、接近する程強力な電磁力に成る訳の説明が出来ない。磁束が近い程太い線に成ると言う訳でもないから、磁束の状態による力の変化を説明できない。磁力が磁気のクーロン力で、解説されているが、それもニュートンの万有引力と同じ『遠隔作用力』の物理学的力の概念を踏襲したものである。磁気と言う「点磁極」の仮定そのものが磁場概念の div B = 0 を否定した解釈である。点磁極の存在はN、S極が単独に存在するという『モノポール』の説に従うものである。広い磁極面の間の電磁力に、そんなクーロン力で解釈することが許される訳は無い。右上に示した電磁力の解釈は空間エネルギーの回転流に基づく『近接作用力』である。エネルギーとエネルギーの流れる間の分布流の絡み合いで力が生じると解釈するものである。決して力の原因は、離れた点の『何か』の間に生じる『遠隔作用力』では無いと解釈する。これは、原子構造論にも及ぶ概念である。電荷間のクーロン力と言う『遠隔作用力』をも否定する考え方である。この力の意味をコイルと磁石の間に敷衍してみよう。S磁極にコイルを近付けたとする。コイルは磁気エネルギーの流れの影響を受ける事を拒否する。即ち反発力を産む。反発に逆らって近付ければ、如何にもコイルに電流が流れる如くに、エネルギー間の逆流の反発力を産む。しかし、コイル内のエネルギーの消費と共に、コイル周りも磁石のS極のエネルギー流の中に入ると考える。次にそこから、コイルを引き離そうとすれば、今度は今までと逆に、コイル周りに在るエネルギー流の減少を拒むべく、引き離す力に逆らう吸引力を生み出すと解釈する。

エネルギー流から見る変圧器の機能 磁束と言う概念の矛盾から、その否定を論じてきた。それでは変圧器の動作原理・動作機能をどのように解釈すべきが問われる。どのような物理学理論の根拠概念であろうと、矛盾が排除できない限りは、その概念に正当性は認められない。最後に残り、否定できない根拠概念は『エネルギー』そのものである。上に解釈を示したように、磁場とはその空間に実在するエネルギーの回転流であると言う以外真理には到達できない。従って、変圧器もそのエネルギー流に基づく動作機能を利用した電力技術機器と解釈しなければならない。その考え方を解説する為の説明概念図を⑤に示す。鉄心である『磁心』に絶縁物を介して、2次コイルを巻き、その上に1次コイルを巻く。その磁心断面図が(ロ)である。この断面図を見て、磁束を否定、棄却したら、磁心の機能をどのようなものと理解すれば良いかが『問答』の要点になる。ここには載せてないが、マグネット面の磁場模様を砂鉄で観察すれば、磁場は一様ではないと見なければならない。参考:磁界・磁気概念の本質に磁場論。また、「磁力密度 f=rot(S/v) 」日本物理学会講演概要集第63巻1号2分冊p.310 (2008.3.25) で式の解説も示した。磁場で、重要な認識はマグネット間のギャップを狭めるにつれ、その磁場強度は磁石の周辺部だけに集中的に強まる事である。(2019/04/15)追記。以下の#~# の部分については少し訂正する。鉄心(磁心)部の中心部には磁気エネルギーの影響がないだろうという解釈は間違っていた。鉄心断面積が設計上重要な意味を持つ訳は、そこにエネルギーが入り込むからと解釈すべきである。1次巻線の電圧時間積分としての電源電圧保持機能は鉄心中心部までの軸エネルギー流の入射余裕が鉄心の断面積を要求するからと解釈する。しかし鉄心内に磁極のNSが生じるという訳ではなかろう。鉄心磁区毎に隣同士で極性が交互に入れ替わると考える。だからファラディーの法則のような磁束の意味は当たらないだろう。エネルギーの貯蔵機能として鉄心が重要な意味を持っている。だから鉄心断面積が重要になる。 #マグネットの中心部での磁界・磁場は、砂鉄模様から判断するに、殆ど意味を成さないと解釈する。その事が変圧器の『磁心』の動作機能を解釈するに重要と観る。磁心の中心部は変圧器動作に於いて、コイル近傍の磁心表面でのエネルギー流に対する電磁現象が、その本質を秘めていると解釈する。交流電圧積分から考えて、鉄心材料の磁気特性で、磁心中心部までエネルギーが到達して、出入りする程周波数応答に優れた対応ができるとは考え難い。この点は、実験データなしで論ずる事に科学論で無いと言われることは承知している。しかし、エネルギー流の挙動特性と言う面から解釈すれば、そう看做さざるを得ない。現在の解釈では、磁心が1次コイルからのエネルギー入力を絶縁体の空間を通して、2次コイルへのエネルギーの橋渡しに重要な意味を持っている訳だから、その反射体としての役割を果たしているのであろうと結論付けている。#どのような詳細な機能を発揮しているかは、巧い実験を通して結果を得るより方法が無い。実験をするだけの経済的、社会的環境の得られない私がそれ以上論じる事は無理である。

(2016/10/27)追記。上に巧い実験方法がないと言ったが、巧い方法があった。変圧器の奇想天外診断を思い付いた。その実験により電線路を含めて、導体内を『電荷』あるいは『電子』が流れているのでなく、導体の近傍空間に『エネルギー』が分布し、それが電線路電圧の意味であり、物理現象であることを示す結果を得た。天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)にデータをまとめた。

エネルギー(ENERGY)とは?

一粒の砂』 今日古い紙に書き記した『詩』を見つけた。その詩には、何処か東洋的な匂いがする。カレンダーの裏に書き記してあった。久しぶりにその詩を筆にしてみた。検索で調べると、イギリスの詩人・画家と有る。名前はウイリアム・ブレイクで、有名な詩であった。

一粒の砂に 世界を見 野の花に 宇宙を見る 手のひらに 無限を知り 一瞬に永遠を知る。

何かこの詩には計り知れない謎めいた意味が込められていると感じるらしく、意味を質問する人がいるようだ。私が気に入ったのも、その意味である。この詩文の意味を理解するに参考に成るかもしれない。その私の一夏の経験を記した記事がある。『眼から鱗が落ちる』と言う言葉がある。それはそれまで想像できなかった世界の神秘に触れる時であろう。そんな経験である。自然は愛響ー揚羽蝶ー がその1つである。また、最大の巡り合せは「雨蛙」であろう。そんな事や、物理学理論、特殊相対性理論等の矛盾に遭遇した事等、精神に驚愕を覚える事があるという経験。そんな点で、その詩文は私が思う世界観に極めて近いものを感じたから、書き記して置いたのである。私の感覚では、物理学理論の根源を支える未来像が『エネルギー』に集約されると言う直覚的感覚で捉えたからである。今まで、このブログにも『エネルギーで観る世界ー・・・-』と言う標題で記して来た。最初が、エネルギーで観る世界ー序論ー で始まった。人類発祥の1つはインドを含めた東南アジアの複雑な島の海と陸の関わりと私は見ている。一方西洋文明はギリシャなどの地中海の海と陸も人類発祥にも関わるかと思っている。東洋哲学は物の根源に迫るに『そぎ落とし』の感覚が基にあるように思う。西洋哲学は現代科学理論の示すように、新たな概念による『積み重ね』の感覚が基本に成っていると感じる。しかし私が東洋的な匂いを感じたことは、上のWilliam Blake の詩と同時に、やはりイギリスの哲学者で、数学者のバートランド・ラッセル卿の言葉がある。『世界はエネルギーに集約されるだろう・・』と言うような物理学への捉え方を示していた。私が『静電界は磁界を伴う』と言う電気磁気学理論の世界に疑義を提起したのは、正しく『エネルギー』への世界の統一に踏み込んだ事に成る。やはり西洋にも東洋哲学と同一の思想が根底に流れていると見るべきであろう。『一粒の砂』の詩文はまさに私が感じる『東洋哲学的世界観』を表現したものと言えよう。『電荷』概念に固執する世界観では自然の世界の深い営みや魅力には到達できないだろうと思う。そのような世界の不思議の魅力に取りつかれる一瞬が、人に遣って来る事を表現したものと思う。それには『条件』があろう。自然の問いかけを素直に受け入れられるかどうかは、問掛けられたその人の心・精神状態が自然の世界に同化して、雑念から解放されている必要があろう。私はそれを「素心」の状態と言う。在るがままを見つめて、自然と心を通い合わせる『天真爛漫』な子供のような心根が欲しい。人は欲に支配される。天真爛漫は難しい。そんなところに『悟り』の意味があるのだろうかと?『エネルギー』とは何かを何も述べずに来た。何時か追加しようと思う。

自然はエネルギーの種々相 エネルギーとは何かを述べよう。端的に定義すれば、『エネルギーとはそれ以上分解できない物理量-(2018/07/27追記)。この“それ以上分解できない”という意味は、光を含め空間に存在するエネルギーをそれ以上の構成要素(素粒子など)には分解できないという意味である-であると言える。学問としては自然科学の対象である。哲学では『般若心経』の色即是空の『色』に当たろう。しかし、私が思うエネルギーの実相は、自然世界そのものがエネルギーの種々相として表れているその根源が『エネルギー』であると解釈している。即ち自然はエネルギーの具現像である。エネルギーは空間で本領を発揮する。自然科学の本質を捉える根本に『エネルギーの実在性』を意識して欲しい。物理学理論は膨大な分野から成り立ち、それぞれが専門領域に分かれて、全体を纏めて見渡すことが困難に成っている。それでは、一般市民がその自然科学にコメントする事も、理解する事も出来ない。市民的迫り方の基本は『エネルギー』と言う世界の真の実在量に着目して、それぞれの専門分野を意識することが重要であり、有効である。物理学理論は、小学校から大学まで、『エネルギー』そのものの実在性を認識できない処を漂っているのが実態である。エネルギーは質量が無いと論理に乗せられないのである。量子力学と言う学問領域でも、光放射現象一つをとっても、原子の外殻軌道を回る電子の質量が運動エネルギーの増減で起きる現象などと解釈している。位置エネルギーも質量が無ければどうにも理論が成り立たない。世界は唯一のエネルギーの実相の空間であり、『質量』もエネルギーが局所的に集約された姿である。だから、アインシュタインの知見として有名な『質量はエネルギーである』と言う事なのである。E=mc^2^と言う式で簡潔に表されている。これは光は吸収されて、エネルギー保存則に従い、質量に成るのである。『エネルギーと質量は等価である』今までいろいろな形で表現して来たエネルギーに関するいくつかを纏めて、例示しておく。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系エネルギーで見る世界ー津波ーエネルギーで観る世界ー素粒子ー 。経済成長はエネルギー多消費世界である。エネルギーで観る世界ー地球の生命ー。にその警告を示した。