松本清張の推理小説に何処か似ているかも知れない。ここでは、物の実在性と言う意味で迷宮に迷い込むかもしれないと言う点で似ているかと。物理学で『点電荷』『電気力線』『磁力線』等と言う専門用語が、いとも当たり前の如くに使われる。幾何学の公理には、空間の異なる二点を結ぶ最短の線は直線を成す。点も直線も見る事は出来ない。紙面に一つ点を打ったとする。その点は決して点ではない。点とは何か?それは想像は出来ても実在しない抽象概念である。点は大きさを持たない。どんなに小さな点であっても。例えば、原子核の陽子も空間を占める。決して点ではない。陽子がどんな形状をしているかを確かめる術は無いだろうから、その空間的寸法は定義は出来なかろう。同様に直線も存在できない概念である。空間を占めれば、実在すれば、それは太さを持つ円柱に成る。なんでこんな意味も無い事を持ちだすかと言えば、物理学理論の多くの法則で使われている用語がこの『点と直線』であるので、その法則を解剖するにはこの点と線の意味を確認しておく必要を感じたからである。その法則で、まず取り上げたいのが『クーロンの法則』である。点電荷Qクーロンがある。と言う説明から入り、そこに電荷マイナスqクーロンが1メートル離れてある時、その点電荷間に働く引力FはF=qQ/(4πεr^2^) ニュートンである。ただし、εはその空間のもつ誘電率と呼ばれる単位長さ当たりのコンデンサの容量の大きさで、単位ファラッドと言う空間定義量である。空気中と水中あるいはガラス中と言う様に存在空間の持つエネルギーに対する特性を定義する物理量である。さてこの空間に『点電荷』がある。と言う場合の点をどう認識してクーロンの法則を解釈しているかである。電子がある。と言えば、その電子は決して点ではない筈だ。空間を占める筈である。電子が空間を占めるなら、電子の負の電荷がどの様にその電子の占める空間に分布するかは極めて重要な論点に成る筈である。存在しない『電荷』概念を基本にしているから、ただ点電荷があると言うだけで、それ以上論理性を追究する術が物理学には無いのである。しかも、エネルギーを論じる場合には、ニュートリノの話じゃないが、質量が無ければ話に成らないのが物理学的エネルギー論である。運動エネルギーとか、位置エネルギーと言うエネルギーに拘っている為、光一粒の空間に流れる質量の無いエネルギーその物と言う認識に至れないのである。『点電荷』と言う物を空間に仮想した時、その周りの空間に『電気力線』と言う実在しない概念を作りだして、理論を構築しているが、その力線とは何かと追求すれば、矛盾に陥るのである。空間に電気力線があるとすれば、その空間にはエネルギーが実在することを意味しているのである。ではそのエネルギーは誰が持ち込んだものか、あるいは誰の所有するエネルギーなのかと質さなければなるまい。実験で『電荷』の量と距離で『引力、排力』が確認できれば、クーロンの法則が嘘だなどとは決して言わない。絶対にそんな直線の遠隔作用力が物理的真理の筈が無い。