月別アーカイブ: 2011年8月

雨蛙ーその謎ー

(9月26日 追記) 先日、久しぶりに庭の紫陽花の葉に居る親雨蛙を見た。ポーズも良く、デジタルカメラの焦点拒否もせずに、映像に収まってくれた。焦点ビームを拡散する忍術の術を持っているようで、巧く撮れない事が多い。http://wp.me/p19wiU-6t 雨蛙ー出猩々に忍術ー。

(9月11日 追記)先日検索中に「栃木市の大平山神社について、1000段の石段脇が紫陽花坂として知られていると。そこが環境省の「雨蛙の鳴き声の名所」に指定されている事を知る。その大平山に行った訳ではないが、どうもその名所での雨蛙の生育環境を考えると、『オタマジャクシ』の生育する田や池が無いように思った。もし、雨蛙が多数生育しており、水田が無いなら、「雨蛙は土の中から生まれる」と言う私の説の1つの根拠となろうと思った。

今年も目の前の庭に雨蛙が何匹か生まれた。水田からもとても離れているこんな場所に、生れるのである。この雨蛙は生れたばかりで小さい。木の葉は、アッツ桜の草の葉であり、自ずからその大きさが解りましょう。生れたばかりでも、決して『尾』はありません。生れ立てで、地上に姿を見せた瞬間から、尾の無い蛙です。この子供も生れたばかりで、8月15日に写真に収めた。6月末前後の大雨の頃が大量に発生する時期である。しかし庭の蛙は9月に成っても生れて来る。水の池が無い所で。以上追記。

人生それは、思いも掛けない出来事との遭遇があり、その時の心の振れ方で未来を紡いで行く。自分を振り返って、大きな事件は「雨蛙」との出会いがある。こんな『謎の世界』を私にそっと見せた雨蛙にどのように答えれば良いかは考え付かない。ただ雨蛙の思いを自分の思いと重ねて、公開して行くだけである。雨蛙との出会いは、今考えると相当昔に成る。今も手元に楡ケヤキの植木鉢がある。1980年頃露店市で購入したものだ。学校町に住んでいた頃、その植木鉢に雨蛙がいつもいた。大学での事件で、雲隠れしてから、その雨蛙の様子を見て、歌にした事もあった。そんな事は今日まで忘れていた。再び、ここに雨蛙の記事を書こうと考えた。その訳は、雨蛙が「オタマジャクシ」の生態を摂ると言う誤解が世の中に頑強に蔓延っていて、身近な周りの者に説明しても、殆ど理解されない。2006年7月20日発行した個人文集がある。その表紙と裏表紙である。この文集には雨蛙に対する特別の思いがあって、雨蛙の生態を、雨蛙に成り替わって世の中の誤解を正そうと考えた文集である。当時は小泉第3次内閣で、安倍官房長官の頃であった。NHKの『おはよう日本』のニュース番組あてに送った。7月24日頃と記憶しているが、ニュースに流れた映像を見て、自分の送った文集が取り上げられていた。場面は安倍官房長官以下が見ていて、それは『ニセ科学』に関する会議の様子に見えた。どんな仕儀になるかと期待をしていたが、おそらく専門家集団の意見で雨蛙はオタマジャクシの生態で誕生するとの結論に成ったのであろう。それは専門図書がどれを見ても春の田んぼで鳴き合う声を雨蛙と勘違いし、水の中で卵塊から成長すると定説で記されている。学校でも、子供たちが田んぼから卵塊を収集して飼育し、カエルに成るのを雨蛙と解釈して来た訳であるから、それを覆す反論の説など受け入れる事が出来る筈も無いであろう。私のオタマジャクシ否定の雨蛙の生態の謎など、日本の科学業界では『ニセ科学』の分類にする処置で収めたものであろう。私自身が、雨蛙の謎に踏み込んだ経過を考えても、自分の説を公開するには大変な気構えで無ければ出来ない事であった。長い間、考え、悩み最後に世間の『学説』が間違いである事に確信して発表したのが、癸未(2003年)歳の賀状版画である。この賀状にする前に、版画の下部にある(『詩心・・・』11号のひみつ)と有るが、1999年9月に初めて、雨蛙のオタマジャクシ説を否定した歌を載せた。-雨蛙 こっそり教えてくだしゃんせ 君の誕生にゃ謎がある 「いやな人 私の秘密探らんといて」 やっぱり知りたい 君のこと かえる かえる いずこにかえる 「雨に誘われ 地上に帰る」 かえる かえる 何処からかえる 「土の中から 地上に帰る」 かえる かえる お玉ジャクシは 何処にいる 「わたしゃ縁ない 玉ジャクシ」 (1999年9月8日)と言う歌が最初の謎ときの表明であった。「オタマジャクシは蛙の子」は間違いない真理であろう。しかし、雨蛙の子がオタマジャクシと言うのは間違いである。こんな不思議が地球上の生命の多様性の実態である事が驚きで無くて、どうしようか。1999年は日本物理学会で講演発表をし始めた頃でもあった。あれから12年が経てども、雨蛙は『オタマジャクシ』からかえると頑強に信じている実態が日常の世間である。私のような者に世界的『科学の発見』は日本政府、文科省も認められないのだろうと勘ぐらざるを得ない。コンデンサの静電界中の磁界エネルギーの実在性の発見と同じ事である。日本雨蛙 に関連した追記記事である。

点と線ー実在性ー

松本清張の推理小説に何処か似ているかも知れない。ここでは、物の実在性と言う意味で迷宮に迷い込むかもしれないと言う点で似ているかと。物理学で『点電荷』『電気力線』『磁力線』等と言う専門用語が、いとも当たり前の如くに使われる。幾何学の公理には、空間の異なる二点を結ぶ最短の線は直線を成す。点も直線も見る事は出来ない。紙面に一つ点を打ったとする。その点は決して点ではない。点とは何か?それは想像は出来ても実在しない抽象概念である。点は大きさを持たない。どんなに小さな点であっても。例えば、原子核の陽子も空間を占める。決して点ではない。陽子がどんな形状をしているかを確かめる術は無いだろうから、その空間的寸法は定義は出来なかろう。同様に直線も存在できない概念である。空間を占めれば、実在すれば、それは太さを持つ円柱に成る。なんでこんな意味も無い事を持ちだすかと言えば、物理学理論の多くの法則で使われている用語がこの『点と直線』であるので、その法則を解剖するにはこの点と線の意味を確認しておく必要を感じたからである。その法則で、まず取り上げたいのが『クーロンの法則』である。点電荷Qクーロンがある。と言う説明から入り、そこに電荷マイナスqクーロンが1メートル離れてある時、その点電荷間に働く引力FはF=qQ/(4πεr^2^) ニュートンである。ただし、εはその空間のもつ誘電率と呼ばれる単位長さ当たりのコンデンサの容量の大きさで、単位ファラッドと言う空間定義量である。空気中と水中あるいはガラス中と言う様に存在空間の持つエネルギーに対する特性を定義する物理量である。さてこの空間に『点電荷』がある。と言う場合の点をどう認識してクーロンの法則を解釈しているかである。電子がある。と言えば、その電子は決して点ではない筈だ。空間を占める筈である。電子が空間を占めるなら、電子の負の電荷がどの様にその電子の占める空間に分布するかは極めて重要な論点に成る筈である。存在しない『電荷』概念を基本にしているから、ただ点電荷があると言うだけで、それ以上論理性を追究する術が物理学には無いのである。しかも、エネルギーを論じる場合には、ニュートリノの話じゃないが、質量が無ければ話に成らないのが物理学的エネルギー論である。運動エネルギーとか、位置エネルギーと言うエネルギーに拘っている為、光一粒の空間に流れる質量の無いエネルギーその物と言う認識に至れないのである。『点電荷』と言う物を空間に仮想した時、その周りの空間に『電気力線』と言う実在しない概念を作りだして、理論を構築しているが、その力線とは何かと追求すれば、矛盾に陥るのである。空間に電気力線があるとすれば、その空間にはエネルギーが実在することを意味しているのである。ではそのエネルギーは誰が持ち込んだものか、あるいは誰の所有するエネルギーなのかと質さなければなるまい。実験で『電荷』の量と距離で『引力、排力』が確認できれば、クーロンの法則が嘘だなどとは決して言わない。絶対にそんな直線の遠隔作用力が物理的真理の筈が無い。

生活電気の基礎(2)  -交流電源と電圧・電流-

現代生活で電気・水道は欠かせないライフラインに成っている。3.11震災の自然災害に対して、混乱の極みに立たされているのが人工技術の崩壊の惨状である。人間の智慧の浅はかさは、その回復処理に未熟さを露呈している事である。原子力発電に依存した電気エネルギーの危なさが生活に意識変革を迫っている。市民の科学技術意識が日常に無縁ではない事を示した。電気の事を少し考えてみようと、目に付く技術を取り上げてみたい。電気エネルギーは1、発電所で作る。

送配電設備と電源。それを2、超高圧の電圧(500kV)送電線で遠方に運ぶ。それが送電線路と言う鉄塔の仕組みである。電気を使う市街地には、3、変電所がある。そこで電圧を下げて高圧配電線(6300V)で市街地にくまなく配電している。そこで、鉄塔の様子を図に示そう。市街地を外れて、田園地帯では鉄塔が見える。電気エネルギーは利用に便利であるから、その規模の拡大を続けてきた。系統電圧も1000kV以上が話題に成る。そんな超高圧も絶縁碍子で支えられる磁器製品の威力に拠る。今回の震災で、鉄塔まで倒壊した。安全な送電系統にエネルギー消費生活が依存している。市街地の高密度エネルギー消費地では、地下ケーブル配電が主流になるが、高電圧6300V 配電線路から変圧器で、100V/200Vの低電圧で家庭に供給される。②図にその変圧器の内部の様子を合わせて、配電線路の電圧の概要を示す。現在の電力消費量が拡大した為、家庭用の配電線も単相100Vと200Vの両方を使う場合が増え、単相三線式配電に成っている。その変圧器の巻数比は30で変圧されている事を③図に示す。家庭に入る配電線は2線式でも、3線式でも必ず1線は第二種アースされたものである。まさかの時の変圧器事故で、高電圧が家庭配線に侵入して、高電圧感電事故を防ぐための安全設備、第二種アースが施されている。6300Vの高電圧が事故で侵入しても、せいぜい150V以下に抑えられる接地抵抗が決められている。

交流電圧と負荷と電流。さて、電気回路の話をするには、電圧と電流の意味を考える事に成る。何を題材に選ぶか、まとまりが無いが洗濯機でも取り上げてみよう。手書き図で誠に醜いが御勘弁下さい。分電盤の分岐ブレーカーから部屋のコンセント(和製英語で、outlet 、socketあるいは power pointが英語らしい)までの配線はFケーブルである。意外に洗濯機の負荷容量は小さい事を知る。旧式であるが、350Wの消費容量はコーヒー沸かしに比べても小さい。電熱変換器のクーラー、電子レンジ等はエネルギー消費が大きいのである。ついでに洗濯機のモーターの付近の事を図に書き入れた。

洗濯機の図が表示されなくなった。誰の指図か?何故か分からないが再度載せる。多分乱雑な絵だからかも知れない。それにしても勝手に誰が記事を書き換えるのか?

回転技術はモーターを使う。扇風機も隈取り型の小容量モーターが使われる。モーターは回転する軸の部分:回転子とそれを回す外側の固定子から成り立つ。モーターの回転機能を得るには固定子側で回転磁界を作りださなければならない。電源が単相交流だから磁界の回転をさせるには技術的工夫がいる。洗濯機のような消費容量(水流の回転では、機械的回転エネルギー率で百数十ワットを必要とするらしい)に成ると、コンデンサなどを使って回転磁界を作るようだ。こんな詰まらない事も技術としては重要な意味を持っていると言う事である。洗濯機の単相誘導電動機の誘導と言う意味も電源の交流の周波数に基づく回転磁界に誘導されて回転すると言う意味ではないかと思う。固定子の巻き線の構造で4極が普通で、モーターの回転数も毎分1500回転(50Hz)、1800回転(60Hz)の同期速度に近い速度で回転す る。同期速度 N=120f/p[rpm] で表される。周波数f[Hz] 、極数p極。毎分回転数の単位表現[rpm]である 。そこからギヤなどで減速して、水流の回転数まで10分の1位に落としているらしい。どのように纏めようかと考えているうちに、モーターは何故回るかと、不図疑問が浮かぶ。この意味を考えている内に、変圧器に考察が飛んだ。『モーター』が何故回るかをこの最後に纏めたい。その解釈はエネルギー流に基づくものであり、教科書には無い。その前に、洗濯機負荷を基に、電圧などの『実効値』の意味を記しておきたい。④の波形を再掲すると、右のように成る。

実効値 電圧vに対して、電流iは波形のように、少し遅れるのが普通である。図では、その遅れ位相θである。この洗濯機の電力pは平均値でP=VIcosθ [W]と表される。ここで、VおよびIはそれぞれ電圧、電流の実効値である。cosθは負荷力率と言う技術表現量である。そこで、この実効値とは何であるかを波形を基に考えてみます。家庭の電源電圧波形は図⑥のような最大値V_m_の正弦波で、その実効値V(100ボルト等)は「瞬時値vの二乗平均の平方根」と言う計算で定義される値である。瞬時値の二乗v^2^の平均値V^2^は(1/2)(V_m_)^2^となる。その平方根だから、実効値V=(1/√2)V_m_となる。電圧に対して、この実効値は洗濯機のような負荷の電流の場合には、単純ではない。洗濯機は負荷がモーターの正逆転による水の搔き回しである。電流値は過渡現象の連続運転で、回転切り替わり時の大きな始動電流と定常電流値の複雑の変動波形になる。そんな電流実効値I[A]は洗濯機の『定格表示項目』にも書きようが無いのだろう。実効値が何故使われるかは、その負荷の消費電力、ひいては消費エネルギー量「電力量(kWh)」の計算に便利であるからだろう。電気エネルギーの供給側の電力会社と、その消費者の間では取引計算は「電力量」だけが基礎になる。供給側は波形の瞬時状態で監視・制御しなければならない。常にエネルギーの需給バランスは負荷側の要求に追従する制御が課せられる。『実効値』の物理的意味まで踏み込めないまま一先ず終了する。

庭に驚きの世界

(8月12日追記) 全く詰まらない、生活の足しにも成らない事で、自分ながら恥ずかしい。しかし、疑問を解かずには置けない。8日の朝メロンの皮をまた置いてみた。午後2時頃見たら、何処から湧いたか無数の蟻が群がる。ところが、この蟻はまた何処かに消えてしまう。その様子を少し土で覆われた状況で載せたい。カメラの操作も解らないのに、不思議に動画でいつの間にか撮影されていた。動画をアップロードできなかった。今朝の写真を載せる。

今日は雨蛙の子供が一匹居座っていた。ここまでメロンの保存作業を徹底して行ったのは、間違いなく蟻の仕業であった。庭に起きた不思議に驚いたが、結局結論は「蟻の知恵・習性?」と言うことに成る。しかし、蟻が保存して後で食べるのかと言うとそのような様子も見えない。塗し終わったメロンを食するのは蟻自身より、他の蛞蝓などが食べるようだ。仕掛けは蛞蝓か?等と考えて、投稿した間違いをお許し頂きたい。

こんな小さな庭にも知らない自然の生命の世界が有る。20年程の間にどれ程の不思議を見せてくれたか。全く想像もしない不思議が突然目に入る。今朝の事である。 二三日前に食べたメロンの皮を庭に置いた。これは誰の仕業だろうか。メロンの果肉部分に全面に土を塗してある。蟻の仕業か?理解できない。

(8月7日記) 夕方p.m.5:45 に見ると、2匹の蛞蝓(ナメクジ)がメロンを食べている。蟻などは何処にも見えない。そのメロンに群がるのは蛞蝓だけのようだ。昨日、改めてスイカなどを置いた物の跡方がどうなっているかと確認した。メロンと同じように、土が塗されて、全て食べ尽くされた後の、白い薄皮が残っていた。秋の虫が喜ぶかと思って置いたが、食べ尽くしたのは蛞蝓であったのかと、がっかりした。その塗した土は、何かを消化した後の排出物のようにも見える。どんな風に塗したかが不明で、また疑問が膨らむ。食べた跡は綺麗に土で塗されている。全て食べ尽くされるようだ。

生活電気の基礎(1)ー電力と電力量ー

昔の一時期、「期待される人間像」等と言う言葉が流行った。誰が人を規定するのか、如何にも日本的ニュアンスの表現である。全体主義的匂いがして嫌いだ。グローバル化の競争世界が、預言者『チャップリン』の皮肉が現実となった。富める者と貧しい者とが隔絶されたような歪んだ意識の生活に追いやられたように見える。工業技術社会がロボット化社会を推し進め、人の能力はその発揮する領域を狭め、人間の尊厳も動く道具の補助者程度に落とされてしまった。自分の不甲斐なさも無知が原因の一つかと思えば、社会を見据える知識が欠かせない事をつくづく思い知った。自然災害も原子力発電所崩壊事故も自然と科学技術に対する認識の問題に帰すると思う。私が一応専門と言える分野は「電気工学と電力技術」に関する事ぐらいかも知れない。エネルギー、電力の節約を考える必要になった。教育で教える内容は、「理科」等であるが殆ど科学技術社会の要請に応えられない教科内容に成っている。「理科」よりも生活の視点と市民の意識の安全性を『科学技術』に重点を置く必要性を強く感じる。理科教員は役にも立たない、技術音痴が多過ぎて、時代に対応できない状態に成っている。そんな意味も含めて、生活電気と言う観点から、電気の基礎を市民向けに書いておこうかと僭越にも考えた。最初にー電力と電力量ーの話を取り上げようと思う。電気理論を避けて、どのように電気に興味を持って頂けるかがカギになろう。

積算電力計と分電盤 生活電気と言う事で、住宅の電気回路の事から話を始めたい。家庭の電気の取り入れ口となる屋外に、『電気使用量の検針』を電力会社の人が毎月調べる『積算電力計』が有る。そこから屋内に入って、「分電盤」と言う『ブレーカー』の集合盤で電気使用量の契約量に対する制限や電気回路の安全使用を監視・制御する様な仕組みに成っている。屋内に入った配線は分電盤の最初のブレーカーに接続される。①に示した図の受電ブレーカーで、供給者の電力会社と需要家の利用者で決める『契約電流』を監視・制限する。図では50Aの例を示した。次に、「漏電ブレーカー」に接続される。ここでは40A定格で示した。この漏電ブレーカーは屋内電気配線や電気機器の絶縁不良を監視して、電気の漏れが有ると、直ちに回路を遮断する。漏電は感電事故や漏電火災を防ぐ重要な役目を持っている。さらにここでその電気回路を遮断する役目のブレーカーの動作機能を簡単に考えておきたい。その概要を私なりの表現で②の図に示す。ここでは、単相三線式配電線の場合を取り上げる。分電盤の最初のブレーカーは契約電流監視遮断器の過電流ブレーカーである。次に漏電ブレーカーに繋がる。内部回路は漏電遮断器の方が複雑である。

過電流ブレーカー この動作機能を先日電力会社の方に教えて頂いた。左図に示したようにa相電流とb相電流の合計値で過電流遮断すつ仕組みに成っている。そこが私の解釈、認識と異なる点であった。定格 50A であれば、各線路電流が 50A 以上で遮断するものと解釈していた。ところが、 a相と b相の合計値が 50A で遮断する仕組みであった。契約電流の意味が私の認識と違った。そこで考えた。当然契約電力の考え方は誤解のない表示に変更すべきである。契約は、 50A ブレーカーで表示を『契約電力 5kVA』と皮相電力表示にすべきである。『皮相電力』と言う意味は馴染みが無いかも知れません。説明しますと、電圧が100V と200Vの規定値であるから、100V だけで有れば50A迄、200V 電圧も含めば合計50A 迄使える事を意味する訳です。使用電力が何々[kW]と言うと力率と言う電気製品の特徴が影響する為、表示には適さない。『力率』と言う電気用語は解り難いかも知れない。100V で10A定格の電気製品があると仮定しよう。その製品の消費する電力が800W とする。その場合、皮相電力は1 kVA(=100V×10A)である。しかしこの製品は10A流れても、1kVA×0.8=0.8kW の電力、仕事率にしかならない。それは力率が 0.8 である為に、その電流の割には仕事率の性能が良くないと考えて良い。力率とは製品の仕事率の性能を表す意味がある。モーター等は力率が低くなり、電熱器等は力率がほぼ1である。ブレーカーの特性で参考に成る事を例示しておきたい。大体の電流しゃ断特性を図にした。定格遮断電流を超えると、大きさで遮断時間に差が有る事を示した。定格値ではほぼ 60 秒経過すると遮断する機能を備えている。

電流』と言う概念については、その物理的論理性から見れば、噓の概念である。と言わざるを得ない。上に述べて来たように、如何にも私の物理的解釈とは異なる説明に成っていると言われそうだ。技術と言うものが如何に巧妙な『法則』によって成り立っているかが、この電流一つの中に集約されていると見ても良い程、『理論の論理性とは何か?』の不思議が詰まっている。ブレーカーのコイル電流で過電流を遮断する訳であるが、その仕組みをよく見れば、電線の中に何かが流れている事によって動作する訳でないと考えられよう。要するに電線のコイルの周りに『磁気エネルギー』が生じ、その量の大小で、遮断条件が決まるのである。金属導体、この場合は屋内配線の「軟銅線」は電気的には、電磁波の反射材としての特性を持ち、電荷などを受け付けないと言うのが『電気理論』の最初の解釈なのである。要するに場合、場合で御都合主義を摂る解釈法が『専門的理論』の実態と観なければならない。

電力と電力量」 そろそろこの項の本論に入ろう。電力と電力量と言う言葉も、その使い方で良いのか私も気に成る点もある。電力量を積算電力量と言えば、誤解が無いだろうと思う。電力波形④⑤電力量を訳すと「electric energy」と言うようなので、意味は積算電力と同じと考えよう。④と⑤の波形で、電力と電力量の関係を示した。

④の図を考えてみよう。朝から電気を使い始めて、電気製品のスイッチのON、OFFに従って使用電力が変動する。『コーヒーポット』でコーヒーを入れる。最近気付いた。おおよそ650W、850W等と多消費電力の物が多い。長く入れっ放しにして置き易く、すると相当の積算電力[kWh]に成る(この記述は間違いです。温度制御でスイッチがon、offされている)。電力P[kW]の時間積分E=∫PdT [kWh] が積算電力、電力量である。玄関の外壁にあるメーターの中の回転円板の速さが電力の大きさに比例する。速い回転が長ければ、電気料金が嵩む。需要あるいは消費電力量の料金算定の基に成る。基本料金の他に従量料金 23[円/kWh]程度が掛る。参考に、エネルギージュールの単位[J]がどの程度かも示した。とても小さな値である。1[kg]の物を1[m]持ち上げる時の必要エネルギーが9.8[J]と言う事に成っているから、電力量[kWh]とは相当大きなエネルギーの単位である事に成る。

図⑤ の説明をしておこう。④の(※)部の瞬間を拡大したのが⑤である。時間を拡大すると、電力Pは電圧vの変化に従って、脈動している。脈動する電力は瞬時値であり、pと言う小文字を当てるのが業界の通例。⑤の打点表示した部分である。電熱器等はほぼ正弦波形に成るが、現在の電気製品は「インバーター制御家電」が多く成っている為、電力波形も歪み波形に成る。そんな実情も加味して電力波形に表した。100V、50Hzが東日本の電気系統周波数である。100ボルトと言うのは、正弦波交流電圧の実効値であり、その波形の最大値は√2倍で141ボルトである。さてここで、もう少し突っ込んで電力の意味を考えてみよう。電力pキロワットはpの千倍のワット[W]である。⑤図に無造作にpが波形を表示すると表現したが、考えてみれば、[W]は毎秒当たりのエネルギー[J/sec]を表すのである。電圧の一波長の時間は20[m sec(ミリ秒)]であり、その50 サイクル分を足し合わせた値が、p×1000[J/s]、p[kW]に成るのである。だから、電気工学の波形表示でも⑤図のように表現するが、その波形の瞬時値はp[kW]を表現できないのである。こんな事は専門家は気に掛けずに授業する。生徒・学生も気付かずに覚える。業界常識が歴史的に頑強な非常識を構築して行くのである。アンペアの周回積分則が1810年頃?からの真理であるが如くに噓の歴史を構築して来たのである。⑤図の電力波形pはどのように計算されるかと言えば、電圧 v と電流 i の波形の積を表現しただけである。p=vi cosφ [W]と言うような意味である。cosφは力率の意味を表す専門表示記号。ここまで来て、自分も驚いた。波形表現は何か直感的に理解し易いからと思って使うのであるが、本当に考えてみると単純な中に重要な事を見落としている事が多いと思う。波形のレベルの基準、時間軸がどの様な意味を持つかをきちんと説明しているか等も疎かな点で無いかと危惧する。電圧ゼロレベルとは何を表すか?である。pの話に戻そう。その厳密でない原因は電圧と電流の意味に隠されている。電圧の単位[V]=[Wb/s]、電流の単位[A]=[C/s]も、元もと1[sec]当たりの値を表現している。50サイクル分に対する値であるから、波形に表現しようが無いのかも知れない。益々迷路にはまりそうであるが、これが考える基本である。真理は深い所に落ち込まなければ安堵できないのかも。