月別アーカイブ: 2011年7月

石の囁き 聞こえますか

(2020/02/13)追記。この輝かしき、色彩を残す宝玉たちよ。昭和62年春と思う。妻と二人で、柏崎市米山の観光土産の店で買った石だ。

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下の化石も同じところで購入したものだ。タイガーアイとアベンチュリンだけは名前がついている。これらの宝玉は初めから石ではなかった。ダイヤモンドも元は石ではなかった。すべては地球の命の営みの中で生まれ変わった歴史を秘めているのだ。太陽の光によって育てられた地球の営みの中で生まれた歴史の重みが光り輝いているのだ。万歳とこのモノたちを讃えよう。=この宝玉たちについて、気掛かりが有る。とても気分が悪いのだ。それは、何故かこの石たちが5,6年前一時見えなかった時があったように感じる。それは、大切な古い年賀状などのファイルが消えた時期と同じように思う。その住所録は紛失したまま二度と戻ってこない。すべての過去の住所が消えた。しかしこの宝玉達はいつの間にかまた戻っていた。=

IMG_1542(2017/10/15)追記。中段の写真(2011/07/19日付)の隠された過去。歯並びの口元と観る。どれ程昔の地球上の生物か。どんな石も初めは石ではなかった。障子の桟の升目模様の影が写ってしまった。

(2019/01/25)追記。山梨県昇仙峡を知った。こんな巨樹の化石があったとは。水晶はどんな源材からどんな過程を経て生まれたのか。

(2019/01/18)追記。山の木霊にも追記した。NHK録画 “絶景 巨大石柱林~中国” を見た。検索した、中国・張家界の巨大石柱林をテレビで観て~驚きと感動そして・・(//blog.goo.ne.jp/yamada・・)を見て更に驚いた。九州の同じような状況が載せられている。益々巨樹の化石が現実的になって来た。

(2019/01/07)追記。 元旦の朝NHKの放送で、熊野古道の話題があった。山全体が火山に関係ない成り立ちの信仰の山のようだ。那智の滝を見てその岸壁が正しく柱状節理であることを知った。山が何故出来たかは地質学の学説の解釈が示されている。しかし、どうも古代の地球生成に関わる時代の巨樹が化石化したという解釈はどこにも見えない。身近に転がっている石ころ一つもそれは初めから石ころではなかった。土が石になったとしても、その土は最初から土であった訳ではない。地球は変化・形成する過程に最大の関わりを持ったものは太陽と植物以外他には無い。水も植物無しに決して創れないと考える。その事から巨樹と山の岩石の関わりを想像する時、決して地質学の解釈では納得できない思いが強くなる。古い本、地学ガイド 新潟の自然 地学団体研究会新潟支部編 新潟日報事業社 を見つけた。中はとても貴重な写真資料が満載である。どれを見ても考えさせられるものばかりだ。p.240 の50m惣滝やp.242 の55m苗名滝すべてが那智の滝と同じ柱状節理ではないか。と言う事は滝の水源はどこか、何かとまた謎になる。この地学ガイドはこれからの楽しみの基になるようだ。地学ガイド 新潟の自然に感応して

(2018/12/10)追記。上の化石の生物の正体は何かと考えたとき、その断面の全体像を示していなかった。今世界遺産の山岳(ドロミテの灯台)等の自然の姿に接して、再び山に思いが行き、世界の最高峰エベレストが大陸の衝突により出来たという学説が信じられずに思いが彷徨っている。大陸の衝突で、泥でなくあれ程の岩石の威容を成すとは信じられない。そんな思いの中で不図気付いた。

全体の透かし像 表面の体表のすぐ内側が透明な化石である。吊り下げて撮ったので上下反転した。どんな生物か?外側は以前、不注意にも厚紙で保護してしまった。この化石は、多分昭和62年春大学騒動の意味も知らずに、家族で出かけた柏崎米山の土産屋で購入したものと記憶している。何か因縁めいた化石のようだ。寸法は長径11.5cm×短径9.8cm程である。

(2018/11/07)追記。二つの件を記す。一つは少し前になるが、9月のNHKスペシャルの放送。孀婦岩(ソウフガン)の探検の話があった。突き出した細い岩の下が海底で平たんになった巨木の痕跡に思える形であった。もう一つは、或る新聞社の今年のカレンダー11月で、新潟県津南町の秋山郷の河岸段丘が巨木の痕跡に見えた。知らなかった、中津川の石落としの眺めは正しく柱状節理である。その一帯秋山郷は巨木の化石帯と観る。

(2017/12/21)追記。今日、ある雑誌で本州最南端の和歌山県串本町の海岸に天然記念物になっていると言う橋杭岩のある事を知った。橋の杭が850mの長さに繋がっているように見える。海中に立つ正しく木の杭である。地下から上昇したマグマが固まって出来たと解説がある。申し訳ないがその説は信じられない。それはハッキリした木目の化石じゃないですか。橋杭岩(和歌山県串本町)

(2017/11/10)追記。置けば邪魔物と言われる石がある。手にしてみたら割れた。泥岩の中は薄い茶色の層を成している。意味が無いかもしれないが載せる。

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IMG_1572泥岩の中の層 この層が薄い何層かに成っているようだ。

佐渡の島には特有の赤玉石が有名だ。佐渡島に対する弥彦の野瀬海岸で拾った石がある。

IMG_1574赤玉石 10㎝にも満たない小さな石だ。佐渡は金山・銀山でも有名だ。金や銀が始めから金・銀であった訳ではない。何かの物質が元素変換した結果である。この赤玉石もこの色合いと硬度に成るにはその由来を秘めている。地球の生きた活動の結果生まれた今の石の姿である。見えるもの 見えないもので、隠れた見えないものに思いを寄せれば、哲学に成る。(2018/11/28)追記。赤玉石の記事佐渡赤玉石に連想がある。

秘めた来歴

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水晶のような透き通った石。硬くて火打石として火花が出るだろう。

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拡大。この透き通る化石化の基の物体は何だったのだろうか。下側は表層を成しているように見える。これも生物が先祖の化石かと考えてしまう。どんな熱エネルギーと圧力エネルギーに因って化石となったか。この足元の地球には見えないもののロマンがいっぱい詰まっている。

(2019/08/18)追記。2年前に比べて更に風化が進んだ。

(2017/10/27)追記。庭の縁石を見ると風化が進んでいる。

石の風化石の風化 触ると崩れる。今まで気付かなかったが、これは木の化石である。木目で割れると観る。気付くのは一瞬の何かが石との間に働いたからのようだ。また戯言と顰蹙(ヒンシュク)を買いそうだが、間違いない。IMG_1555拡大図。

(2013/09/17)追記。再び巨木の化石化について記す。2013年9月13日、Bing検索背景の壁紙に西オーストラリアのカリジニ国立公園の風景があった。その岩石の層は間違いなく古代巨木の倒壊した化石である。岩石の元が樹であるとの認識が一般にない。火山噴火による溶岩は板状節理などには成らない。樹が石になったと言う認識は、せいぜい『石炭』くらいの事しか認識していない。糸魚川には『翡翠』の岩石が出る。信濃川には、硬い金剛石のような『浅葱色』の石が信濃川の特徴の一つになっている。川にはそれぞれの石、あるいは土壌に特徴がある筈だ。石が何から変化したかに疑問を持つ事が自然科学の有るべき視点と考える。動植物の化石には関心があるが、石に対しても関心を持って欲しい。

アンモナイトとオパール(2018/06/11)追記。今年も先日ハイブでの骨董市でアンモナイトのオパール化したものを多く見た。その店主の話で、50センチもあるアンモナイトの化石化したオパールもあると聞いた。 (2017/05/25 追記) 先日骨董市でオパール化したアンモナイトの化石を見た。アンモナイトが宝石オパールの基の一つであることは確かだ。化石と硯に示した硯の化石はどんな虫であったかも不思議な謎になる。

(2013.08.29)追記。地球の生い立ちを問う で、地球の遠い過去の姿を想像して興奮に包まれた。今日また新しい姿を知った。豊岡市の玄武洞である。その岩山と洞窟が一体構造をなす巨樹の化石に見えるではないか。似たような玄武岩の名所に、京都府天田郡夜久野町にも、やくの玄武岩公園があることを知る。その柱状節理は地球の至る所に見られる岩石の姿である。専門家による学術論的解釈には、決して植物・巨樹の化石などと言うものは無い。しかし、どんなにそれらの岩石を眺めても、地球の火山噴火や地殻変動により、木目状の岩石が造られる等と言う過程を想像することは出来ない。板状節理、柱状節理も同様に、地球が地殻変動を起こしたと考えても、その地球の表面の土壌がどのような物であれば様々な木目や、板状節理の形状に変換されるかを想像することが出来ないのである。古代の地球の姿の美しさを、どうしても巨樹の緑で覆い尽くした姿で捉えてしまうのである。緑は生命に優しい。いのちの心を豊かにする。巨大さは恐竜の化石として確認出来る。巨樹もその巨大さで捉える必要がある。今地球は人間によって、いのちのみすぼらしい貧弱な姿に変えられてしまった。心を病む生命全体を破壊し尽くさなければ気が済まない如くに、人間の欲望が暴走しているのである。神はその未来を予測してこの地球上に人間を作りだしたのだろうと思う。再び新たな地球を蘇させる時間の仕掛けを、人間に託したとしか思えない。『原子核兵器』を手放せない人間である事を自然の神は見越しているだろう。自ら自分を破壊するまで。昨日「クロ源」で海水温の上昇の問題を取り上げていた。何時か『魚・海洋資源』が絶滅して、人間が食べられなくなる時が来るのは間違いない。人間の欲望ほど恐ろしいものはない。

(2013年7月19日追記) 先日Bingの壁紙絵のDevils Towerに惹きつけられた。その聳え立つ大岩は根元の盛り上がりと合わせて、まさしく探していた巨樹の化石の見本と感じた。誰も岩石が樹木の化石とは見ていなかろう。この標題(石の囁き 聞こえますか)で世界の隠れた秘密を伝えたいと記事にした。恐竜の住んでいたこの地球の姿を誰も知らない。恐竜の想像の世界を表現した映像を見る事がある。その映像に違和感を禁じ得ない。それは植物も無い表土に生活する無色の恐竜の想像図である。そんな世界に恐竜は生きられなかろう。限りない豊かな巨樹の森と多様な動物が溢れた世界と考える。その巨樹の森があったから、豊富な石炭層ができ、動物が石油となったと理解する。

瑞牆山(ミズガキヤマ) デビルスタワーに次いで、テレビでちらっと見た映像に惹かれて調べた。秩父多摩国立公園に、瑞牆山(2230m)その山頂の岩石、大鑢岩あるいは桃太郎岩など実に奇岩と言える大きな岩の姿に驚いた。その巨岩群はどのように生まれたと、その歴史を地球物理学で解釈しているか。その山は火山性なのかどうかを知らないが、地球の古い過去の姿を想像する事は、足元であればなおさら、宇宙を考えるよりワクワクする魅力が潜んでいる筈だ。ダイヤモンドも金塊鉱石も自然の生命が化石化したものであろう。鉱物も生物もその起源はすべて同じものから変遷を経て、輪廻する過程の姿であろう。何も人間は分かっていないと思う方がより正しかろう。雷の正体が水蒸気でしかなく、電荷(嘘概念)などは関係ないのだ。

(2012年9月22日追記) 前回と同じカレンダー(東北電力保安協会)の9月の写真がやはり石である。それは岩手県の三ツ石山と言う、岩手県の県名の由来をも秘めた有名な石らしい。その写真の手前側にある、比較的低くて、広がりを持った石がとても気になる。その石も丁度大木の切り株のように見え、年輪がそのまま化石化したような姿をしている。勝手な想像で誠に申し訳が無いが、どう見ても大木の年輪の化石に見える。高い山の山頂にある石であるから、前回の青森県の仏が浦の海岸とは違う。しかし地殻変動はとんでもない事を引き起すと考えられる。ヒマラヤ山麓から海のアンモナイトの化石も出る訳だから、高さは気にしなくて良かろうと勝手に解釈する。

(2012年8月5日追記) 昨日或るカレンダー(東北電力保安協会)の写真を見て引きつけられた。青森県下北仏が浦の写真である。とても不思議に思えたのは、垂直に立ち上がる黒い岩の海岸の景観である。垂直に立ち上がる岩盤層は何処にでも見られる物だ。地殻変動による隆起現象に基づく結果の地形と解釈されている。私がどうしても異論を唱えたくなるのは、単調な学説に満足出来なくなるからである。大木の年輪をそのまま残した黒い化石状の岩石が映っている。古生代の植物が如何なる物であったのかと空想するのである。先ず、恐竜の巨大さは化石として発掘されているから、理解出来る。しかしその色合いがどんなに豊かな造形や色彩かは分からない。あの巨大な動物の生命を支える食物連鎖は、今我々が想像する事の出来ない程の豊かさであったと考えなければならない。あの恐竜が生息するに適した植物の景観を想像すれば、並みの樹木、森林では無かったと考える。大ジャングルを構成する樹海が繋がっていた筈である。青森県の仏が浦の岩石を見て、巨木の化石ではないかと思うのだ。並みの樹木が地殻変動で地下に埋没されたとしても、石炭層鉱脈が構成されるのは無理と考えたい。どんな樹海が、どんな巨木がと考えると、今は何と貧弱な植物生態環境に成ってしまったのかと落胆する。こんなとんでもない事を想像するのも許されよう。以前から思っていた事である。古生代の巨木はその直径20,30メートルの物が有ったのではないかと。

石を讃えて 言葉に尽くせぬ

その風貌と質感の如何にも男性的な

その重く動ぜざること冷たき威圧感

その生れこし由来隠してそこにもここにも

何気なき形と姿を有るがまま 何も語らずただじっと有る

宝石と持て囃されるものも有る 道端で踏み潰されるものも有る

石に価値の差はないに 人間どもに差を付けられて

それでも じっと有るがまま   己卯(1999) 立冬(11月11日頃)

『詩心 乗せて・・』第30号の『石』に関する記事の再編である。

左の写真はある石の切断片を何処か旅先のお土産屋で購入したものである。長径が12cm程の切断面である。どれ程の物でも無いが、中々気に入って飾りにしている。さて、何が言いたいかと言うと、この石は何から出来たのか、その由来に惹かれる。石は最初から石ではないのである。ダイヤモンドも水晶も、琥珀(松脂から)もみんな何かから地球の営みの中で出来たものである。上の一枚の写真を見て、その色の配分と中心対称模様が興味をそそるのである。竜宮城の乙姫様にでも、お会いできれば、教えて貰えるかも知れないが、無理であろうから、想像で解釈せざるを得ない。基本的には、古代の『生物』例えば亀や貝類が地熱の影響で変成したと考えたい。圧縮された物は化石として、その形態が残る為、原生生物の謎が判明するが、熱変換されれば、基の姿は見え難くなる。トパーズ、アメジスト等いろいろの宝石が有る。河原に特有の石もその川の特徴を示している。(2017/10/14)追記。上の写真がピンボケであるので撮り直した。IMG_1540日の光を通して写した。中心部の青の色とその模様は何を物語るか。どんな貝の化石かと想像してしまう。宝石もこの石も基が在り、過去を物語るために今ここに在るのだ。石は初めから石ではなかった。45億年で語れるのかと科学の意味を思う。(2017/10/15)また追記。昨日の写真は裏側の写真であった。元の2011年の写真を良く見ると、歯のような物に見えた。次の写真を撮った。

IMG_1552どう見ても貝類の歯並びに見える。また予想が的中した感覚だ。

信濃川の上流には『浅葱色(アサギ色)』の個性的な表情をした石が多い。金剛石のようにとても堅い石も多い。川それぞれに石の表情も異なるのである。ここに示した石は自分の故郷の河原(信濃川)から無造作に拾った物の二つである。浅葱色とは、如何にもネギ色で、昔の人の色感覚と表現力に感心する例にも成る。

 私が、『石』に特別に興味を抱いた原因となる思い出が幾つか有る。街の『骨董市』での様々な石の売り物の展示品が有った。しかし決定的に『石は初めから石ではなかった』を気付かせた偶然の石との出会いが有った。平成6年7月であったようだ。或る大きな庭石の置き場に出くわした。そこには、でっかい造園用の石が数多く無造作に置いてあった。その内の一つの大きな石に目が止まった。その石の表面の規則的な波状模様に引き付けられ、じっと注視すると、その表面の一部に気掛かりなところのある事に気付いた。その部分だけ色が異なる茶色で有ったからである。近付いて良く見ると、それはどう見ても木の肌としか考えられなかった。それが左の写真である。その木肌の拡大が右のサムネイルである。そこで、私の背よりずっと高いその石の上に登り、その石の波状模様の正体を確認した。それが右の写真である。予想の通り、石の上の断面の模様は明らかに『木の年輪』以外に考えられないものであった。そこには他にもその類の大石が多くあった。みんな同様に、大木が石に化石化したものと思える。こんな大きな石で、樹木の木目がハッキリしている物に出会わなければ、中々このような記事に断言できる事には成らなかっただろう。偶然の自然との出会い、一瞬に過ぎゆく時間の中に、驚きの秘密が笑顔で微笑みかけている事に改めて感謝すると同時に、見過ごす事の一瞬が恐ろしくもある。

丁度その年(平成6年)の秋に、新潟県塩沢町の『雪国奇木館』に立ち寄った。入ると大木の磨かれた切り株が、デンと迎えてくれ、その大樹が恐ろしい程の地球の生命感で人を威圧している。そこには奥まった隅にひっそりと、「蝦蟇仙人像」の彫刻が有る。私のとびきり惚れた彫刻である。そこで見た大木が石に成るとどうなるかと想像に結びついたのである。それが大木が石に成るとの解釈に一つの『石』の由来が見えたと言える。

 『紫水晶』が有る。それもとても不思議な形状をしている。骨董市には、よく出会うものである。大きな紫水晶の原石とも言えるものであろうが、その形状、外観は大きな一体構造(高さ1m、外径40㎝位)の岩石で、外側は黒っぽい色で、その内側にびっしりと紫水晶の結晶が中心に向かって形成されている。それは一体何がそのような物に変換されたのかと未知の自然の姿に敬いと驚きを禁じ得ない。石や宝石は初めからそれではなかった。その由来の不思議が足元に広がっている。自然科学は数式では捉えられない不思議がほとんどである。『ダイヤモンド』、その結晶構造に秘めた不思議が科学の『原子理論』を解きほぐして欲しいと叫んでいるように聞こえる。ー追記。こんな単純な疑問を基に、炭素結合の秘め事 での分子結晶構造論にまで展開した(2012/08/03) ー。それは『電荷概念』からの解放への願いに聞こえる。電荷棄却の電子スピン像と原子模型 日本物理学会講演概要集 第64巻2分冊1号 p.18 (2009) に共有結合の意味に触れた。

(2018/08/24)追記。 この記事が多く読まれて有り難い。関連記事で富士の霊峰を仰ぐ もよろしく。奥穂高の山が柱状節理とは不思議だ。

水の星ー地球ー

地球の生命 それは水の御蔭である。宇宙からの映像を見た。青く光る星に見える。地球と宇宙は熱的に繋がっている。地球の熱は水を介して宇宙と繋がっている。水の潜熱はとても大きい。しかし、その地球の『水』は誰が造り出しているのだろうか。多分専門家は、地球誕生の頃の話に遡るのかと思う。水は、今道の傍の名も知れぬ草が生み出していると思う。雑草と言うとても、生命力の強い草が水を作り出していると。草の露を踏む事も無くなってしまった。夏の朝早く、道端を歩けば、足が草の露で濡れてしまう。まさか草が水素と酸素を化学反応させて、水を作り出す工場と言う訳ではないだろうが。日中の太陽光を吸収して、夜に酸素だけでなく、水も葉先から生み出すのである。部屋の鑑賞植物等も葉先からに水を放出する。葉先の水滴に朝日が差し込むと、プリズムの光模様が展開される。写真は、水滴に焦点が当てにくく、ぼんやりした事をご容赦ください。秋に咲く「露草」の呼び名も、その儚そうな薄青い花びらに重ねて、そんな意味からきているのかと思う。雑草と呼ばれる草花は、いかにも哀れでならない。energykana

エネルギーで観る世界ー地球の生命ー

(7月25日追記) 今年の猛暑でこんな姿に成り、哀れなり。地球が灼熱地獄に変わる前兆か?植物が太陽光に耐えられない状況は人の生命もその行く末を暗示していると思える。

草・木の夏姿。目前の緑に目をやる。椿の堅い葉が強い日照りで黒褐色に焦げている。去年当りから目立つ状況だ。今年は、更に紫陽花の葉が日中に萎びて哀れな姿を呈している。緑は太陽光を吸収して、地球の生命を守る大切な働きをする筈であった。萎れる程になったら、とてもその役目は果たせない。寒さには強くても、暑さには耐えられない限界がある筈。自然に寄り添えば、自然の思いや訴えが聞こえる年を追うごとに、飛んで来る虫や昆虫の姿が激減している。もう、春に食い荒らされる筈の山椒の葉も、揚羽蝶の生存数が激減し、卵を産み付けないから、そのまま残っている。もう何年もあの大きいカラスアゲハもクロアゲハも普通の揚羽蝶も見れなくなった。左の写真は上が椿の日焼け、下が紫陽花の萎れた日焼け。こんな哀れな緑の苦しみを見たくない。

酷暑化する日本の夏ーその常態化ーどこまで上昇するか?風の無い気温50℃までか、60℃になるか想像してみて欲しい。技術が進んで科学が滅びる』経済成長と言う欲望の追求は自然を破壊する事で成し遂げてきた。人間の本姓の成せる業である。今は昔と成ってしまった。庭にも自然が見えた。古いネガフィルムの写真から拾ってみた。1996年頃の庭に来た揚羽蝶である。秋アカネが信濃川の右岸で絶滅して、もう二度とここの田畑上での秋の日本の風景は見れなくなってしまった。日本社会を進めてきた指導的人達は、霞が関と言うコンクリートの建物で、エネルギーを使う様に仕組みを構築して来た。冷房の空間で、夏に向き合わずに過ごす経済成長を追い求めてきた。ある物理学の大学教授が言っていた。有名な大学で高等数学を教えている方らしい。「私は自然を見ないようにしている」と仰っている方が教育する『物理学』とは何の為の物理学かととても気掛かりになった。自然は、何処かに旅行にでも出かけた時に、そこで味わえれば事足りるものと思うのだろうと悲しい。

周りの田んぼを見れば、春は量販店に山積みされた『除草剤』が田の畔にたっぷりと撒かれて、枯れ草の生命が哀れな姿を曝している。『水は誰が造りだしていると考えるのか』二酸化炭素がどうこう言うが、水は自然が作り出している事を知らないのではないか。それが『科学』だと思う。技術じゃありません。Spring 8 の電子加速原理も専門家はどんな理論で説明できるのか不思議でならない。自然を見ないようにすると色々儲かるようだ。Spring8 は円形加速装置で電子を光速度近くまで加速できると言う。電磁気学の基本法則で電荷加速は電界の他は無い。装置は殆どが磁気加速装置であろう。ローレンツ力の磁界加速は円運動の中心軸方向への加速度運動と成り、同一半径の円形リングでの加速は出来ないのが「教科書理論」である。電荷概念の加速理論は円形加速装置では不可能である。理論の噓を置き去りにした『理論物理学の素粒子理論』は論理性を無視した素粒子論業界の迷走研究だ。

エネルギーが質量の基』日本物理学会講演概要集第64巻第1号第1分冊 p.20 (2009) これも発表出来ずに終わった。この論文の主張は、質量はすべて光のエネルギーが局所空間に集まった結果の表れである。アインシュタインが提唱した『質量はエネルギーである』の『E=mc^2^』の式が示す事からの当然の帰結である。質量がエネルギーだからこそ、エネルギーが質量なのである。物理学理論で、『エネルギー』の実在性を認識できないうちは日本の夏の気温は何処までも人間が住めなくなるまで上りつづけるであろう。世界のグローバル化は過熱地獄の地球を作ろうとしている。

エネルギーで観る世界ー素粒子ー

素粒子の世界 とんでもない世界に踏み込んでしまった。考えると当然の事とも思える。極微の世界に論を進めるなんておこがましい事でもある。全くの素人が特別の専門領域にである。それはたった一つの『電荷概念』への直覚的矛盾認識からである。世界、自然世界観で、自然科学の理数分野では電荷が理論構築の根源的拠り所である。それを否定する事は、言わば科学でなく文学だと酷評される程、今までの専門家としての権威に対する挑戦ともとれる内容でもあろう。その電荷概念のもとで現在の科学技術社会を構築して来たではないかと反論されよう。素粒子とは何か?物理学の歴史を辿れば、原子論の議論がその発端と考えても良いかと思う。医療技術で「MRI」はとても有効に病気診断に役立っている。しかしその原理がよく分からないのである。理論解説で、水素原子や電子の何々と言われても私の頭ではとても理解の及ばない領域の話になる。それではと、それを哲学や文学で捉えようとしても無理である。高度な数式を使わないで、その原理を捉える事が出来ないかと儚い望みを抱くのである。そこで、どうしても『原子構造論』に論を進めて行かないと理解できないと感覚的に思う。なんで電荷が無ければ、原子の極微の世界を理解できないのかと疑念が湧く。素粒子論の取っ掛かりは昔どこかで見た写真が有る。磁界(磁束密度)B の空間に未知の素粒子が飛散してきた時、その軌跡から陽子とか電子とかあるいは中性子とかと磁界と電荷の間に生じる力で、その素粒子が何であるかと判断する様な話が有ったと記憶している。電界、磁界との間の電荷に生じる力をローレンツ力と言う数式で解釈していたようだ。磁場B[Wb/㎡]の中で、電荷q [C(クーロン)]が速度V[m/s] で運動すると、ベクトル積[V×B] に比例した大きさの力が生じる。この話を初めて聞けば、誰もがそうかと納得する。しかし、しつこく疑問を膨らませてゆくと、簡単にその通りだろうとは納得出来なくなるのである。こんな事から入って、話が纏まるかまったく成り行き任せである。この行き着く先に必ず未来が開けると確信できるから、無謀が魅力ともなる。

磁界と電荷の相互作用原理 磁界とは何か?電荷とは何か?その二つを結び付ける作用原理は何か?と言う基本的で、幼稚過ぎると思われるような『問答』が西洋の科学論には欠けていると思われる。磁界と言うものの中身を説明できるかと言う問いである。磁石などの面に近い空間に何かが有る事は誰もが感じ取れるだろう。磁石のN極とS極を近付けた時、近い程強い力で引きあう。その引き合う力をどのような自然現象として捉えるかと言う問いである。教科書の説明を見れば、NとSの間に引き合う磁束の線が有り、それがゴム紐のように引っ張り合うからだと答えるぐらいの答えしか用意できていない。ゴム紐なら、近付けば力は逆に無くなるのだけれども?高度な物理学理論では『超弦理論』と言うものがある。それは凡人の頭では、理解の域を超えて、難しい。だから、もっと誰もが解り易いように説明できないかと思う。そこで、磁石の間に磁束を仮想するより、その空間に確実に存在するものが『エネルギー』である事を認識する事から始めるべきだ。そのエネルギーをエネルギーとして実在すると解釈できないで、回りくどい磁束などと言う概念を仮説・仮想して、理論を展開するのが西洋流の科学論法である。磁石の間に何が有るか?その答えを教科書通りに、磁束で理解しようとすれば、次々と難しい概念を作り続けなければならなくなる。磁束概念では到底真理に到達できたと納得できないだろう。この辺の話になると、理論物理学者も実際の電動機・モーターの運転をする機会は少ないから、実感としての磁気エネルギーの意味を体感出来ないのじゃないかと危惧する。モータや電磁石の取り扱いや、鉄心の特性に基づく設計・コイル巻き等の製作に携われば、磁気エネルギーが何処に、どのように存在するかが感覚的に会得できると思う。殆どの磁気エネルギーは鉄心材料の空隙ギャップ間の極めて狭い空間に集中して実在するのである。そのエネルギーが磁束線で出来ている等と解釈する事で、理解出来ると言う人は、とても磁場を理解している人とは信じ難い。『磁気現象』で、最近の話題になっているのが『超伝導』である。物理学理論では、専門の研究者が競って高温超伝導材料の発見・開発に鎬(シノギの漢字を初めて知る)を削っているようだ。どんな材料が選ばれるか、とても興味があるが、結局は導体周辺を伝送するエネルギーの熱化損失を極小化出来るものが選ばれるであろう。導体金属結晶・分子構造のエネルギーの通り易さが決め手になる。決して電流(と言う電荷の通過流)が導体中を流れるのでない事だけは真理である。磁気と言う自然現象の中身は空間エネルギーを捉える解釈の仕方に掛かっているだけである。超伝導現象も導体周りの空間エネルギーの特徴の一つでしかない。以上で磁気の話から一旦離れる。

次は『電荷』に関する話になる。電荷と言う概念をどのように空間の実像として捉えるかと言う事である。世界を二つの対象概念で捉える手法は、哲学的方法論になるように思う。男と女が生物の存在に欠かせないと感覚的にも納得し、理解しやすい。昼と夜の世界も昔は不思議なものだったかもしれない。世界を『エネルギー』一つで解釈することは中々世界認識法として、感覚的にも不慣れな為でもあって、どうも難しいのかもしれない。二つの物で比べる見方が有効であるのは、世界の基本的対称観察意識に慣れている事があるからであろう。極微の原子構造をプラスとマイナスの電荷の引き合う引力と解釈する方法が簡便で納得し易かったのである。しかし、電荷のプラスとマイナスを空間像として認識しようとすれば、そのプラスとマイナスの差をどのようなものと理解すれば良いかで、ハタと困惑の域に迷い込むのである。無いものを定義・概念化する事は何時かその真実を追究する時、化けの皮を『説明不可能』と言う事態で露呈するのである。今、科学理論が抽象的概念構築で進められて来たと考えざるを得ない現実の矛盾に直面していると思う。電荷を否定されたら、物理学の根源的『原子構造論』のE.Rutherford(1871-1937)や電子発見のJ.J.Thomson(1856-1940)まで遡らなければ成らなくなるという辛い現実がある。そこで、解決法は負の電荷と質量を背負う電子概念をどう修復して電荷の無い世界の解釈法を得るかと言う問題になる。確かに原子が軸性(独楽の軸のような性質)を持つ事は間違いなかろう。様々な原子結合で分子の集合体が構成される。その結合力を電荷無しに解決するには軸性のエネルギー回転流しか道は無い。世界の結合を統べる『力』の根源は『エネルギー回転流』のみであると解釈する。電荷、磁荷間に働くと考える直線的な磁束や電束概念では、力の解釈の本質に迫れない。ここで、全く新しい磁気概念像を提示しておく。 それは理科実験に使われるコンパスについてである。コンパスはN極とS極で磁束がそれぞれの極の先端に出入りして居る像で捉えている。しかし磁束などは仮想概念で実在するものではない。磁束概念を打ち破るには、新たな合理的概念を提示しなければならない。それが、磁極の近傍空間での『エネルギー回転流』である。上の図はその概念を簡便に表現する自慢の図である。この磁極のエネルギー流の方向性を決定するに長い歳月を要した。 磁界・磁気概念の本質 にも解説。

ほぼ結論的な事を論じた。だめ押しになる話で、恐縮ではあるが、電荷と磁束の間に『力』が生じると言う解釈は電気磁気学理論には無い。ファインマン(「ご冗談でしょう ファインマンさん」と言う御本で有名な物理学者)の電気磁気学の教科書にも、「電荷も電流も時間的に不変である限り電気と磁気とは別々の現象である」とある。この事は電荷と磁気は相互に影響を及ぼす力は無い事を説明していると考える。そこで、電荷と磁気が相互作用をする原因は無いにも拘らず、何故電荷が動くと磁気との間に力が生まれるのかと言う疑問である。電荷の定義には磁気と作用するという責務を課されていない。電荷が動くと磁気と作用するのは、動いた電荷が磁気に変化すると言う事でないと論理的でない。それでは、空間的に電荷がどんなものであるかを認識できないけれども、動くと磁気を空間に作り出すと言う事なのだろうか。磁気と磁気とは確かに磁石間の力から一応納得できる。電荷が動いた時空間に電荷から磁気を吐き出すような事になるのだろうか。その空間の磁気のエネルギーは電荷のエネルギーなのだろうか。電荷が空間に電気力線として広い場所を占有すると解釈するのだろうか。エネルギーは空間に実在する真の実在量である事を認めるか、認めないかの、言わばー科学的踏み絵ーを課したいのである。

電気の大切で、有名な技術法則がある。フレミングの右手・左手の法則である。その法則はアンペアの周回積分則の電流による磁界発生の基本法則と相俟っているものである。これはモーターの動作原理を簡単に左手の指で理解しようと言う法則である。磁界の磁束の向きに人差し指を向け、中指の方向に電流が流れると、その電流の流れている電線に親指の方向の力ベクトル f が生じると言う法則である。この法則を、この本章の初めに掲げた「素粒子飛散軌跡」の説明に使っているのである。電荷の運動方向を電流の流れで解釈する方法で解説するのである。ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾  を見ても、フレミングの左手の法則などで、素粒子論が説明されるなどと言う事は、とても納得できる説明ではないと思う。

(参考文献)自然界を理解するに、現代物理学の最先端の研究に期待が寄せられているだろうが、そこには真実は見えないだろう。科学者の論理に特殊化された集団論理に偏っていると思う。少し数学的論理内容ではあるが、自然界を支配する『力』について私が唱えた、科学者集団と異なる視点で発表した日本物理学会講演概要集を参考に挙げておく。

1 力密度 f=rot(S/v) とベクトル算法 第61巻2号2分冊 p。196.(2006.)

2 磁力密度 f=rot(S/v)  第63巻1号2分冊 p.310. (2008)

追記(2013/4/2)  上の力の式は時間的な変化を含まない。それは変動のない静的な状態で、その力を認識するだけなら有効と思う。しかし、常に変化する自然現象としては不十分である。長く唱えて来た式であるが、竜巻や台風の表現式としては十分でないと思う。それは空間のエネルギー動態に対しても同様に考えられる。エネルギーは集合した形態が『質量』であると考える。太陽系はじめ、宇宙の全てにその回転に本質的特質を備えている。万有引力を軸性の回転形態を創る原理的法則と看做す事は出来ない。万有引力の法則は回転を作り出せない。世界は「軸性回転力」に因って構成されると考えたい。すでに渦巻の解剖で提示したが、時間を含む式

dp/dt=rot S  [N/(s m^2)]

が近接作用力として合理的と考える。

また、素粒子ーその実相ーとして電荷概念なしのエネルギー流での描像を描いた。