最近『科学リテラシー』と言う言葉が目に付く。リテラシーはLiteracyで、ある分野の活用能力とか識字力とかの意味のようだ。科学技術に取り囲まれ、その支配に踊らされているような日常生活が現代人の姿である。朝起きて、蛇口をひねれば水やお湯が出る、洗濯機が自動的に衣類を洗ってくれる。幾らでも着替えて、水と電気を使っても、当たり前で『勿体ない精神』等生まれな。洗濯板の上で固形石鹸を擦りつけて手指の皮がむける程ごしごしと衣類を洗濯する事など知らない世代の時代に成ってしまった。どんなに一日の時間を上手く使うかが毎日の生きる術であった。今自然の姿が人から見れば、許せない程の過酷さをむき出しに襲いかかって来た。人が自然を征服して、豊かで平穏でしかも楽な生き方を求めても、それは自然の真の姿の棚心の上での一瞬の姿でしかない。しかもその自然を憎んでもその自然の中でしか生きられないのである。この度、福島第1原子力発電所が震災により崩壊した。この災害は簡単に壊れたからゴミとして廃棄し、次の手を打てない事にその科学技術の現代的恐怖がある事を、皆が認識した事であり、科学技術の大事件であると言える。科学技術の大事件と言う意味には、科学と言う本質が如何に怪しい専門家の業界支配下に進められてきたかを明らかにする転機になったと言う意味を含んでいるのである。それはいろいろの科学技術に使われる『計量単位』にその怪しさの本質が隠されていると言うことである。私は物理学の持つ深い意味を探ろうとする時、ただ一つその計測単位がどのような意味を持っているかから検討に入る。今回の原子力事故で盛んに使われる単位に、放射能におけるシーベルトとベクレルが有る。そんな単位を誰も使った事も無いし、聞いた事も無い。専門業界の業界用語と言っても良かろう。今何故このような記事を書くかと言えば、ある新聞に放射能に関する特集の科学記事が有った。そのkey解説記事を見てとても気掛かりになった。科学ジャーナリズムにさえ、科学リテラシーの欠如を見せられたからである。英語に弱いから、手元にTHE OXFORDO DICTIONARY FOR SCIENTIFIC WRITERS AND EDITORS と言う辞書が有る。さすがに科学技術の先進国と思うが、日本にはこのような一般向けの科学辞書が無いのかと残念である。そのp.383に特殊名のDerived SI単位として纏めて出ている。 1 Sv(シーベルト)=1 Jkg^-1^(放射性元素を含んだ被計測物質、空気とか、食品など1kg当たり何ジュールのエネルギー放射量を放出するか)、1 Bq(ベクレル)=1 s^-1^(毎秒当たり何回放射崩壊-event-するか)。等の単位が載っている。ただし( )内は私の注釈である。新聞記事で、シーベルトは放射線を浴びた時の人体への影響を表す単位。は良い。ベクレルの説明に戸惑った。原子核崩壊が1秒間に1個起きるのが、1ベクレル。その次に「お金なら硬貨の枚数がベクレルで合計金額がシーベルトに相当する。放射性物質を含む食品を食べたときの云々・・と体内被曝とシーベルトの関係が解説されている。確かに、この二つの単位の関係は専門家の解説がそのようにされているのだと思う。専門家の単位の認識が曖昧でいわゆる『業界単位』に成っているのである。シーベルトとベクレルの単位を比較してみれば、[J/kg]と[回/s]をどのように変換しようとしても、単位の次元が異なるから同じ土俵に乗せられるものではない。しかも放射性物質が衣類などに付着した場合も、体外被曝となる訳で、外から影響を人体細胞が受ける。東電原発での作業従事者の被爆事件が大々的に報じられたが、あれも外部の放射性物質からの放射線被爆が主原因であろう。単位は係数を掛けても次元は変わらないと言う基本原則を認識しない記事は科学リテラシーの問題として取り上げなければならない。物理学の単位でも真空中の空間を真空誘電率ε[F/m]や真空透磁率μ[H/m]等で捉えているが、その意味も宇宙論や素粒子論の専門家は無頓着であるようだ。それは空間を伝播する光のエネルギーの実像を規定する重要な定数である。改めて、物理量や科学技術に使われる計測単位には、その意味を矛盾なく捉える事に拠り、科学の本質を正しく認識出来ると言う視点の鏡が隠されていると伝えたい。