エネルギーで観る世界ー序論ー

世界を『エネルギー』で観るか『電荷』で観るか。こんな見方に科学論への根源的変革を迫る意味が含まれているように思はれる。『世界を見る』の世界とは科学的あるいは技術的な視点から、日常の生活上で思考に上る自然現象の解釈に関わる観方の対象世界と言う意味である。専門領域が複雑になり、余りにも市民社会からの乖離が大きく、その共通理解が出来ない独善的な社会的不適応状態に陥っていると思う。その複雑怪奇な現代の『科学技術の状況』を誰もが、基本的な部分で大よその理解が出来ることが必要不可欠な時を迎えたと考える。それは、「科学」とか『技術』とか言う事の意味をおおざっぱに捉えなければならない事でもある。そこに『科学の基礎概念』の明確さが何よりも必要となる。『基礎』が共通に理解し合えなければ、どんな高度な科学技術や科学研究もその応用過程で、様々な困難な問題に直面する事になるであろう。

「科学」とか『技術』とか、あるいは『文明』と言う言葉は、それぞれが密接に関連した内容であるが、必ずしも同じ意味ではない。それらの言葉の意味を辞典から抜き出してみよう。「科学」世界の一部分を対象領域とする経験的に議論できる系統的な合理的認識(広辞苑第二版)。『技術』科学を実地に応用して、自然の事物を改変・加工し、人間の生活に利用するわざ(広辞苑第二版)。『文明』人知が進んで開けた世の中。特に、生産手段の発達によって生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められているような社会、即ち近代社会の状態(大辞林)。等とある。これらの言葉の意味を改めて現代社会に当てはめて見ると、「科学」や『文明』が『技術』の意味に比べて、その通りに的確な解釈かと疑わざるを得ないように思える。余りにも『技術』が突出して人間の生活、とりわけ物質的な進展とそれに対する精神的な不整合が様々な社会的不安定性を醸し出す結果になってしまった。それが、今回の『東日本大震災』と言う自然現象の脅威と人間の生活形態の利便性との大きな隔たりを目の当たりにする事になったと思う。今回の記事を書こうと思った直接の引き金は、『エネルギー』と言うものの物理的威力を『津波現象』に自然が示した脅威に突き動かされたからである。しかも『物理学理論と教育』と言う視点で観た時、『エネルギー』の実在性への認識がそこには全く無いと思える。教育は『高尚な学理を伝える専門能力に基づいてなされなければならない』と言う何処かの閉鎖的保守意識で覆われているから、中々新しい『エネルギー』認識にはたどり着けないのが現実であろう。物理学理論の『エネルギー』は必ず『質量』を必要としているように見える。ただ『光』だけは意味不明の「振動数」と言う概念に頼っているが、「運動エネルギー」と『位置エネルギー』あるいは『気体分子運動エネルギー』等にある通りであろう。『質量に依拠しないエネルギー』あるいは『媒体に対すつエネルギーの主体性』に拠って様々な物理学理論の方程式や数学的概念を解剖し、その現象の根底に含まれる本質や矛盾、間違いを摘出できないかと考えている。例えば、シュレーディンガーの波動方程式の意味、衝撃波状津波波形の解釈、原子構造の軌道電子論の矛盾あるいは電磁現象等。その解釈で、基本物理量に『エネルギー』一つを掲げての解剖に挑戦してみようと考えている。殆ど今までの教科書的解釈とは異なる側面からの考え方であるから、入学試験を受けようとする学生さんには全く参考に成らない内容であろう。入学試験の問題の解決法とは逆の論議あるいは不効率の学習内容に成るので、ご理解願います。記憶する学識とは相反する思考法の論述に成る事が多い。

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