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ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾

自然世界は不思議に満ちている。それ以上に人間世界は不可思議に満ちている。今、現代社会は情報通信を始め、科学技術に支配された世界を人は生きている。その科学技術を支えている基本原理を『物理学』と言う学問として学び、その真髄に迫ろうと皆努めてきた。にも拘らず、その学問『物理学』に疑問を抱き、その矛盾を指摘してきた。私は世界の姿の奥底にはとても信じられない『矛盾・虚偽』が隠されている事を確信せざるを得ない状況に至ってしまった。『電気磁気学』は『物理学』の1つの分野であるが、その一握りの事柄が「現代物理学」の根幹を揺るがす事にまでなるとは信じられない。原子理論はじめ全ての基の『電子電荷』を考えた事が始まりであった。『電子が動くと何故磁界が発生するか?』が始まりであった。今まで、『電流計は何を計るか』『磁界・磁気概念の本質』に述べてきたことである。それを物理学の教育と言う面から、「教科書」の中身を考えてみたい。

『ファラディの電磁誘導則』も『アンペアの周回積分則』も共に技術法則としてはこの上なく有用な法則である。慣れ親しむ程捨てにくくなる。しかし物理学的にはその論理性から見れば、欠陥に満ちている。磁束概念そのものの矛盾と、更に電流による磁束発生論理の矛盾を指摘したい。挿入ファイル6枚によって説明したい。先ず①で、教科書の説明を取り上げて、その矛盾を示す。コイルの傍で磁石を動かせばコイルに電圧が誘導される。その解釈に磁束鎖交で説明する事が論理的に間違っている。これは変圧器の解釈でも同じことである。

磁場空間における、規定条件     div B = 0  に従えば、磁束表現が矛盾なのである。

その点は後で説明する事にして、変圧器の技術的解釈で、磁束が電流によって発生すると言うことは間違いである。図版②の1次コイルに印加する電圧e1および2次コイルの起電力e2における式がそれぞれファラディの誘導起電力の法則を表現したものである。その式は磁束φと電圧eの関係を表しているが、電流は含まれていない。その起電力の式を書き換えれば、図版③に示す通り、磁束は『電圧時間積分』として決まることを表している。この事はコイルのインダクタンスに対する電流の解釈も改めなければならない。直流電流に対しても、コイルに印加された初期過渡電圧の時間積分値として磁束量が決定されると解釈しなければならない。この『電圧時間積分』と言う解釈は電力技術の分野では当たり前のことであるが、電気理論の教科書では目新しい事であろうと思う。そこで、家庭電器の中に普通に取り入れられている「インバーター」を取り上げて、『電圧時間積分』を説明しておきたい。トランジスターとダイオードで一つのスイッチを構成し、4つのスイッチA,B,CおよびDの切り替えで直流電圧 E ボルトの方形波交流電圧を作る。その負荷の変圧器の磁束波形は一定直流電圧の時間積分として、一定勾配の直線状に増加する磁束波形φとなる。その磁束を発生すると解釈している「励磁電流 io」と言うものはほとんど変化せず、磁束の発生源とは言えないことを明確に示している。家庭用太陽光発電設備なども、このインバーター動作が基本技術として応用されている事を考えて、そのスイッチの動作モードも波形の下に示しておきます。インバータの電圧eが正の区間①は、スイッチAとDが「on」となる。次にスイッチの切り替えで、BとCが「on」する前に、AとDを「off」しなければならない。その時余分なサージエネルギーを逃がす必要がある。それが②区間のダイオードを通して直流電源にエネルギーを回生する。ダイオードの重要な役目である。その後③の区間に移行する。以上が「インバータ」の基本動作である。さて、今まで「磁束φ」そのものが矛盾概念であるという点を説明せずに来た。divB=0と言う磁場規定と磁束による電磁誘導の説明は論理的に整合性が成り立たない。その点について、図版⑤として纏めた。ファラディの電磁誘導則という電気磁気学の

基礎理論の根幹を成す「磁束」を論理性が無いと否定することは技術者として耐えられない思いでいる。しかし、そこを認めない限りは新しい『真理』に到達する未来を拓く事は出来ない。

自然科学と言う大きな学問の全ての基礎に成る物理概念は非の撃ちようの無い真の姿で捉えたい。無駄や間違いによる混乱を避ける近道になる。最後の図版⑥として、アンペアの周回積分則の矛盾を取り上げる。電流と磁場の関係は、国際度量衡会議の「電流原器」にも採用されていると思う。しかし、私にはその『フレミングの左手の法則』の測定値が正しいとは信じられない。そのことを図版⑥で示す。コイルに電流計を繋ぎ、その指示値が I アンペアとする。コイルの近傍で3箇所の磁気状態を考えてみよう。(イ)は直線状の導線部。(ロ)はコイルの内部。(ハ)はコイル側面の外部。それら各部の磁場状態がアンペアの法則通りであるかどうかを考えてみる。(イ)の電線周りの磁束は、元々無い訳なので測定出来ない。当然コイル内の磁束も測定できない。しかし、(イ)も(ロ)も、共にその近傍には『エネルギー』の流れが実在する。そのエネルギーを検出する時に、『電流計』もその測定器の一つである。磁石で検知する事もエネルギーの存在を或る一面で捉えているのである。さて、アンペアの周回積分則が『真』であるならば、コイル外側部(ハ)の磁場はどのようであろうか。コイルに流れる電流が磁場を作ると言うなら、(ハ)にも磁場が出来て当然である。しかし、そこには磁気、磁束は出来ないのである。コイル電線の傍で磁気が無いのは何故かと『問答』をしなければならない。結論は、電線の中に『電流』など流れていないのである。しかも電流の基が『電子』となれば、そんな電子が電線の中を流れたからと言って、電線の外に磁気を作りだす訳がありません。電子には磁性保有の特質は定義されていません。負の電荷と質量のみで定義されているのです。電子が電線内を直線状に運動したとしたら、金属の電線の外に、どのような訳で、磁場を作り出すと言うのでしょうか。空間で電子が加速されると、負の電荷に入る電気力線(電界)がどんな磁界を発生するのでしょうか。その解釈に疑問を抱いたのが『静電界は磁界を伴う』の実験的検証を実行した原点である。

アンペアの周回積分則 とは導線に流れる電流 I [A] とすると、その導線の周りの磁界を電線周りで一周積分を取ると、電線の電流値 I[A] に等しいと言う法則である。そんな電線周りの磁界を積分する実験的検証方法が有る訳で無い。しかし、昔の法則はどんなに新しい発見が有っても、古い法則は新しく正されることなく、教育の題材として大事に守られる。上のコイル外側部の場合で、その電線周りの積分を取ったら、どのように周回積分則が成り立つと言えるのだろうか。電流が流れ得ないのに、電線内を『電子』の『負の電荷』が流れて、導線外部に磁場を生じると言う極めて非論理的な解釈が、物理学世界を構築しているのである。『電荷』が導線内部に在って、その金属遮蔽に対して遮蔽の意味を無視した論理で、外部に磁界を創りだすという発想そのものが人間の論理と言う不思議な実情を示していると言わなければならない。科学論理の人間的奇妙な不思議さ、この法則を解剖してみると見えて来る。 

『特殊相対性理論』は詭弁論

アインシュタインが現代物理学に及ぼした影響は計り知れない。私が電気磁気学の『アンペアの法則』『ファラディの法則』の物理学的解釈に矛盾を感じて、物理学の基礎理論に挑戦する事になった。1986年(昭和61年)に、電磁エネルギーと光の関係に取り組む最初の関門がアインシュタインの余りにも有名な『特殊相対性理論』であった。それから四半世紀も過ぎた。アインシュタインが1905年に「運動している物体の電気力学について」として発表した論文が『特殊相対性理論』と言われている元の論文である。私がその論文、『特殊相対性理論』が間違いであると確信したのは『光の相対速度 cr』を導出した1991年1月である(2014/10/08末尾に追記☆)。その基本式について、光相対速度と空間ベクトル解析に表した。結局マイケルソン・モーレーの相対速度検出実験結果に対する評価の間違いが根本的な問題である。即ち『ローレンツ短縮』の仮説が間違いである。光の相対速度式の導出への考え方を簡単に整理してある。『特殊相対性理論』は詭弁論 と標題にした。それは余りにも極論で、信じられない人が多いと心配でもある。しかし、それが端的な表現と思う。アインシュタインは光や観測者の速度を決める空間を明確に定義して論じていない点に全ての詭弁性の基が有る。これらを整理した記事が光の速度と空間特性 である。(9月30日付記)光速度は空間定数(H/m,F/m)で決まる追記☆) 1991 年(平成3年)1月正月松の頃、特に記憶している事は湾岸戦争でのミサイルの飛ぶ映像である。筆者も人生をほぼ終りと諦めていた事件の只中にいた。前年の秋は、食べるものも無く一人意識も朦朧として、過ごしていた。とうとう「処置入院」という強制的な法的処置をとられた。12月20日前後と思う。止むを得ず病院食に「断食」で抵抗する。結果意識不明で怪我を伴う転倒、更に小水が真っ黒になった。無意識のまま、年末に別病院へ転院となる。そこでは食事を取ることにした。急に意識が鮮明になった。脳の働きが鋭敏になった。複雑な計算も、現象の解析力も不思議に高くなっていた。元旦明けから『光の相対速度』の解析と計算を始めた。しかし置かれている場所が場所で、先行きへの不安があったが、それ以上に次々と光の運動理論が頭の中を支配しているかの如く、2週間ほどで最終結論まで到達してしまった。そこでアインシュタインが誤ったと確信した。1990年春から、マイケソン・モーリの実験の速度差を図解解析を始めて、結果として半年で『光の相対速度』の算定式に到達した。その解析の全てを上の『光の速度と空間特性』に示した。「断食」は脳の生まれ変わりに役立つと思った。「脳内の不純物」を削ぎ落すように感じる。また「処置入院」の医師の診断は『統合失調症』らしいが筆者は聞いてもいないし、診断書を見たこともない。しかも入院中から「薬」というものは飲まずにすべてごみくずに捨てていた。医師も知っていた筈。院内での「カラオケ大会」がうるさいと文句を言ったら、強制的に「ハロマンス」という注射をされた。2月初めに打たれた。それで物事を考える機能は完全に失われた。医師の犯罪行為だ。あれは意識を混濁させ、自由意思黙殺の「いじめ薬」である。そこでの『光相対速度』の解析は精神的法的診断の下では「無効論」になるのだろうか。精神科医師の誤診である。 一つ追加しておく。それは1991年4月中旬と記憶している。突然病院の上を、4、5機の飛行機が轟音を立てて暗くなる程の上空すれすれに近くを通過した。どんな意味なのか不思議だったが、今までも不可解な事件が身の回りには多かったから、その関係かと理解していた。一体飛行機やヘリコプターが轟音を立てる飛行の意味は何なのか?今でも続く。

自然は愛響ー揚羽蝶ー

(9月11日 追記) 前はいつも庭で見られた揚羽蝶。 その色模様は自然が奏でる世界。 人の心を虜にする揚羽蝶である。DNAと言う生命の不思議が造る世界だ。1週間ほど前に、窓にとても大きな真黒い揚羽蝶が映った。びっくりしたが、暫く飛翔していた後姿が消えた。あの大きさから、カラスアゲハと思った。先日撮った揚羽蝶の幼虫がある。何アゲハの幼虫かは知らない。まさかカラスアゲハが子供を確認に尋ねてきた訳じゃないよね! 何の幼虫だろう。さて、誤解が有るといけないので、一つお断りしておかなければならない事がある。それは、下のプールでの揚羽蝶との出会いの記事で、戯れの相手に成った『揚羽蝶』は上の写真のような蝶ではありません。少し小型の茶色がかっていた蝶のように覚えている。(以上追記)

(2013/08/18)追記。この幼虫が何蝶かは知らない。以前は生命豊かだった頃の庭の蝶の様子があった。エネルギーで観る世界ー地球の生命ー にある揚羽蝶はカラスアゲハだろうか、ジャコウアゲハだろうか。(2013/09/12)追記。この幼虫は体長5cm以上あったと思うので、ITでの検索からはカラスアゲハと違うのだろう。

日頃は物理学などの堅苦しい話題が多い。そんな理数的思考の合間には大切な心躍らせる自然との出会いがある。自然の姿はこちらが深く見つめれば、そこには思いもよらない神秘が隠されている事を、扉を開いて見せてくれる。何事にも興味がわく気性である。自然は物理学と同じく、何を見ても不思議に満ちている。分からない事ばかりだ。地球温暖化が、人間の我儘が自然の神秘を奪っている。過去に出合った私と自然との不思議な心の響き合いを『愛の響き』として、「詩心乗せて観世の帆掛船」の記事を再掲しておきたい。今日は72号の『揚羽蝶と戯れて』の忘れられない不思議な経験です。

揚羽蝶

その風波に乗りて 舞い踊る

その軽やかにして 艶やかな

紋様の羽根いっぱいに 思いっきり

自由に 空間 色づけて舞う

我 惹き付けられて近寄れば

巧みに 余韻残して 飛び舞いて行く (2000.8.9)

思いも掛けぬ事が起きた

立秋を前にした日に、プールで水と風と日の光に肌をさらして、昼下がりのひとときを過ごした。一言お断りしておきたい。ここで取り上げる揚羽蝶は、初めに挙げた写真の色彩豊かの揚羽蝶を思うだろうが、それとは違う。色は全体が茶色の一色で、全体的に小型である。しかし、揚羽蝶である(2013/04/22 追記)。午後の4時を回って、そろそろ帰ろうかと歩き始めた。プールサイドに一匹の揚羽蝶が舞っていた。子供が追うと、軽やかに避けながらそこに舞い続けている。揚羽蝶は傍に居ても、決して人にその自由を束縛されはしない。等とその様子を眺めながら歩を進めた。と、また一匹別の揚羽蝶がプール際の水に濡れた敷石の所に居た。その水を吸っているような様子だった。近付けば逃げてしまうだろうと思いながらも、傍に寄ってみた。その揚羽蝶は一心にその僅かな水の湿り気に口器(ゼンマイ状の吸い管)を付けていた。しかもそこは人がたくさん泳いでいるプールのすぐ側である。なのに、その蝶は逃げない。プールから手酌で水を掬い揚げて、蝶の傍に流してみた。飛び立つような素振りを見せながらも、やはりその場から逃げない。ドキドキしながら、そっとその大きな羽根の縁に触ってみた。しかし、逃げない。こんな蝶との出会いに、夢のような気分。その蝶の傍らに腰を下ろした。この蝶との出会いのひとときを、許されるならば、しばらく楽しみたいと願った。その揚羽蝶は私がその優美な羽根に触って、愛撫しようとも、決して逃げない。人差し指と中指でその大きな羽根を広げると、パット大きく開き、しかもそのまま動かない。しばらくそんな蝶との戯れを楽しんでいると、突然私とその蝶との間に割り込むように、もう一匹の揚羽蝶が飛び込んできた。その蝶は少し小さめであった。きっと雄であろうと思った。それから暫くの間、その雄と雌の二匹の揚羽蝶と私との戯れのひとときが流れた。

その蝶と戯れた時間は、多分十分か十五分位であっただろう。私が立ち去る時まで、蝶はずっとそこで動かずに、水を飲みながら私との触れ合いを受け入れてくれた。立ち去るに当っては、心残りとその蝶が人に潰されるような事が無いか、人を信用し過ぎて、傷つく事が無いかとの心配が頭から離れなかった。                                いま、その時のことを書き残しながら、改めて不思議な出来事と思い返している。普段見る揚羽蝶は、決して人を寄せ付けない筈なのに、私の指の愛撫に応えて、羽を広げたり、すぼめたりして遊び続けた。あの時のあの二匹の揚羽蝶は、本当に普通の揚羽蝶だったのだろうかと、再び巡り合う事のない不思議な世界のひと駒として、忘れ得ぬ思いでとなった。

ついでにその時の感触を書き記しておこう。空に舞う蝶のあの羽根は、とてもしなやかで弱弱しそうに見えるが、その大きな羽根の縁に当たる部分は思っていたよりとても強靭な力強さを秘めていた。空を自由に翻って飛び回るあの素早さは、決してしなやかさだけの羽根からは生れない事を、指先に応える羽根の力強さから教えられた。あの時の蝶が、私に自然の深い仕組みの一端を身を持って教えてくれたものと、時と空間との中に繰り広げられた実在世界の神秘に触れられた実感に感謝している。

いま思えば、ここ数年は庭の山椒の葉も揚羽蝶が食べる事も無く、蝶も見かけられなくなってしまった。こんな自然の生命が消えた地球上で、更に経済発展のためのエネルギー消費が世界で繰り広げられてゆく。皆人間の欲望の戦いが正当と考えているらしい。都会のビルヂングの中で作戦を練っている人が自然など意識にもなく、それを破壊しながら奈落の世界に突き進んでいる。揚羽蝶が私に教えてくれた自然の愛の響き合う世界の有ることを、そんな世界をどれだけの人が意識できるだろうか。

自然は不思議に満ちている世界だ。

(2013/09/12)追記。今日、庭の花虎の尾に『黄アゲハ』が蜜を吸いに来ていた。傍で写真を写したが、全く自分の存在を無視するように、平気で長い間花の蜜を吸っていた。IMG_0834

余り焦点距離が合っていない写真だ。ここに載せようと思った訳がある。それは、上に書いたプールでの揚羽蝶との馴れ初めを思い出させる不思議な思いに駆られたからである。プールでの出会いの蝶は、この黄アゲハより少し小柄であったようにも思うが、何かこの蝶の振る舞いがあの時の蝶に似ているのである。しかも、色がこの蝶の色に似ていたのである。この蝶も人に対する警戒心が無いように見えた。自分に対してだけではないと思う。そこでその大きな羽根の縁に触れてみた。しかしそんなに警戒している様子も無く、少し羽根に触れさせてくれて、逃げるでもなく蜜を吸い続けていた。動画にも収めたが、焦点距離が合っていない。動画は投稿できないのかな。

黄アゲハについて追記(2017/09/14) エネルギーで見る世界ー地球の生命ーの黄アゲハが本物かもしれない。

眼球の網膜像入試問題を見て

先日の大学入試のセンター試験問題で、物理に眼球の網膜像の問題が有った事を新聞で見た。昨年春、日本物理学会第65回年次大会で、生物物理分野に『眼球の光ファイバーと光量子』と言う標題の発表をした。それは正しく、今回の入試問題のカメラ機能で人間の目を解釈する事の間違いを指摘したものであった。昨夜はその網膜上の反転像を再び考えた。学会で発表した概要で「・・カメラのような反転像ではなく、正立像と解釈すべき事を示している。」と記述した。最終的には、医学の専門家・眼科医の解釈がどのようであるかを論理的に、誰もが納得できる説明がなされることが必要であろう。私には実験も、解剖の確認も出来ない。昨夜考えた、幾つかを指摘して、正立像と判断した根拠を示したい。なお、当ブログ「眼球の光ファイバーと色覚」を参照いただきたい。

人間の眼球の中心軸には光ファイバーが貫通している。眼に入射した光の画像は上の図の眼球内の④のファイバーに入る水晶体のレンズ③との接続部で像が結ばれると解釈する。そもそもカメラのような機能で眼球の機能を解釈する教科書的認識を納得できないとした原因はレンズがカメラのように境界面で空気に接している訳ではない点である。眼球内は硝子体液で満たされていて、水晶体レンズとの境界での光の屈折など起きないと解釈した方が理解しやすい。

眼への光の入射、入射画像の屈折について考えてみよう。図の①の角膜表面が瞼の瞬きにより、液体の薄い膜で潤っている。入射する可視光線の波長は長くて7600オングストローム(千分の0.76ミリメートル)程度らしいから、入射光の屈折は角膜表面の薄い液と角膜の球面曲率で基本的に決まると思う。角膜通過後は虹彩で絞られた瞳から、水晶体レンズに到達するまでに、眼房水と角膜の境界での屈折がその光伝播媒体の分子空間定数(透磁率と誘電率)の差で起きるだろう。①の画像入射について、蛇足話を一つ。人間は空気中でないと物が見えにくい。一昨年100m自由形水泳競技で自己記録(1分26秒81)を出した。しかし、ゴーグルが外れて眼が水中の視界になった。魚と違い殆ど見えなかった経験で、強く実感している。

焦点調節と水晶体。④のファイバー入射面に視野像を結ぶには毛様体小帯の働きに拠るだろう。この働き加減で、水晶体の変化だけでなく、角膜とその間の眼房水にも影響が及ぶだろうと思う。それらの全体的な構造の変化と狭い瞳からの入射光に対する水晶体のレンズ調節効果によって視野像の焦点調節がなされると解釈する。また蛇足と思うが、水晶体の蛋白質がどんな成分か興味がある。実は、烏賊とか鯛とかの魚介類の目玉の構造が面白いと思っていた。魚の煮付けをして、その目玉を乾燥させる。それを剥くと玉葱のように膜の積層構造になっている事が分かる。魚眼の焦点調節がその積層構造からどのように成され得るかも面白そうだ。人間の水晶体も、上の図のようにタンパク質膜が積層上に成っていて、毛様体小帯の伸縮作用が効率的に働くのだろうと勝手に解釈する。

人の視力。ランドルト環の円環の切れ目を見分ける能力で視力を判定する。視力 1.0 の人はそのランドルト環の切れ目の長さが 1.5 mm で、5m の距離から見分けられると言うことらしい。その視野角度θを計算してみると、tanθ=0.0004 から、度で求めれば、 0.00716 度程度になる。また、人の視野は物を凝視するときその一点に視点が注がれ、周りの視界はぼんやりと感じられるだけに成るように思う。自分の視野を考えるとそう思う。周りの危険を察知することが出来るように、ぼんやりの認識で済ますと思える。凝視する視力で、視野像の光は殆ど平行光線として目に達すると解釈したい。だからファイバーの入り口で反転像に成るとは解釈し難いのである。人間の目について、教科書的な網膜上の反転像と言うカメラ機能解釈は受け入れられないのである。

光速度は空間定数(H/m,F/m)で決まる

光の速度は途轍もない大きさである。一秒間に三十万キロメートルの先に進む。3×10の8乗メートル毎秒と言う早さだ。その光の速度が人間の感覚的距離感と余りにも離れ過ぎているため、科学の世界で多くの問題を投げかけてきた。最大の事件はアインシュタインの『特殊相対性理論』が詭弁論であり、アインシュタインの歴史的間違いであると私は解釈する。「マイケルソン・モーレーの地球の速度と光の速度との相対速度差の実験的検出の不成功」をそのまま鵜呑みにして論理の構築をした点にアインシュタインの誤算があった。しかも、その延長で権威に迎合した「一般相対性理論」が現在も物理学の宇宙論で議論されている。

光の速度を決めるのは、何も神様が決める訳でもなく自然の空間がその決定権を握っているのである。即ち、空間には二つの定数があると、科学・技術の世界で認められている。それが「空間の透磁率 μ0 [H(ヘンリー)/m]」と「空間の誘電率 ε0[F(ファラッド)/m]である。さてこのHとFの単位やその次元の意味を誰でもが理解出来るように説明することが求められている。しかし簡単に説明できないのが現状である。Hは電気のコイルの機能の強さを示す単位として使われている。Fは電気回路のコンデンサの機能の大きさの単位でもある。しかしその空間での意味をどのように認識するかは簡単ではない。これは哲学と科学との問題でもあり、大きな命題となろう。そこで、空間の透磁率、誘電率の単位に[m]が、1メートル当たりと言う意味で含まれているので、その方向をどう捉えるかだけでも説明しておきましょう。このような単位の意味を考えることが物理学や科学の本質であると思うが、素粒子論でも宇宙論でも全く意に介さない事が私には不思議でならない。この[m]の意味は電力技術の送電線路定数として基本概念である事に結びつくものと解釈する。だからこの距離[m]の方向性・ベクトルは光の進行方向を意味していると解釈しなければならない。その関係を述べるに数式が入る。そのことを図版を用いて説明する。4枚の図版の内の一枚目である。その(1)で、空間定数と光速度を三次元ベクトルとして捉える考え方を示す。上の図にある空間定数の数値は、真空透磁率μo=4π×10^-7^[H/m]、真空誘電率εo=(36π)^-1^×10^-9^[F/m]である。光速度cはc=((1/9)×10^-16^))^(-1/2)^=3×10^8^[m/s]となる。重要な結論として、光速度が透磁率と誘電率によって決まる事とその次元から時間の単位秒[sec] が(HF)の二分の一乗になると言う二点を認識しなければならない。この空間ベクトルに関する解釈には、単位ベクトルが重要な意味を持っている事を説明しておきたい。光速度の三次元空間上でのベクトルとしての解釈に、私なりの考えを基に工夫した。それが図版の(2)である。この空間ベクトルおよび単位ベクトルの解釈は一般的な数学では余り取り扱わないものであろうと考える。空間ベクトル解析と単位ベクトル に解説を追加した。またベクトルの割り算の算法についても触れてある。ベクトルの逆数をどのようなベクトル方向と解釈すれば良いかには異論があろうとは思う。そこで、その基本的考え方を提示してある。その手法に基づき、「微分演算子」の分母の方向ベクトルをどう捉えるべきか、その分子のベクトル方向との関係も考えた上での結論とした。この解釈に基づいて光速度ベクトルc空間定数の単位ベクトルのベクトル積として認識出来ると解釈した。ファイル(2)の末尾の 力密度 f=rot(S/v)とベクトル算法 は日本物理学会講演概要集第63巻 第2号 第2分冊 p.196 にベクトル割り算の規則として示した。

この光エネルギーの光速度については、電力系統の技術概念との関係で捉えた認識でもある。簡単にその回路定数と瞬時電力の概念を示したい。図版(3)である。

 

%e9%80%81%e9%9b%bb%e7%b3%bb%e7%b5%b1%e3%81%ae%e5%88%86%e5%b8%83%e5%ae%9a%e6%95%b0図に示すように大電力送電線路網は線路こう長が100km以上では分布定数線路として送電線路の特性解析をする。厳密には短距離線路でも同様であるが、単純なL,C,RおよびG(コンダクタンス)の集中回路として取り扱うのが便利である。送電線路は三相で、三本の導線で囲まれた空間を伝送路として制約されて電気エネルギーが伝送される。その伝播速度はほぼ光速度であるが、分布定数値のL[H/m]およびC[F/m]によって決まると解釈できる。エネルギーの損失は抵抗R、漏れコンダクタンスGに拠る。これらの回路定数も伝統的に築き上げられた有効な技術概念である。しかし、それら回路定数の厳密な物理的意味は明確に理解されている訳ではない。同様に図版の線路上に記した三相の電圧 e、電流 i も計測器の電圧計および電流計での測定値と言う意味である。その測定値の三相分で送電線路の全ての電力状態および回路特性の瞬時値を把握できる。それが『瞬時電力理論』である。その意味を電力技術分野の専門家は十分認識しているとは思うが、それ以外では余り知られていないかと思い、ここに提示した。20年以上昔に開発された新技術理論である。瞬時実電力 p[kW]、瞬時虚電力 q[IkVar](I はimaginary の意味を含む)で電力系統の瞬時状態を把握できる。その式を示しておく。これは、系統の電圧や電流の波形、周波数に一切無関係に線路状態を把握できる。三相送電線路の解析に三相正弦波交流理論など全く不必要と言えましょう。それだけの威力の有る理論です。最後に、簡単な電気の基本回路である乾電池と豆電球の場合にも、回路定数がエネルギー伝播速度を決めると断言しなければならない。その図版が(4)である。エネルギーは二本の電線で伝送路が局所化されて、その空間を通して豆電球に送られる。そのエネルギー流は古い概念ではあるが、重要なポインチングベクトルSにより、その伝播速度はやはり分布回路定数によると解釈しなければならない。

エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系」に空間定数と単位系について纏めてある。