(2020/02/03)追記。電子は流れず (2019/06/06)がより分かり易いかも知れない。
(2019/06/04)追記。ITに質問が有る。『電流が電子の逆流と言う解釈』の矛盾に何故気付かないのか?電子がマイナスからプラスへ流れると言うのが・・・・ に真剣な質問が有る。解答者は定説に固執しているだけで、何も疑問を抱かないのかな。そこには科学はない。確かにこの標題『電流は流れず』は極端な表現で誤解を与えやすいことではあるが、科学技術概念としての『電流』は優れた計測量であり、西洋文明の貴重な技術文明の成果である。しかし電子の逆流で説得しようと言う解答者の意識は本当の理科教育の阻害となり、考える教育にはなっていない。今は『電子』とはどのような空間像で捉えるかが問われているのだ。参考に技術概念『電流』とその測定 (2018/09/24) 。
(2019/02/02)追記。今この『電流は流れず』と言う意味について述べておきたい。電気磁気学が物理学の基礎科目と考えるのが現在の大学の教育指針になっているだろう。しかしそれはオームの法則とクーロンの法則-(2020/06/24)追記 このクーロンの法則こそあらゆる科学理論の矛盾の根源である。そこに気付かないのは論理性を忘れた思考だ-。等の電気技術理論の内容でしかなく、自然世界に存在しない『電荷』概念に依存した仮想的技術論なのである。昭和62年春の『静電界は磁界を伴う』から始まって、その年の秋の「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察」電気学会、電磁界理論研究会資料EMT-87-106 ,(1987年10月8日)をまとめるに当って、8月5日ごろ決断したのが『電流概念の棄却』であった。どう考えても、電流と言う概念が自然界の真理とするには余りにも矛盾が多過ぎて、論理性で耐えきれないと重い決断を自分に課した。全く無知な自分が関わる中曽根教育審議会に絡んだ、大学事件の中でのことで、進退極まった精神から選んだ決断-電流棄却―であった。その昭和62年9月1日長岡技術科学大学で特別講演会が開催された。その御講演者が仰った言葉『不立文字』を覚えている。今になれば、『電荷』否定から、電流は流れずと成り、電界や磁界さえ自然現象を解釈するに使えない処に辿り着いてしまったようであり、正しく『不立文字』の世界に居るような感覚である。
(2013/08/14) 『電流は流れず』と言う物理学理論の根幹を否定する自己洞察は26年前に始まった。2005年5月3日に短文にして文集を出した。(2016/06/16)追記 少し忘れていた。2005/03/24に日本物理学会年次大会で、『誤った電流概念』の標題で発表していた。その時、26日には『クーロン力とは何か』でも発表していた。もうその時に、『電荷』概念は論理的に矛盾に耐えられないと確信していた。現代科学論の研究内容には及びもしない話で、せいぜい高等学校の教科書の内容の深い認識でしかない。しかしようやく、電気現象が『光速度』との関係で認識出来るようになった。それが電気抵抗のエネルギー論である。
(2012/03/09) 記事追記。『電流』は科学技術を支えてきた基本概念である。しかしその物理的実像を捉えようとすると、論理的な矛盾に突き当たる。その意味を解説し、理解頂くには余りにも多くの事象との絡みを解きほぐさなければ無理である事も分かる。この『電流』に関係した事を総合的に考えて初めて、『電流』が流れていないと理解できるのである。そこで初めに、関係する記事を拾い出しておく。 電流計は何を計るか 磁界・磁気概念の本質 『電荷』という虚像 電子スピンとは?-その空間像ー 超伝導現象とは何か? ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾。更に付け加えておこう(2013/08/15)。クーロンの法則を斬る 『オームの法則』-物理学解剖論ー。
(2010年12月22日 この記事を以下のように投稿した。)『電流』と言う物理概念の教育上の意味を考えてみた。それは電流が電気回路導体の中など流れていない事実が含む意味についてである。何故実際に流れてもいない電流が本当に流れているが如くに教えられているのかは、とても深い教育上の問題を含んでいる。乾電池の(+)、(-)端子に電線で豆電球を結べば、その(+)端子から豆電球を通って(-)端子に向かって電流が流れると考える。ところが、そんな電流など流れていない事は誰でも考えてみれば当たり前の事と気付く筈である。しかし、簡単にはその事に気付かない。電気回路の基本にオームの法則がある。教室で電気回路の考え方を教える時に、この法則なしには不可能である。電流なしには大学入試の理科の問題も行き詰まってしまう。電流一つが教育上の社会的大問題を抱えている事になる。高等学校も大学も電気磁気学の授業が成り立たない。
この物理学の基本概念、電流が自然科学とその教育の根本に真剣に取り組まなければならない楔を打ち込む事になると考える。もしこの矛盾を放置したままであれば、物理学教育の何を論じても陳腐な議論になる。はっきり言えば、嘘を純真な子供たちに教えて済ましている事になる。それが物理学教育の実態であると言わなければならない。
電流は流れず。その意味を説明しよう。直流回路で、電流計をその(+)端子に流れ込むようにつなげば、指針が振れて如何にも電流が流れているように指示する。だから誰もが電流が流れていないなどとは考えにくい。電流の単位アンペアは定義から毎秒当たりに通過する電荷のクーロン量である。ならば、正電荷が乾電池の(+)端子から電流として流れるのかと問えば、否定される。真空放電管内の現象は(-)端子から電流とは逆向きに何か(電子)が流れることを示す。それでは、電流の逆向きに負電荷が流れると理論構築しようとすれば、それは矛盾に耐えられない。真空放電管内で見られる電磁気的現象をどう解釈するかも、電流は流れずの説明に有効である。放電現象と電荷・電流概念 も電流概念の意味を理解する参考になろう。
上の「電流は流れず」の意味は掲げた図の懐中電灯回路で考えてみましょう。オームの法則を始め科学技術を支えてきた歴史的に重要な、科学概念・法則が現代社会を支えている。「科学技術」と「物理学」は表裏一体のものとして受け止められている。科学技術を支える原理が「基礎物理学」であると。電気回路で、電圧E[V]と電流 I[A]の積で、電力P=E×I[W=(J/s)] の形でエネルギーの時間的消費比率が確実に計算される。その電力に時間 t [s] を掛ければ、消費したエネルギー量が算出され、電気料金の取引が成立する。こんな便利な科学技術は、長い歴史的な先達の努力によって初めて完成したものである。しかし、懐中電灯の回路からどんなことが学べるかを考えてみたい。科学技術と物理学の関わりについて考えざるを得ないのである。特に「物理学」は理論に偏り過ぎる為、複雑な数学的概念上での議論に抽象化され易い。その為この世界を認識する手段に、新しい概念を次々と加えて、古い概念との関わりを曖昧のままに議論を作り上げるようになる。「電流」と言う概念は技術概念としてこの上なく有用な概念である。しかし、それがどのようなものを意味しているかは考えようとしない。曖昧なままにやり過ごしている。それでは「物理学」とは言えない。実際に電気回路の導線の中を「何が」どのように流れているかをきちんと説明できなければ、それは『物理学』ではない。電流 I[A] と言うのは、もし電線の中を何かが流れていると考えるのであれば、その電流の定義から、毎秒当たりに 電荷がI[C(クーロン)]通過すると言う意味で解釈しなければならない。しかし、電子は負の電荷で定義された物理学的素粒子概念であるから、電流の流れる向きに、電子が流れるとは誰も言えない。(2019/06/04)追記。電子が電流と逆向きに流れると解説される。それで本当に分かると思っているのだろうか。それでは何も考えていない解説としか言えない。教育者側の問題がそこに在るのだ。以上追記。では「何が」流れるのかと尋ねざるを得ない。なお電流と言う概念の定義から、もう一つ曖昧な事がある。それは電流が電荷の時間微分と言う数学的「微分」と関係づけられている点である。例えば、懐中電灯回路の電流は、電池の電圧が一定であるから、流れる電流は一定値である。電流が電荷の時間微分なら、その数学的意味を電荷に適用すれば、時間的に電荷が一定の割合で増加する事と看做さなければならない。そんな電荷の分布状況を頭に描く事が出来るだろうか。導線内の何処の電荷が一定に増加すると理解すれば良いだろうか。もし電流が一定値と言う意味を導線内の何処でも一定の電荷が分布して、それが流れ続ける状況と解釈すると言うのだろうか。もしそうだとすれば、導線内の何処でも電荷の時間微分は「ゼロ」と言う、「流れるのに流れない」と言う数学的矛盾に陥る。「電流」と言う概念一つを取り上げても、その物理的意味を掘り下げようとすれば、「怪しい物理学」の臭いに包み込まれてしまうのである。
電流概念は論理的に厳密性を保証されているとはとても言えない。それは電荷概念、電子概念が極めて曖昧で、全く論理的な追求に耐えられない代物であるからである。
さて、実在と言う世界に照らしてみれば、懐中電灯回路で疑いなく存在するものは『エネルギー』である。電荷や電圧があろうが無かろうが、電池のエネルギーが確実に電球を介して放射される。そのフィラメントの近傍空間内でのエネルギー貯蔵が高温部を作り、その熱エネルギーが「光エネルギー」として空間に放射されるのである。そのエネルギーそのものの実在性を物理学は認識せずに、回りくどい様々な概念の組み合わせで辻褄を合わせているのである。しかし、そのエネルギーを実測しようとしても光の速度で流れるエネルギーを測定器で検出することは不可能である。光の計測単位ルーメン [lm] がエネルギー(ジュール[J])換算できない事にも表れている。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系 御参照ください。だから、太陽光線の入射エネルギー率P[W=(J/s)] の単位面積当たりの値を測定できないのと同じ事である。
追記(2013/6/22) 最近電気に関する記事を書いた。電流と電圧の正体 力学から見た電流矛盾 回路とエネルギー流ー電流解剖論ー 生活電気と『光速度』 等に電流概念の矛盾論を主に記した。