軍歴表が暴露するー日本の日本人に対する戦争犯罪ー

戦争とは?

戦争の犯罪性や本心を隠蔽する事を、戦争終結段階の最高秘密に葬り去ることである。責任所在の隠ぺいである。ここに、日本政府(海軍、内務省ー警察、村役場ー、外務省、法務省など)の公的履歴表である父(金澤 好明)の『軍歴表』の一端を公開する。

軍歴表は片側8面折り畳み式になっている。

上に4枚の図面を公開する。左側から(1)、(2)、(3)および(4)と番号を付ける。簡単に各図面に説明を付ける。

左側の(1)折り畳み軍歴表の表紙に当たり、表面は父の本籍等の身分事項。 1番右側の(4)(1~4ページ)が兵役年期や艦團部隊内配置。

右から2番目(3)(5~8ページ)が履歴の記載欄である。ここに、戸籍転籍・移動の戦時における異常の事実が記されている。戦後処理の未処理問題として現在に引き継がれた、日本政府犯罪の原点として解釈する。昭和14年12月1日 舞鶴鎮守府所管へ轉籍 南雲印 貝野村役場。父はこの年の10月、日本発送電株式会社(戦後東京電力株など9電力に分割)に入社。昭和16年9月2日充員召集ヲ令セラレ 舞鶴鎮守府。この発令者は?。戸籍を所有した海軍で、召集と言う命令をどう解釈すればよいのか。次の戸籍に関する記載事項。 7ページの 打和印 昭和16年12月19日 戸籍移動届・・・香取丸。ハワイ真珠湾攻撃によって口火が切られた日米太平洋戦争。それが昭和16年12月8日であった。その年に家族の戸籍移動と言う異常な行政。なお8ページの黒墨消しは戦後の緊急処置として多く取られた手法の痕跡である。アリューシャン列島の激戦地である玉砕のアッツ島の救援援護作戦としてキスカ島での状況記載部分である。

次の右から3番目(2)(9~11ページ)の最後の11ページに 近藤印 昭和20年9月1日 任海軍上等兵曹 舞鶴鎮守府。8月15日敗戦後の、すでにマッカーサー元帥が厚木基地に来た後である。翌日9月2日は横須賀沖に停泊したアメリカ軍軍艦ミズーリ号甲板で、無条件降伏の調印式である。誰が日本代表団をそこまでの送迎の任にあたったか。外務省に問い合わせた電話で、アメリカのラウスダン艦が運んだと説明を受けた?ゴムボートで、丁度210日の台風の荒波の中を送迎したのである。舞鶴の溝尻海軍住宅に敗戦後まで家族で住んでいたが、故郷に帰った時には海軍の戸籍のまま、過ぎた。昭和24年吉田第3次内閣の4月、戦後の処理行政として、父(実際は昭和36年9月6日死亡)を闇に死亡扱いで葬り去ったか?戸籍は村役場で、糊付けによる偽装工作の戦後処理をした。

玉音放送と言う手段を取らなければ、戦争が終結したとは誰も認められなかった。日本人に戦後の未来への希望が欲しい。

 

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