月別アーカイブ: 2010年8月

軍歴表が暴露するー日本の日本人に対する戦争犯罪ー

戦争とは?

戦争の犯罪性や本心を隠蔽する事を、戦争終結段階の最高秘密に葬り去ることである。責任所在の隠ぺいである。ここに、日本政府(海軍、内務省ー警察、村役場ー、外務省、法務省など)の公的履歴表である父(金澤 好明)の『軍歴表』の一端を公開する。

軍歴表は片側8面折り畳み式になっている。

上に4枚の図面を公開する。左側から(1)、(2)、(3)および(4)と番号を付ける。簡単に各図面に説明を付ける。

左側の(1)折り畳み軍歴表の表紙に当たり、表面は父の本籍等の身分事項。 1番右側の(4)(1~4ページ)が兵役年期や艦團部隊内配置。

右から2番目(3)(5~8ページ)が履歴の記載欄である。ここに、戸籍転籍・移動の戦時における異常の事実が記されている。戦後処理の未処理問題として現在に引き継がれた、日本政府犯罪の原点として解釈する。昭和14年12月1日 舞鶴鎮守府所管へ轉籍 南雲印 貝野村役場。父はこの年の10月、日本発送電株式会社(戦後東京電力株など9電力に分割)に入社。昭和16年9月2日充員召集ヲ令セラレ 舞鶴鎮守府。この発令者は?。戸籍を所有した海軍で、召集と言う命令をどう解釈すればよいのか。次の戸籍に関する記載事項。 7ページの 打和印 昭和16年12月19日 戸籍移動届・・・香取丸。ハワイ真珠湾攻撃によって口火が切られた日米太平洋戦争。それが昭和16年12月8日であった。その年に家族の戸籍移動と言う異常な行政。なお8ページの黒墨消しは戦後の緊急処置として多く取られた手法の痕跡である。アリューシャン列島の激戦地である玉砕のアッツ島の救援援護作戦としてキスカ島での状況記載部分である。

次の右から3番目(2)(9~11ページ)の最後の11ページに 近藤印 昭和20年9月1日 任海軍上等兵曹 舞鶴鎮守府。8月15日敗戦後の、すでにマッカーサー元帥が厚木基地に来た後である。翌日9月2日は横須賀沖に停泊したアメリカ軍軍艦ミズーリ号甲板で、無条件降伏の調印式である。誰が日本代表団をそこまでの送迎の任にあたったか。外務省に問い合わせた電話で、アメリカのラウスダン艦が運んだと説明を受けた?ゴムボートで、丁度210日の台風の荒波の中を送迎したのである。舞鶴の溝尻海軍住宅に敗戦後まで家族で住んでいたが、故郷に帰った時には海軍の戸籍のまま、過ぎた。昭和24年吉田第3次内閣の4月、戦後の処理行政として、父(実際は昭和36年9月6日死亡)を闇に死亡扱いで葬り去ったか?戸籍は村役場で、糊付けによる偽装工作の戦後処理をした。

玉音放送と言う手段を取らなければ、戦争が終結したとは誰も認められなかった。日本人に戦後の未来への希望が欲しい。

 

酷暑に悟りの生きざま

御帰館に仰天・・その後の雨蛙の状況も報告することが大切と思う。年収何億円と言う富を求める世界の中で、雨蛙の生態が何の価値があるかと嘲笑われるのが落ちかとも思う。しかし、是しかないと、一人でも気にかけている人がいれば、応えなければなるまい。 相も変わらない姿であるが、あれからずっと毎日同じ規則の生活を続けている。こんなに勝手に肖像権を犯してよいものかとも思うが、雨蛙にはご勘弁下さいとお願いしている。特別に酷暑の続く中、その様子には、日によって食欲が無いのかと思われることもあった。しかし、その生きざまには、生命の営みを、悟りの姿を示しているように思われて、頭が下がる。自分の一文にもならない、社会的に認められないこんなことを続けている愚かさを思う卑屈さと、雨蛙の何にも考えずに、ただ生きる生きざまは、これぞ悟りの「禪の心」と言わずに、どこに東洋哲学の求めてきた世界が存在しようか。ただただ雨蛙に敬服せざるを得ないのである。互いに日々の営みを、ただただ繰り返すことしかないのだね。「是しかないと 登る坂道・・」切なくても雨蛙は我が惚れた生命。

おにやんま (詩心 109号)

じっと見つめる 道の奥 大木の木立に沿った 薄暗がりを 静寂そのまま道筋に 微動だになく運び来る 空気の中に溶ける極意の その極みたる 無駄を知らない悟りの姿 その風格を風に乗せ 自然の天命 我に諭して   辛巳(カノトミ 2001年)9月25日

 「おにやんま」 この呼び名のなんとその風格を留めていることか。如何にもふさわしい呼び名である。「ヤンマ」と言う呼び名も、どこでどのように付けられたかも知らない。「とんぼ」も漢字「蜻蛉」の音・訓にはなく、いつからか、大和言葉か方言かも知らない。同じように「秋アカネ」のアカネも誠に響きのよい音韻を乗せた言葉である。「鬼やんま」をはじめ、昔の日本人はその使う言葉に何故それほどの、心を打つ自然描写に優れた感覚を込めた表現ができたのだろうか。明治の文明開化における、外来語の翻訳の語感と言葉使いの巧みさは、今はもうない。最近の政府用語はお粗末に見える。「おにやんま」の呼び名に我が風気が止まってしまった。右の挿入画は、田舎の情景を思い出してペン画に認めたものである。石垣の草の葉に、ひっそりと目立たぬように止まっている様子を描いた。雌の胴体は雄に比べて、太くてがっしりした感じである。上の詩文は、夏の昼下がりの気だるさに、じっとおにやんまを待ち受けていた「とんぼ釣り」の思い出である。

 とんぼ釣り   子供の頃の話である。今となれば、何と残酷なことをことをしたものかと、御免なさいと謝りたい。夏ののんびりした一日が始まり、さて何をして過ごそうかと庭先で、ぼんやり周りの空気に自分の気を紛らわせていると、石垣の中に茂るススキの葉先に止まっている。おにやんまである。「雄」か「雌」かそっと近付いてみる。あっ!雌だ。尻尾の先に長い剣がある。「雌」で「雄」を釣る「とんぼ釣り」が始まる。摺り足で近付き、射程距離からそっと指を伸ばす。太い尻尾を親指と人差し指で挟む。当然、おにやんまの太く鋭い嘴が指に噛みつく。痛さを我慢して、左手で羽を抑える。そっと羽を痛めないように、家から縫い糸を持ち出し、足でとんぼ羽を挟み、とんぼの足を糸で縛るのである。これには熟練の技が必要である。太い後ろ足の二本だけを、その根元で縛る。刺が邪魔するから難しい。準備が整って、とんぼ釣りの始まり。糸を付けたとんぼを持って、おにやんまの雄を待つのである。おにやんまの通り道は、薄暗がりの木立の道筋である。じっと目を凝らして、空中を凝視する。おにやんまは、決して動きを見せずに道に沿って、地上4,50センチの高さを羽ばたきもせずに近付いてくる。大きな薄い羽根は微動もせずに飛翔してくる。まるで空気の中に溶け込んだまま、微かに大きな目玉が近付いてくるのである。じっと待ち、近くに来た時、仕掛けのとんぼを放すのである。眼にもとまらぬ素早さで、瞬間に雌のおにやんまに飛び付くのである。その二匹が絡み合って、地上に落ちたところを、箒か何かで抑えて捕える。ほとんど百発百中で成功する。捕獲したおにやんまをどうするという訳でもないから、適当に捨てることになる。微動一つなくただ水平に流れ来る「おにやんま」、そこに起こる一瞬の素早いアタック飛翔には、さすが「おにやんま」の風格躍如の変幻自在の妙がある。今でも不思議でならない。何故羽根の動きがなしに、水平飛翔ができるのか。「おにやんま」の魅力はその「静」と「動」の一瞬の綾にあろう。しかもあの大きさと、くっきりした黄色の縞目模様には、その筋目を立てる強い存在感が際立っている。静かなるが故にこそ生み出される動エネルギーの姿であろう。

 産卵に思う   あの尾の先の剣が産卵管であろう。村の中を澤から流れ出る生活用水の小川がある。その川は秋になれば、里芋や大量の野沢菜を洗う用水となる。その小川の流れにおにやんまが産卵するのである。卵は剣を水に浸けるごとに一つ一つ産み落とすようである。一か所に低空飛翔で産卵する。赤トンボとは違い、その川の流れは割に急流である。その場所に産卵された卵が留まって居られるのか大変気掛かりである。もし卵が流れてゆくなら、信濃川まで流されて、そこで成長するのではないかと考えたい。あの途轍もない威厳を身に付けたとんぼであれば、成長するにそれ相応の困難を乗り越える試練が課せられているのではないかと、贔屓目に思いを注ぎたい。鮭の成長過程や、獅子落としの話に関係付けてみたくなる。子供の頃の思い出を、言葉にしてみたのである。

放電現象と電荷・電流概念

(2012/03/13) ここに記した内容が『電流は流れず』の記事の説明に良く纏められていると、読み返して思う。後程、図を拡大し直す。

 物理学基礎概念に『電荷』がある。電磁界現象に関する論述には、その基礎論の論拠になるのが電荷である。電荷概念なしに理論の構築は不可能である。しかし、電子の負電荷が実在するかと問えば、その実在性を証明する事は不可能である。 図1.は高真空の放電管である。放電管のプラス、マイナス端子に高電圧を掛けると、1の陰極から電子が放出され、2の十字形の+電極の近傍を通過した電子が放電管の蛍光面3に十字形の跡を浮き上がらせる。この実験を通して、何かが1から3に放射されている事は確認できる。それを「陰極線」と言うことから、現在は「電子」と言うようになった。しかし電子と呼ぶのは結構であるが、電子が「負電荷」と言うものを持っているという解釈、概念は、何故かという問いに答えられない。その説得する論理性は持ち得ていない。陰極からエネルギーが放射されて、蛍光面にそのエネルギーの衝突で光に変換されたと解釈するなら、矛盾は無い。しかし、負の電荷をその電子の具象概念と解釈するとすれば、何故2の十字電極に吸収されずに、まっすぐ3の蛍光面に十字の影を作るか。また、電荷概念の力に関する基本法則はクーロンの法則である。近づけば逆二乗に反比例した強力な反発力で反発分散せざるを得なくなる筈である。しかし、この放電管の放電体の電子には、負電荷同士の反発力など何処にも確認するだけの根拠が見えない。自由に電子ビームは収束・分散の制御ができると言うことは、電子同士に電荷概念に基づく反発力など存在しないと見ざるを得ない。ブラウン管式テレビでも、電子顕微鏡でも、誠に巧妙に電子ビーム制御が行われる。

 図2.のガイスラー放電管の内部放電現象も中々複雑な模様を作り出している。この縞模様も単に電子が通過する事によって、出来る模様だと説明するだけの根拠がある訳ではないと考える。

 図3.のハミルトンの風車について考えてみよう。私が新潟県立新津工業高等学校での最初の学校公開祭で、高電圧の実習装置の公開実験に選んで行ったのがハミルトンの風車であった。卍形の電気銅線で直径40センチ程の大きなものに、電圧3万ボルトを掛けた。負電極においては、相当の回転速度で回転する。正の電圧に比べて、負極性で力強い高速回転をする。これは、確かに「イオンエンジン」としての宇宙空間での強力な推進力となるものという感触、手応えを感じる。

 最後に三極真空管を取り上げてみよう。今は昔の技術になってしまった。5球スーパーヘテロダインラジオなどと言うもので、世界の情報を手にしていた。もう博物館級の技術になった。この真空管の中も、電子と言う陰極線がカソードKからプレートPに流れる放電管と言える。電子の空間電荷の分布密度、いわゆる空間電荷効果と言う概念を利用した、エネルギー制御管である。この真空管の内部を通過するものも、熱陰極から放射される電子と言う解釈で理論が構築されていた。勿論、電子の逆向きに流れる電流などと言うものは流れていない。管内を流れ得ない物が真空管の外部導線の中を流れる電流などと言うものが実在する訳が無い。

 ここに取上げた放電現象の原因たる主体の物理学的正体は何か。と言う命題が持ち上がる。どれも電子がその正体であると解釈されてきた。負の電荷を身に纏った素粒子であると。ところが、導線を流れる電流と言う概念、あるいは電流の正体は、どのような特徴で認識されるかと問われれば、導線の周りに存在する磁気の強さで、その導線内に電流が流れていると解釈するのである。それでは、磁気があるということは磁石を近づければ確かめることはできるが、磁気の存在を確かめたからと言って、何も電流が流れている事を証明したことにはならない。何故かと言えば、電子には、負の電荷を纏っているとは定義されているが、磁気を纏っているとは全く考えられてはいないのである。だから電子が流れても、決して磁気が遠隔作用によって、導線の近傍に生じる等という理屈は成り立たないのである。逆に昔、磁気現象の存在の確認で、電線内に電流と言うものが流れているからだと決め付けてしまった事が誤解の原因となってしまっただけなのである。電子にはスピンという特性が備わっているとは言われているが、スピンが導線外部の磁気発生の原因になると説明できる論理性は無い。磁気も空間のエネルギーであり、電流が存在するからエネルギーになるなどと言う解釈は、余りにも幼稚で、論理性を無視した理屈と言わなければならない。

 結論は、全て『エネルギー』そのものが空間に存在するのである。導線の周りにも、エネルギーが流れているのである。放電現象の全てが、電荷などと言うものによって生じるものではなく、エネルギーそのものの流れである。しかも導線の中などには、エネルギーもほとんど入り込めないのである。内部に侵入したエネルギーは熱エネルギーに変換して、損失となるものが多くなる。電源の負側から負荷を通って、電源の正の側に流れると見なければならない(2016/06/30追記)この電源の正側に流れ込むは訂正しなければならず、放電管もそこでエネルギーが消費されると解釈すべきである。量子力学として、現代物理学の基礎をなす場合の、半導体素子の内部制御理論も、原子構造内部の格子構造内を通過するエネルギー流と解釈すべきものである。全ての統一的現象論はエネルギー一つで捉えるべきものである。