月別アーカイブ: 2010年7月

御帰館に仰天して

 君には驚かされた。昨日の朝である。ひょいと見上げたら、帰って来ているじゃないか。いつもと何も変わらないが如くに、自分の住み家にちょこんとしている。

満月の前日に消えてから、1週間目だね。もう子供を産んで、君ももうこの世からおさらばしたと、勝手に解釈して、自己解釈に妙なさみしさを織り交ぜて自己満足していた事になる。やっぱり君は捉えようのない不思議な生き物だね。まだお腹がそんなに小さくなっていないようだけれども、子供を無事出産したのかね。尋ねても答えてくれないね。大分君とは親密になったようにも思うのだけれども、君はまだそこまで秘密を見せてくれないんだよね。

 一つだけ、君の特技を解き明かしておきたい。それは、君の変身・身隠れの術。その背景環境に溶け込む『透明変身術』である。デジタルカメラの自動焦点機能さえも誤魔化してしまうのだ。茶色の背景では茶色に、アルミサッシでは灰色にと、その変身術は人間の誇る技術さえ嘲笑うのだね。焦点の合う写真が撮り難いのだよ。

雨蛙旅立ちの朝

 昨日まで毎日同じ生活パターンを繰り返していた。今朝はとうとう居なくなってしまった。

明日が満月であるから、ひょっとしたら明日か明後日の朝に居なくなるかと気にしていた。

しかし、今朝見たら住み家には糞だけが残されていた。出産は朝の五時前だろうから、とうとう観察することができなかった。

傍には時々見え隠れしていた小さな雨蛙がさみしそうにして残っていた。まさか雄雨蛙、父親の筈は無いとは思うが、何とも言えない。雄蛙はもう少し細くて大きいとは思うが。その蛙も写真として公開して、雨蛙の生活の報告は終わりといたします。

雨蛙のその後

   その後の親雨蛙について報告。暑い猛暑になった。しかし、雨蛙は毎日同じ生活パターンを繰り返している。先日、時代の流れに逆らえず、文明の利器とやらの「デジタルカメラ」を購入した。今日はそのカメラで撮った親雨蛙の写真を投稿します。拡大写真が撮れて、あまりに違う事に戸惑いつつも、改めて驚きを感じる。蛙の前後には毎日の一粒づつの糞がそのままの残っている。

親雨蛙の観察

 7月17日記。15日、雨が降る中、住処に一日中動かないで、雨に濡れながら居た。その日は食事もしないで、そのまま過ごすのかと思った。ところが、夜の八時過ぎにやおら動き始めた。携帯でフラッシュ撮影したら、ちょっと驚いたようであったが、そのまま慌てもしなかった。16日、朝。6時頃様子を見たら、住み家に居ない。何処に行ったかと、心配して外の壁面を見た。そこに居た。急に変な顔が傍に突き出されたので、流石の雨蛙も驚いたのだろう。雨が降っていたので、滑るアルミサッシの垂直面を、身重の体を急いで上に登ろうと、帰宅の途中であった。その日も自宅に居続けた。一日少しも動かない。夕方にはもう起床して、食事の夜行活動に出かけてしまった。今日は暑い一日になる。しかし、住み家の居所は北側だから、強い日照りにあわないで済む。

 とても気がかりである。もう臨月の雨蛙は何時出産するか分らない。突然居なくなれば、その時は出産したものと考えなければならない。出産すれば、親は子供に命を授けて、自分の生命を絶つのではないかと、その生命の宿命を考える。とても気掛かりである。北側で、その外壁の外は人が立ち入れない場所で、出産には立ち会えないだろうとは覚悟はしているが、無事を祈る。

外泊帰りの親雨蛙

 雨蛙 その不思議 で投稿した日(7月12日)は普段通りに過ぎた。写真を撮ったりしたので、警戒心を持たせただろうから、翌日も様子を遠くから見ていた。 この親雨蛙は写真のアルミサッシ上が住処である。13日の夕方起床して、夜行性の活 動に入った。夕方6時にはもう出かけた後であった。しかし、夜の8時には雨が降っていたので、一旦出かけたが直ぐに戻った。雨の当たらない通路の奥に戻っていた。その後何処に行ったか分らなくなった。普通の場合は、朝は住処に戻るのであるが、14日の朝は外泊したまま戻らなかった。13日の夜から14日の夕方まで、日中は動かないのが雨蛙の行動パターンであるから当然のことである。昨日は少し心配であったが、立派な親雨蛙であるから、無事戻ると確信していた。さっそく今朝、起きて新聞取りに行って、雨蛙が居るかどうかと心配しながら、こっそり眺めた。ちゃんと自宅に戻っていた。7月15日一安心である。雨や水が嫌いな雨蛙の性質を、改めて確認できた。その事と自分と親雨蛙の間に少しでも信頼関係が深まれば、写真撮影にも気を許して、思うように撮れるかなとの認識を伝えておきたくて報告した次第であります。

少し気になる事は、このブログは誰が見るのだろうか。一般に公開されているのなら、アクセスする方法が誰にも分るのだろか。自分だけでは全く意味がない。他の人のブログはどうすれば一覧できるのか、全く不明である。

雨蛙、その不思議

昨日久しぶりに親雨蛙にあう。そのお腹はぷっくりと膨らんでいる。明らかに出産間近の親蛙でる。 1994年7月22日の朝の驚嘆の一期一会を思い出した。この季節が丁度、雨蛙の出産時期なのだと改めて思い知った。ほとんど人には見せない雨蛙の出産の生態。久しぶりに出会えた親雨蛙。その出産の場に居合わせることはほとんど無理だろうとは思うが、もし観察の機会に恵まれたら、それは世界に発信する我が不思議の記録になる。今日は、その出産風景ではないが、その生態の一部をご報告させて頂きたい。携帯電話での写真(削除-再掲7月12日)の一部である。マンションの通路のコンクリート塀の近辺がその雨蛙の住処になっている。雨蛙の一日は、朝住処に戻ってくる。昼は一日中一つ箇所にじっとして動かない。夕方になると、やおら活動を始める。そこに一つの糞をのこして、夜行性の活動に入る。雨蛙の基本的生態として、雨蛙の「雨」は決して、水を好むように考える解釈は間違いである。英語では”tree frog”と言い、基本的には水に馴染む生活はしていないで、木などの高い所で生活している点に特徴がある。右の写真は携帯で写真を撮ろうとしたら、初めて会ったので、驚いて上に逃げてゆく途中の写真である。右下の写真(削除-再掲7月12日(2))は、今日上のアルミアングルの住処 としている場所に残していた、毎日の糞の状況を写したものである。「雨蛙の誕生と生態」

左の写真は1994年7月22日の撮影写真である。このお腹に抱えているカラフルな虫状の生き物が、その日の朝に出産した子供である。蛙が水の中に卵塊を産み、オスの精子で受精すると言う常識で捉えている。しかし、全く近くには水辺は無く、そこで毎年おびただしい雨蛙の子供が誕生する事実が、蛙はオタマジャクシから成長すると言う解釈の間違いを突き付けているのである。左の写真の腹の虫が土の中に入り、何年かで成長して、更に子供を産むと解釈せざるを得ない。何年地中で、子供が成長するかは全く不明である。しかし、春の五、六月ごろ地中には、真っ白いオタマジャクシから生まれたような尻尾のある虫が無数に一塊りになって蠢いているのである。左はその写真の拡大した一枚である。今回出遭った雨蛙も、おそらく近いうちに出産すると考える。多分土の上で朝方、出産するから、その機会に参加できれば好運である。雨蛙は何度も近付く機会が増えると、親しみが出て、警戒しなくなり、傍によって写真を撮っても、じっとして居てくれる。そのいじらしさが堪らない親しみと、愛おしさを感じさせるのである。上の雨蛙の親子写真が私と自然の神秘との繋がりを思い知らせてくれた原点である。『自然は生命』と実感する。

(2013/08/26)追記。関連記事に日本雨蛙がある。