舞鶴草

(2021/06/13) 。この日の誕生日の花が舞鶴草だ。

『給料の支払いが無い』という意味を考えた。目から鱗・をぶり返すようで心苦しい。昭和46(1971)年4月末に、A型急性肝炎で3か月間入院した。その3か月間も手渡し給料方式だから、給料は配達もされなく、受け取っていない。昭和44年10月から翌45年3月までの住所は何処で、職業身分は?と合わせて❓給料の受取が無い。長岡市行政当局として、住民税はどのような取扱いになっていたのか?新潟県民税はどのようになっていたのか?財務省(大蔵省)の所得税はどのようになったいたのか。日本政府への疑問だらけは??ーみんな舞鶴鎮守府への戸籍転籍(家族3人)昭和14年12月1日 (1939/12/01):新潟県中魚沼郡貝野村、南雲村長。および昭和16(1941)年12月19日:香取丸(巡洋艦)へ戸籍(家族4人)移動、舞鶴鎮守府発令。昭和19年2月7日:香取丸被弾沈没。昭和19年3月31日:香取丸船籍除籍。新潟県中魚沼郡貝野村への帰還記録なしーが原因か?

時と歩んだ世界 の末尾記事:貝野村事件の元か?

時と歩んだ世界

(2021/06/02)。10年以上ブログを投稿させて頂いている。感謝です。2010年2月に初めてpcと言うものに触れた。ワープロ代わりに購入した。しかし、ITに接続して新しい世界を知った。相手が見えない世界に、思いを表明してどの様な事が起きるか、その未知の世界に期待もあった。

ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/0130) が初めの頃の一つの記事だ。この記事にだけ突然千件を超えるアクセスが起きた。

その中に、『インバータと磁束φ ④』が記事中にある。トランジスタでの電力制御を初めて知った驚きの技術として忘れることの出来ない記念のものである。電気理論と電気技術との乖離を認識するに欠かせない回路として挙げる。変圧器に直流電圧を印加すると言う考えられない驚きの回路だ。1969年秋の内地研修で経験した驚嘆の回路であった。この事は、目から鱗‥ (2021/06/05) の記事に述べた。

ここに「アンペアの法則」の矛盾が示されている。変圧器の磁束が励磁電流によって生じる訳ではない。電流概念を問う基点となった。

電流が導体内を流れる。しかし、その「プラスの電荷が流れる」と言う論理は無理であると分かったのだろう。だから負の電荷の『電子』が逆向きに導体内を流れると専門的解説が成される。その解説も、その論理的な責任ある理屈が示されているとは言えない。そこには専門家としての良心が見えない。筆者はただ電気回路の中に起きる自然現象としての『エネルギー』の振る舞いを感覚的な捉え方で、そこに寄り添いながら考察を進めてきた。それは余り学術的形式の論文としての表現には程遠いものでしかないだろう。その訳を考えると、学術的標準用語を使う程専門的な習熟もなく、理解が無いことが基にあるからだろう。だから勝手に自由に解釈する習慣が、余りにも学術理論の常識から離れてしまった感覚のままになってしまったのかも知れない。殆どの基礎的科学概念、物理学的概念を否定する処に立ってしまった。空間に実在する『エネルギー』の実相を、その象徴的具体例に『光』の空間像を描いて捉えている事に在ると思う。

光の相対速度と空間 (2020/06/08) 。プランク定数の概念 (2018/07/17) 。今はその光の意味を電気磁気現象を理解する基礎として認識して欲しい思いにある。それが時の成果と言えるかもしれない。

『静電界は磁界を伴う』。科学理論の世界が異なって見えた原点がこの発表に在る。とんでもない自然の認識に挑戦する賭けに挑まざるを得ない仕儀になった。幼稚な社会性の乏しい筆者には無理な科学論の道であった。何か最初から社会的な存在としての、憲法、行政法上の仕組みの中に組み込まれていなかったような思いに在る。集団体制にとっては邪魔者で、はみ出し者のようだった。古い事件のうろ覚えがある。貝野村役場が火事になった。貝野中学校が火事で焼失した。意味が分からない?信濃川で隔てられた小さな集落の貝野村が、更に二つに分かれた分村事件。我が家の土地がいつの間にか新潟県道に化けて、今でも踏み躙られている。

エネルギー考にまとめた。『エネルギー』一つに科学論の基礎概念を頼りに何とか辿り着いた。理科教育の未来の一つの方向性を示した。陰で応援が有ったから曲がりにもできた。感謝。

未完成交響詩

この青空の下

雨蛙が鳴き 雀が餌をねだる 緑の冴えて 真赤な躑躅

自然と語らうような 不思議に満ちていれば 言うことも無い

どうか、北極と南極の永久凍土と氷山だけは地球の宝物にして置いてくれ。永久に地球が、人が、豊かな命の姿であって欲しい。

北極航路など決して通らないで欲しい。海に熱など捨てないで欲しい。

何故太陽系がみんな同じ向きの渦流なのか、その訳など誰も知らないままでよいから。

 

フェーン現象の事例報告を解釈

(2021/06/08)。今朝の新潟日報新聞記事を読ませて頂いた。

フェーン現象についての観測事例の報告だ。従来の解釈と異なる事例が多くあるとの報告である。フェーン現象の解剖 (2018/06/17)で述べた。そこで指摘したかったことは、どうも物理学理論で『エネルギー』の意味を認識していない事を指摘したかったのだ。「気体分子運動論」が温度の現象の解釈を支配しているようだ。丁度「フェーン現象」の報告をその時も見て、『水蒸気』の熱エネルギーについて解釈するに好適例と思って記事にした。

フェーン現象のメカニズム

今回の研究報告。その報告もとても有意義である。確かに従来の解釈では山での降雨が無い事例という点で異なるように思える。しかし基本的には気象現象としては同じものと解釈する。

『熱エネルギー』の物理学的解釈が教育で成されてはいるが、どうもその視点が間違っているように思う。空間に『エネルギー』が在ると言う認識がないところにその大きな原因がある。気象についても筆者は全くの素人と言える、しかし『エネルギー』については少し独自な解釈をしている。気体分子運動論を否定する解釈の立場に居る。「雷」も熱エネルギーの熱爆発現象である。この「雷現象」と「フェーン現象」が気象現象と言う空気中の物理現象としてみれば基本的には同じ意味を持っていると観る。共に気中の熱エネルギーの現象なのである。「雷」と「フェーン現象」の違いは水蒸気の保有する熱エネルギーが冷気で、空気気体の体積の収縮により水となり雨となる。その雨が降る事で、気中に『熱エネルギー』が残る。その気中の『熱エネルギー』が風などで吹き飛ばされず、即ち空気の流れが弱ければ、その空間に留まり、『熱エネルギー』の飽和状態となり、『熱爆発』に至る。それが『雷』の現象である。

今回の報告の「フェーン現象」が雨降りを伴なう、山越えの現象と異なるという意味での報告と解釈する。しかし水蒸気が海の上空で雨となり既にその空間に残った『熱エネルギー』が空気の強い流れに乗って吹き降ろせば、やはり同じ「フェーン現象」と見做して良かろう。低気圧と高気圧は、単純ではないだろうが、幾つかがほぼ対になって地表上に存在する筈だ。その気流の流れによる空間の『熱エネルギー』の移動現象として、「雷」と異なるやはり熱エネルギー現象である。

低気圧と高気圧とはどの様な物理現象か。そこには必ず水蒸気が関係している筈だ。海水面からの蒸発水蒸気である。低気圧は特に海水面温度が高く、上空に低温度の空気流が流れて来た時に起きやすい筈だ。台風や暴風雨などは上空の冷気流の到来と海水面の高温度との関係で起きやすい筈だ。その訳は何か?それは『物理学理論』の解説すべき専門分野である筈だ。決して気体分子運動論では説明が付かないだろう。水蒸気の特性がその訳を握っている。水蒸気は気体であり乍ら、アボガドロ定数の解釈論には支配されない、特別の気体状態と解釈する。水分子は熱エネルギーを保有すると幾らでも体積が膨張する。そこが全く気体分子運動論や、通常の気体とは異なる特質を持っていると捉えるべきだ。それが『蒸気機関』のタービンやピストンの動力源としての威力を発揮する源である。『電荷』否定の『エネルギー』での統一科学論の一つの例となろう。炊事で、湯沸かしの水の蒸発を見ながら思う日常生活科学論かも知れない。

山と遺跡

(2021/06/06)。山は何故そこに在るか?石の囁き 聞こえますかで世界が石の不思議から観る以外考えられなくなってしまった。エベレストもキリマンジャロも宇宙から地球を眺めれば、その山もそれ程高い訳ではなかろう。巨樹の化石と解釈したい。巨樹の深い根がマグマと繋がれば、火山の噴火も起きよう。

アテナイのアクロポリス(古代ギリシャ)の写真を見た。

巨大な岩石の山の上に築かれている。

ペトラ遺跡(ヨルダン)。

エローラ遺跡(インド)。

みんな山の岩石の建築である。道端に転がる石一つも、それは初めから石ではなかった。地下の原油も初めから原油ではなかった。地球を育てたのは太陽である。その光の『エネルギー』である。少し電気回路現象から脇目をした。

 

目から鱗(1969年ひと冬の経験)

(2021/06/04)。50年以上も前の事。今分かって思えば、長くボーっと過ごしてきたとお恥かしい限りだ。分かって書けば、躊躇もするが、それも人生と記して置きたい。昭和44年の2月、間借りの家に帰り着くと、月刊誌の「電気計算」が配達されていた。ペラペラとページをめくる。そこに「パワーエレクトロニクス」と言う電力制御の特集記事が載っていた。見た途端に、これが求める研修内容だと即断。30歳過ぎで、内地研修に行ける制度があると聞いていた。春4月に、ある先生にお願いして、東工大との繋がりをお世話して頂き、研修の準備をした。しかしそれっきりで、10月まで何の手続きもしていなかった。勿論新潟県教育委員会に研修願いもせず、学校長にも許可も得なかった。本当に申し訳の無いことと、当時の御迷惑を掛けた皆さんに謝らなければならない。そのまま10月から半年間、東京工業大学の電気工学科の宮入・片岡研究室で研修をさせて頂いた。住処も東工大の方にお世話いただき、大学の大岡山駅の近くに確保して頂いた。全く人任せで生きてきたようで感謝と🙇。勿論住所変更届の手続きもして居ない。長岡の住所のままか?それも行政上は問題ではないようだ。??給料も無い扱いだから??それは全くの独り善がりの、無責任な無断研修であったと今は分かった。その間「給与」の支給も無かった。だから何処の労働者の分類にも入らない事に成るか?1970年4月再び何の意識も無く、新潟県立新津工業高等学校に戻っていた。この事に対して、新潟県教育委員会からは何の御咎めも無かった。後で知ったが、校長は勇退という事で辞められたか?新潟県教育委員会の管理課から新しい校長が赴任してきた。筆者に処分辞令が無いという事は、新潟県教育委員会で採用した訳でもなく、日本国憲法に基づく行政法上の管理下の教員では無かったのかと考えざるを得ない。振り返れば、やはりそれは人生の暗い『ひと冬の経験』という事になるか。所謂存在が否定された『幽霊教員』のようだ。筆者の責任なのか日本政府の責任に帰するのか分からない(当時の内閣。第3次佐藤栄作内閣。第4次佐藤栄作内閣であった)。

電気回路技術と理論。

そのひと冬の経験であっても、電気技術については『目から鱗が落ちる』経験をした。それが現在までの長い電気回路現象の解析を推し進める原動力となった。その内容は、『トランジスターインバーター』の動作原理である。

電気理論と言えば、電源電圧は直流か正弦波しか知らなかった。教科書が学校の教育内容の基本的指針である。教科書編集者は教科書編集の過去からの伝統を守る、その事に対する専門家である。電気現象の原理を研究するような人は教科書を殆ど執筆などしないのかと。伝統的電気理論を学習してその意味を伝承する専門家が教科書を書く。だから新しい現象など殆ど知らない。その例が半導体による電力制御技術と言えよう。その中身は従来の電気理論では解釈できない現象がその技術の基礎となっている。今も不思議に思う事。それはその電力技術の専門家も決して『アンペアの法則』に疑問を唱える事などしない事実である。筆者が最初に感じたことは、これは電気理論が嘘という事か?であった。目から鱗と言う事件だった。今でもマクスウエル電磁場方程式を御教示成される大学物理学の専門家は、このトランジスタ制御の回路技術を学習することが必要ではないか。技術を知らない理論家は間違いを教育していることを自覚する必要があろう。僭越ながら申し上げる。それがトランジスタなどで自由に電圧波形を制御できるなど、正しく『目から鱗が落ちる』驚嘆の制御技術であった。その制御回路の一つがこのインバーター回路である。「**」 この回路動作には     ファラディーの法則 と アンペアの法則の理論の意味を吟味するべき基本的問題が含まれている。注目すべき問題は、変圧器に直流電圧を印加する点である。そこに励磁電流と磁束の関係が問題として浮かび上がる。

「**」印で改行するとここに飛んでしまう。何故か訳が分からない??

止む無くここから続ける。上の回路図はブログの初めの頃の記事のものだ。ファラディ電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾 (2011/01/30)。この矛盾を抱えて、遭遇したのが長岡高専電気科での電磁気学の講義であった。電気磁気学など教えた経験もない。学生には誠に指導力のない講義であったと謝らなければならない。その1年間で益々疑問が膨らみ、それが結局『静電界は磁界を伴う』(1987年春)の実験結果の発表に繋がった。過去の不可解を背負って、其の後の訳も分からぬ道を歩み、今漸く初期の果たすべき役割を電気回路現象の『エネルギー』での統一的姿を捉えたかと思う処に居る。この10年間は障子戸に向かって、ブログ記事を通しての疑問との格闘であったようだ。正常でない、異常な毎日、家族の者には精神病の気違いと今でも罵られる始末。意味が分からない者にはそう取られて当然だ。何とか娑婆で少しは電気現象の話を取り上げて話したい。『電荷』否定の論拠を話したい。『電子』概念の間違いを話したい。そんな社会常識を覆すような話を取り上げて貰えるか?

特記事項。一体どのような職業人として、次のような研究をしたことになるのか?意味が分からなければ社会的な活動の場にどう関われば良いか、動きようがない。二年ほど前に大学に出向いてお尋ねしたら、退職していると言われた。本人は何も長岡技術科学大学での事務手続き等していない筈だが、どう解釈すれば良いか思案投げ首のまま?本当の原因が何かが分からない。矢張り新潟県教育委員会との関りか?

トランジスタインバーターによる単相誘導電動機の速度制御 昭和47年産業高等学校教員の産業教育に関する特別研究成果、第8集(当時は別冊)。財団法人 産業振興中央会。この研究が電気理論に疑問を抱いた決定的な事件となった。この報告を当時の学校長が読んで、私に校長室で尋ねた事があった。校長も電気が専門だったから、磁束が励磁電流でなく、電圧時間積分と言う科学技術理論に疑問を持って尋ねたのだろう。不思議に思っての確認だったようだ。それは当然で、電気理論で解釈できない事だから。

しかし今でも電気理論の教科書は変圧器動作は励磁電流による磁束がその基礎となっているだろう。今日、ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾の記事を見たら、二つのファイルが見れなくなっている。間違っているからかと確認したが正しかった。教科書の解釈を間違いと指摘したことがファイル削除の訳かも知れない。

 

の2図である。確かに教育現場としては大変な事件となろう。しかし自然現象として、『磁束』等『電荷』と同じく存在しないのである。電気技術として『磁束』を解釈手段に利用するのは一つの方便として有効である。しかし、自然界の原理を扱う「理科教育」ではそれは良くない教育法だ。そこの兼ね合いをどうするかが教育現場の課題なのだ。磁束概念は磁石などのマグネットの指向性でその存在を捉えたいのだろうが、『磁界』そのものの概念が電磁エネルギー流に対する直交の方向を解釈し易い方便として定義した仮の解釈概念でしかないのだ。マグネットや地磁気の方向性は電磁エネルギー流の空間現象を捉えた便利な解釈でしかないのだ。磁束が空間に存在すると物理的にその実在性を証明することが出来ますか。『磁束』を見れますか?それは『エネルギー』の空間の姿を見れないのと同じことではあるが、より多くの電磁気現象を総合的に評価することにおいて、それこそ俯瞰的に、より統合性が採れているかの判断が必要と考える。筆者もその電磁気現象の解説をしたかったが、職場が無ければ30年以上も役割を果たせなかった。ブログを通してようやく自信をもって述べることが出来る、所期の目的に到達できたが、教育にその意味を生かす手立てが不明だ。

 

 

 

論理矛盾の業界単位 [eV]

(2021/04/29) 。『電荷』、『電子』の概念矛盾が導く。
記号[e]および[V] から単位[eV]の意味を検証する。

この単位[eV]が物理学理論の『エネルギー』の量を定義する代表的概念となっている。しかし、それも素粒子論での特殊な専門分野の概念単位かも知れない。この単位が自然世界の深い真理を理解するために欠かせない基本概念であるのだろうか。単位は一般市民の誰もが共通に理解する科学的知見の基礎であろう。[eV]と言う単位は『エネルギー』の単位[J(ジュール)]に対して、一般には馴染みにくい単位である。具体的な物理概念、電荷や電子に対する認識を詳しく確認し直すことによって、この単位の意味を検証してみたい。

[eV]の意味は? [eV]は電子が電界中で加速されて得た『エネルギー』の量を表す単位と解釈している。その意味を考える空間の状況を何とか表現してみたいと思うが、電子の空間像をどう表現すればよいかが分からず、誠に奇妙奇天烈な図になったしまった。電子は質量と負の電荷を保有した素粒子と定義されている様だから、電界加速場で定義に相応しい電子像をと思って表現してみた。ただ、電子が電界と言う場の中で、どの様な原理によって加速されるかが良く理解できない。電界の空間は一般には、その空間の誘電率との関係でεoE²[J/㎥](あるいは磁気エネルギーμoH²[J])の空間エネルギーの場と解釈して良かろう。そのエネルギーの空間で、電子がどの様な力を受けるかは中々理解し難い。理論では、電界ベクトルをE[V/m]、電子の電荷を負の-e[C]と扱って力 F を捉えている。

 F= -eE[N]

と解釈しているようだ。単位関係は[C][V/m]=[(FJ)^1/2^][(J/F)^1/2^/m]=[J/m]=[N]と一応、力の単位となる。少し前に、電荷間の力の矛盾論および電荷Q[C]とは何だ 更に大学入試問題例‐(エネルギー問題)-で電荷の意味を考えた。それと同じように電界の場で電子はどのようにその電界と言う物理的実体を認識し、その空間のエネルギーからエネルギーを吸収して受け取る事になるのか考えると解釈に困る。人が勝手に『電子』を仮想して、その気持ちを人間的な感覚で推し量り、誠に上手く辻褄合わせが出来上がっているようだ。何とか電気力線に絡みついて電界エネルギーを吸い取れるかと空想してみた。速度と言うエネルギー増加になるような物理学理論の感覚的理解でお茶を濁して済まそうか。

記号[e]とは何か。
[e] は電子を表す記号だ。その物理学的意味は電子の『電荷』を含意したものであろう。

記号[V]とは何か。
[V] は電圧の単位あるいは空間に定義した電界E[V/m]の空間距離dxでのスカラー積で、電位差 V=∫Edx=El[V]を捉えた単位であろう。電子が移動した空間の電位差の意味の単位である。


【クーロンの法則】の力学矛盾。
考えれば何故今まで誰も指摘しなかったのか?科学理論は広く俯瞰的に解釈することによって、世界的視野の基学問の自由がますますその意味を輝かすようになるのが理想と考えたい。しかし俯瞰的にとなると進むも戻るも出来ない、論理矛盾の限界に突き当たる。結局、原点の基礎の意味を検証せざるを得ないところで、『電荷』概念の自然認識の間違いに到達してしまった。電気要素のコンデンサーに電荷を貯えてもクーロンの法則の同一電荷間の排力は全く考慮しなくてもよく、幾らでも同一電荷が密集できると言う物理学の誠に巧妙な理論体系である。この問題は教育の子供たちに対する姿勢の課題だ。

[eV]のエネルギー概念とは。電荷概念の空間的描像に無関心である事が専門科学者の問題である。

色それは天然

金の色、銀の色その輝きは人を惹きつける。コガネムシの羽根が輝く。

「色それは天然の詩心 平等と自由の掟の下で」

色は自由な空に載せて運ぶ『エネルギー』の手紙なんだ。それを人は光と呼ぶ。
そこには競うことも無く、心を表現するだけでよかろう。

その色の訳に疑問の心が沸く。そんな日常を科学の心と言いたい。

光の正体 (2018/01/25)。

想定外の盲点―柏崎原発―

今夏は特別に電気エネルギーの供給・消費バランスが厳しい状況になると報じられている。

脱炭素と言う温暖化への対策が正念場を迎えている中で、原子力発電への依存を強める政策に疑問を提起しなければならない問題がある。

温暖化の解決は脱炭素では基本的に無理である。

エネルギー消費量の増加が温暖化の原因である。原子力発電はじめ、海水温での熱エネルギー50%以上を冷却する必然性による蒸気タービン発電方式が気象変動の要因としての海水温上昇及び魚の漁獲量変動などを引き起こしている。

柏崎原子力発電の想定外の盲点。

発電所立地地点と電力消費地点の遠隔問題である。地震などの発電所運転制御に直接関わる『制御情報』が頓珍漢な懸け離れた状態にある問題である。関東電力消費地点で、地震災害などが発生した。その激震震度情報は発電所での制御信号には全く感知されない。人がその状況を、何らかの手段で原子力制御情報に組み込まなければ、自動的には制御システムは感知できない問題である。原子力発電所の熱源は『核分裂反応』である。危険を察知し、核分裂を停止する制御棒の投入は簡単ではない筈だ。更に電力消費地が遠隔地域である事は、その地点の災害状況によって、電力停止判断は、とても危険を伴い、電力供給の法的縛り(電気事業法)との兼ね合いをどの様に採るかは「電話」での首脳部間の判断を要する問題となろう。突発的な災害状況に自動運転制御システムが効かない状況は『想定外の問題』として後の祭りにならない保証があるか?さらに、原発の運転停止制御の危険は負荷の消費電力が関わるという点である。消費地の突然の停電で、消費電力ゼロとなった時、発電所は核分裂の熱エネルギーの処理が出来ない虞が大きい。福島第一原子力発電所の事故にも関係していたかと言う問題であろう。

今夏の夏の電力状況に、誠の不躾で申し訳ない事ですが、一言感じた危険を述べさせて頂きました。皆様のお知恵で安全の確保をお願いいたします。